坂口昌弘氏が「秀句のテーマ」連載で、「震災 地獄の大震災はどう詠まれたか」を書いておられる。東日本大震災から八年が経ち、被災地の復興は不十分にせよ、一時期の震災作品ブームは一段落したと思う。何度でも総括されていいテーマだが、少し時間が経ったのでやりやすくはなっているだろう。ただ大震災をテーマにすると、どうしても歯切れが悪くなってしまう。
大震災以来、震災を詠む句集が多く受賞したことは、優れた俳句と大震災への思いに関係がある。受賞したからといって優れた俳句とは必ずしもいえないのは、受賞は、選考委員の主観が入るからである。震災を詠んだ句集が受賞したことは選考委員が震災に深い関心を持っていたからである。多数の死者を出した大震災を詠んでいなかったら受賞しなかったという意見があり、他人の不幸を詠んで受賞したから受賞を祝うべきでないという口の悪い俳人もいたが一面の真理である。震災を詠んでも死者は戻らず、被災者にとって何の役にも立たず、原発事故は解決しない。(中略)なぜ、優れた句集は大震災を詠んだのか。東日本大震災は俳人のみならず世界の人々にとって衝撃的な事件であった。多くの命が津波に流されて死んだことは、多くの人の心に残る恐ろしい地獄絵であった。さらに東電の原発事故が問題を大きくした。
(坂口昌弘「震災 地獄の大震災はどう詠まれたか」)
必要十分なレジュメだと思う。ただ坂口さんの連載の性格上、大前提として俳壇の賞を受賞した句集は優れているということになっている。これはどうなんだろうねーと首をかしげざるを得ないところもあるが、否定もしにくい。坂口さんによると震災関連で賞を受賞した句集は、正木ゆうこ『羽羽』、高橋睦郎『十年』、駒木根淳子『夜の森』、恩田侑布子『夢洗ひ』、鳴戸奈菜『文様』、高野ムツオ『萬の翅』、渡辺誠一郎『地祇』、鍵和田秞子『濤無限』、大牧広『正眼』があるのだという。実に九冊である。俳壇の賞はかなりあるので数少ない賞を総なめにしたとは言えないが、大勢としては俳壇を挙げて、いわゆる震災句集を評価して来たようだ。
坂口さんも指摘しておられるが、震災を詠んだ俳人は被災者だけではない。新聞テレビネットで惨状を目の当たりにして、心揺さぶられて俳句を詠んだ作家がかなりいる。僕は東京にいたが震災発生直後からテレビに釘付けで、暗くなってから中継レポーターが「釜石壊滅です!」と叫んでいるのを聞いて、「戦争じゃあるまいし、壊滅ってどういうことだ」と暗くてよく見えないテレビの画面を凝視してしまった。東北から関東にかけてかなり揺れたので、あれを体験した人で激しく動揺しなかった人はいないだろう。震災俳句を作った作家たちは居ても立っても居られず、俳句で自分の心の動揺や、悲惨な現実がもたらした悲しみを表現した善男善女である。
ただ祈るほかなく送る年なりけり
真炎天原子炉に火も苦しむか
原発まで十キロ草の花無人
絶滅のこと伝わらず人類忌
聖なるも邪もおそろしく破魔矢受く
正木ゆう子
正木さんは被災者ではない。ただだからこそ東日本エリアにいた日本人が抱いた感覚をよく伝えている。句集『羽羽』の「あとがき」で「答えの出ない自問自答といった感が否めませんが、ありのままをさらけ出すのみです」と書いておられる。正直な告白だと思う。作品に「答えの出ない自問自答」がよく表現されている。
僕らが最初に抱いたのは、「ただ祈るほかなく送る年なりけり」といった無力感である。それから何より原発のことが心配になった。「絶滅のこと伝わらず人類忌」という句は、僕らが原発事故で予感したアポカリプスを表現している。「原発大爆発して、チェルノブイリどころか日本列島東半分終わりか」といった最悪の事態を覚悟したのだった。
だがすぐに状況はそう単純ではないことがわかってきた。政府の原発施策や東電の危機管理に問題があったのは確かだが、多くの人が事態収拾のために身を挺して働き始めた。また情報化時代ということもあって、責任の所在や経済問題、人間の善意や使命感や悪意についても様々な情報が、毎日ひっきりなしに、しかも大量に飛び込んで来た。「聖なるも邪もおそろしく破魔矢受く」はそういった心の揺れを表現している。情報の波にさらされていると聖邪の境がよくわからなくなるのだ。なんとかこのモヤモヤを振り払いたいと思う。
