世界は変わりつつある。最初の変化はどこに現れるのか。社会か、経済か。しかし詩の想念こそがそれをいち早く捉え得る。直観によって。今、出現しているものはわずかだが、見紛うことはない。Currency。時の流れがかたちづくる、自然そのものに似た想念の流れ。抽象であり具象であるもの。詩でしか捉え得ない流れをもって、世界の見方を創出する。小原眞紀子の新・連作詩篇。
by 小原眞紀子
渦
大人になってから買った
『いばら姫』の頁の縁は
蔦や葉がぐるりと囲んで
ところどころに
花が咲いている
生まれた姫の物語は
長い時を経て
生い茂ったいばらの中から
姫が見い出されるまで
従者や猫が目ざめるまで
一日々々
蔦は奥深く
葉はさらに芽吹いて
出口を閉ざされた
トンネルのようだけれど
トンネルであるからには
出口はある
必然的に光が差す
約束されたものを
人は何と呼ぶか
終わりであり
始まりであるもの
あるいは言葉
昔々あるところに
美しい姫が
時の冠をかぶり
緑の枝葉に囲まれて
閉じ込められながら
開かれていた
別の次元に
あるいは竜巻は
なぜ先が尖っているか
子どもが指をさす
排水口に吸いこまれる
水みたいに
地球の裏側へ
オズの国へ
行って、そしてもう
帰ってこない
日々はまわる
羅針盤の上で
秤は傾き
老いさらばえた姫君が
光をみる
渦は開かれて
蔦を掻きわけて
その葉をわたして
その葉は一日
あの日、夕暮れ時まで
おはじきを見ていた
薄暗い畳の隅で
透きとおった二色のガラスの
その葉もわたして
その葉は一日
雨に降り込められ
芝生に集まった人たちの
誰もおぼえていない
誰かの披露宴で
雲の縁の金の輝きだけを
ただ眺めていた
無数の葉は
おのずと渦を巻く
ゆるやかに廻り
風とともに
波を打つ
姫の髪のように
行ってはもどる
行ってはもどる
何がもどらないのか
気づくときまで
午後六時になると
戻ってくる父のように
また出かけては
帰ってくる父のように
ときどき手土産に
寿司折や都こんぶを
わたしてくれて
お腹をこわした
渦の花の
波は花びらである
数学の教科書にも
そのように書いてあった
気がする
数学の教科書は
そこかしこ渦だらけだった
気がする
数式は波のように
流れをつくり
ノートから溢れて
渚へ
砂の城の中で
姫が眠っている
時に閉ざされ
また解き放たれ
老いながら幼く
ひたすら眠りつづけ
いつか目ざめる
たおやかな流れが
ふいに転換する
* 連作詩篇『Currency』は毎月09日に更新されます。
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