角川俳句賞は文脈が読み解けない賞だ。十分に情報開示されているが部外者にはコンテクストが見えない。今回は594人の応募で最も多かったのが60代の167人(約28パーセント)、次いで50代131人(約22パーセント)、70代110人(約19パーセント)である。50代から70代が約69パーセントで全体の三分の二以上を占める。30代以下は約11パーセントに過ぎない。毎年同じような傾向なので、応募者の皆さんも50代以上でなんらかの特徴ある作風を備えていなければ角川俳句賞は受賞できないと了解しておられるようだ。
また角川俳句賞は新人賞なのかどうかもよくわからない。今回の受賞者は月野ぽぽな氏で、略歴に「昭和40年4月3日、長野県生まれ。平成14年、句作開始。16年「海程」入会。金子兜太に師事。20年海程新人賞、22年現代俳句新人賞、23年海程会賞、26年海程賞受賞。「海程」同人。現代俳句協会会員。米国ニューヨーク在住」とある。結社句誌とはいえ月野氏が所属しておられる「海程」ですでに新人賞を含む三つの賞を受賞され、現代俳句新人賞も受賞しておられる。
小説の世界では文學界新人賞を受賞したが今ひとつパッとしないので、今度は新潮や群像の新人賞に応募してみようといった動きはない。というかあり得ない。俳壇では結社誌の新人賞は、賞としてはノーカウントということなのだろうか。あるいは芥川賞のように、基本的には文學界・新潮・群像・すばる・文藝の新人賞を受賞した作家の中で、最も優れていて将来性のある作家に与えられる〝新人賞の中の新人賞〟として角川俳句賞が位置づけられているのだろうか。それにしては角川俳句賞の威光はそれほどでもない。少なくとも芥川賞のように一般社会で話題になることはまずない。
別に嫌味でこんなことを書いているわけではない。角川俳句の時評をそれなりに続けているが、いまだにこの雑誌のコンテキストがわからない。もちろん初心者啓蒙雑誌であるのははっきりしている。ほとんどの特集がその線で組まれている。ただ俳人は俳句は習い事ではなく〝文学〟だと主張し、その素晴らしさを書いたり発言したりしている。その誇り高い俳人たちが結社的党派を超えて、基本的にはリベラルに交わるのが商業句誌である。初心者啓蒙は手始めに過ぎないだろう。初心者を啓蒙し俳人として育てて、さて、何をしたいのか。それがわからないというか全然道筋が見えない。ともあれ月野氏の受賞作。
いくたびも車窓に目覚め緑濃し
エーゲ海色の翼の扇風機
風ごとに丈を正せり立葵
生まれけり蛍と水を分け合いて
人に言葉万緑に葉という祈り
青空は青惜しみなく秋に入る
もてあます葡萄ひとつぶほどの鬱
太陽は遠くて近し芒原
野に向かう鉄路の匂い春の雪
春の風邪すこし世界の遠くある
(月野ぽぽな「人のかたち」より)
とても素直で好感の持てる句だ。清新さも感じ取れる。ただ選評も読んだがこの句が今回の応募者594人の頂点に立つ理由はやっぱりわからなかった。基本、落ち着いているということは、感情的にも技法的にも極端に走らないアベレージ的俳風だということでもある。「もてあます葡萄ひとつぶほどの鬱」にあるように、鬱を凝視して何かに没入することはない。佳作作品でもこのような作風の作家はいる。そこから受賞に至った決定的理由が見えない。ある文脈がわかる人にしか受賞理由は理解できないわけだが、それが俳壇以外の一般読者にも了解できるとは到底思えない。
加えて選者の皆さんと角川俳句はアベレージ的俳句に角川俳句賞を授与してどうしようというのか。そこがまた見えない。「受賞のことば」で月野氏は受賞を素直に喜んでおられるが、作風から言っても論客の資質はお持ちではないと思う。もしかすると受賞で仲間から一目置かれて「海程」ニューヨーク支部を統括されるようになるのかもしれないが、それは角川俳句賞とは関係ないだろう。じゃあ角川俳句賞は数ある俳壇の賞の一つに過ぎず、俳人にとって俳句の賞は、ジャラジャラと胸から下げて自らを権威化する勲章に過ぎないのだろうか。賞を与えてどうするのかも見えない。後は作家が勝手にというなら、ぬか喜びと変わらないではないか。
暗号で来る茸狩の知らせかな
茸狩の鬼棲む山も遠からず
目隠しをされて連れ行かれ茸山
足跡を残さず登り茸採
一年を十日に賭けて茸採
中りたることもありとふ茸採
風の香を聞き過たず茸採
昼の星見えねど暗き茸山
山昃る刻知り尽くし茸採
一番は天狗に供へ茸採
卒寿翁公家悪勤め村芝居
村芝居子役満座を泣かせけり
(三村純也「松茸山」より)
三村純也氏の作品はほとんど読んだことがないが、中世文学や民族学の研究者で大学の先生のようだ。ホトトギス系の結社誌「山茶花」主宰でもある。「松茸山」は魅力的連作だ。久しぶりに意欲的俳句を読んだ気がする。「暗号で来る茸狩の知らせかな」の初句からして普通ではないことを期待させる。「茸山」「茸採」を最後に置く連作は真に子規写生理論に沿ったものだと思う。子規写生は基本現実描写だが、連作を続けていれば言葉が自ずから作家を実景を越えた位相に連れて行ってくれる。「卒寿翁公家悪勤め村芝居」「村芝居子役満座を泣かせけり」の終句も見事である。一枚の絵巻物を見た(読んだ)ような気がする。
現実俳壇政治を前提とすれば、俳人が「ホトトギス」系から現れたのか「海程」から現れたのかは大きな問題だろう。しかし文学の問題としては些事である。世阿弥の『風姿花伝』は明治四十二年(一九〇九年)に吉田東伍が学会で発表するまで金春家相伝の秘伝書だった。しかし『風姿花伝』が公刊されてもほとんどの能楽師は驚かなかった。もう知っていることしか書かれていなかったのである。同じような事態が俳句にも当てはまる。
優れた俳人なら、誰もが俳句本体とでもいうべきヴィジョンを把握している。門弟たちは師を通してそれを見つめ学べば良いのである。その意味で誰の弟子となりどの結社に所属するのかは現世的ご縁に過ぎないとも言える。ただしっかりと俳句ヴィジョンを把握しなければ、漫然と五七五に季語形式をなぞることになる。可もなく不可もない俳句は量産できるだろうが、俳句本体は俳句定型を守りながらそれを激しく揺さぶり続けることを俳人に要請している。
角川俳句賞が新人賞なのか、俳壇にたくさんある俳句賞の一つにしか過ぎないのかはやっぱりよくわからないが、若くても中堅・ベテランの年齢であろうと、せっかくの賞なのだから、俳句文学をなんらかの形ではっきりと泡立たせてくれる作家を輩出してほしいものだ。
岡野隆
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■