ただ正木さんの「答えの出ない自問自答」であり、「ありのままをさらけ出」した俳句が、記録以上の文学的価値を持っているかどうかは議論が分かれるだろう。大惨事直後の心の揺れを表現するのは意味のあることだったと思う。しかし初発の衝撃を超えて、震災と原発を文学のテーマにできるのかは疑問だ。
俳壇では例によって震災は俳句になるのかという議論が盛んだった。俳人は俳句を書くことしか考えていないんだね。ただ小説文壇では早い時期から震災と原発事故が文学に与える影響が議論されていた。川村湊『震災・原発文学論』、隈界研『東日本震災後文学論』、木村朗子『震災後文学論』、前田潤『地震と文学』などの本が書かれ、文芸誌も盛んに震災と原発特集を組んだ。震災・原発文学が一ジャンルを形成したのは、それが行き詰まった現代文学の突破口になるかもしれないという期待があったからである。正木さんが素朴に表現したアポカリプス幻想の、その後が考えられたのだった。
二〇〇〇年紀になって、あれほど勢いがあり華やかだった戦後文学が、完全に力を失い消滅したのが誰の目にも明らかになった。しかし再び文学を活性化させるための方法は全然見えて来ない。震災・原発がその契機になるのではないかと期待されたのだった。しかしそうならなかった。熊本や大阪で大地震が起こった今では、小説文壇の震災・原発文学論ブームは震災がテーマだったわけではなく、フクイチが焦点だったことがはっきりしてしている。
熊本・大阪大地震論は書かれていない。純粋な天災は語るに足りないのだ。この点では俳壇の方がマシだろう。俳人は手当たり次第なんでも詠む。震災俳句が問題になったのは、本質的には自己チューであらざるを得ない創作者が、しかも被災者でもないのに、他人の不幸を詠んで賞などの栄誉を受けていいもんだろうかといった倫理が絡んだからに過ぎない。
ただ小説文壇の震災・原発文学論ブームの尻すぼみを俳壇に当てはめれば、震災俳句もまた、原発アポカリプス幻想があったからこそ多くの俳人の興味を惹いた面があると言わざるを得ない。高度情報化社会では珍しい共通社会テーマだったのだ。すると当初の震災は俳句になるのか、文学で表現できるのかという問いかけに戻ってくることになる。フクイチを除外すると震災のインパクトが薄れるなら、震災を文学で表現しないという立場にも一理あるわけだ。
松尾芭蕉は死者三千人を超す江戸の大火を経験し、庵を焼かれ甲斐国に逃れていたが、火事や多数の死者への思いを詠んでいない。俳句で解決できない問題を芭蕉は詠まなかった。高濱虚子は、戦争や震災のように死者を出す事件を詠むのは「地獄の文学」、花鳥風月の造化自然への共感を詠むのは「極楽の文学」と呼び、自らは「極楽の文学」を選んだ。(中略)良寛はマグニチュード六・九の三条地震を経験し、自身は何も被害がなかったが、手紙に感想を残していた。「災難に遭ふ時節には災難に遭ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ、災難を逃るる妙法にて候」と、地震・災害には為すすべもないという諦めの境地を述べていた。良寛の愛読書は『荘氏』であり、無為自然・造化随順の境地であった。
(同)
震災俳句を書かない理由についての坂口さんのレジュメも必要十分だ。しかし少し補足が必要だろう。俳句文学成立の根本になるが、俳句が生まれた室町時代は禅の全盛期である。絵画から色が失われる水墨画が大流行した。鎌倉期までは残存した煌びやかで想像的(妄想的)な密教的精神に代わって、世界を無(常)として捉える禅が日本人の精神基盤になった。それは江戸期まで続いた。良寛の手紙は「諦めの境地」というより、ありのままの世界を裸眼で見つめる禅的心性を表している。芭蕉や虚子の精神も基本的に同じだ。また現代でも俳句文学の基盤は禅的心性にある。
ただ明治維新後にヨーロッパ文学が大量移入されて日本文学は自我意識文学に変わった。正確には密教的心性(短歌)を最下層として、その上に禅的心性(俳句)、そして自我意識心性(小説、自由詩)が重層化するようになったのだった。この人間の近代的自我意識は社会問題はもちろん理不尽な自然災害についても考え抜く。震災と原発事故の意味を思考(自我意識)によって導き出そうとする。たとえ仮初めの間違った結論であろうと、一定の結論に達するまで思考は止まらない。小説文壇の震災・原発文学論ブームは自我意識文学にとっての一つの必然である。
しかし天災が起こったこと自体の意味については、どんなに考えても絶対に思想的結論は得られない。震災後の社会状況の変化とその意味について考えるしかない。実際評論だけでなく、様々なタイプの震災小説がいやというほど書かれた。ただ現実に取材する小説ではテーマが微妙にズレる。
原発事故には絶対的悪者と絶対的善人は存在しない。事故責任者も被害者側も予想を超えた事態に悩み苦しんでいる。また人間社会は複雑だ。被災地では立ち入り制限区域内にある、東電作業員用のホテルが利回り何百パーセントとかで取引されている。震災補償金を得た人たちでキャバクラやパチンコ屋が空前の好景気になっている地域もある。一昔前なら知らずに済ませられた情報がどんどん入ってくる。それらに基づいて人間の醜さや愚かしさを描くことはできる。しかしそんなものは震災文学でなくても書ける。当たり前だが震災と原発事故を無理なく結びつける思想的地平が得られなければ、結論にならない。
欧米人なら震災と原発事故を結びつける思想を神に措定することができるだろう。現代は神の解体(脱構築)を果たしたポスト・モダン社会だが、欧米にはまだ熱心なキリスト教徒がいる。天災とその後に生じた人間社会の理不尽を、神という求心点でまとめ上げることは可能だ。しかし日本にはキリスト教的絶対神は存在しない。少なくとも敬虔な信徒でなければ神を持ち出しても空しい。その代わり日本には短歌(密教的世界観)と俳句(禅的世界観)がある。自我意識文学流入以前の短歌・俳句文学という意味である。
みちのくの今年の桜すべて供花
死の恐怖死者しか知らず花万朶
花の地獄か地獄の花か我が頭上
この国にあり原子炉と雛人形
高野ムツオ
吹雪くなか来る人はみな頭垂れ、春の蕨のごとく頭垂れ
流されて家なき人も弔ひに来りて旧の住所を書けり
逃れ得ぬ風土のありてこの川に戻りくる南部鼻曲がり鮭
沖さ出でながれでつたべ、海山のごとはしかだね、むがすもいまも
柏崎驍二
高野ムツオ氏も柏崎驍二氏も被災地で震災を経験した。被災地にいた作家と離れた場所にいた作家ではやはり作品の質が違っている。祈りは地理的にも心理的にも距離ある者にしか許されない。また俳句と短歌の違いがはっきり表れている。俳句は短い表現だから意味解釈が多様にならざるを得ないが、高野氏の句は誰かを、何かを批判しているわけではなく、現実および心理の客観描写だと受け取るべきだろう。また柏崎氏の短歌はほぼ純粋な作家の内面心理描写である。震災・原発の社会的意味は作家の興味の埒外にある。
日本文学における震災・原発の表現方法は、美しくも醜くもあり、理不尽で愚かしくもある現実を、裸眼で見つめて熱もなく表現する俳句と、ひたすらに人間の内面心理を凝視する短歌との間を往還するだけで良いと思う。近代的自我意識でその意味を導き出そうとしても、日本文学である限り十分な手応えは得られない。またそういった自我意識の苦しみに満ちた探求は小説や自由詩に委ねれば良いのである。虚子のように俳句を「極楽の文学」と呼ぶかどうかは別として、人事の機微の詳細は短歌・俳句では書けない。あっさり断念しなければならない。
もちろん小説や自由詩といった自我意識文学は、徒労であろうと必敗だろうと苦悩を限界まで深めて思考を研ぎ澄ますほかない。損な役回りだ。だがそれが自我意識文学の存在理由(アイデンティティ)でもある。ただ自我意識文学でも日本文学の落としどころは限られる。俳句的自然循環に苦悩を溶解させるか、短歌のように閉じた内面心理で悲痛を純化させるほかない。ヨーロッパ的自我意識の側から見れば一種の逃げだが、日本文学(文化)を思想化していれば力強い肯定である。震災に限らず正念場と言えるような事件が起こった時には借り物の思想は役に立たない。
岡野隆
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■