エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングズ。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングズの処女作『The Enormous Room』の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第四章 新入り
第二十一衛生分隊分隊長の面影が脳裡をよぎった。なまっちろい顔。英国士官もどきの空威張り。大きなふくらはぎにぎちぎちに締めつけた巻きゲートル。日課のお説教。「いいかげんにちろいお前ら。上っ面は好青年なんだ。学もある。なのに品行において下劣極まる。お前らを乗車隊員に加えないからっていつも文句を垂れおって。みっともなくてできんのが、わからんか。我が隊がうちろ指差されるのはかんべんならん。我々はフランスのシラミかぶりどもにアメリカ人の何たるかを見せつけてやらねばならんのだ。我々の方が上だってことをな。なにちろ風呂がどんなものかもわからねえクソどもだ。それなのにお前らときたらいつもつるんで、飯炊きと汚れ仕事の小汚ねえカエル喰らいどもとくっちゃべってやがる。それでよくもまあ言い分を呑んでもらえると思ったな。おれだってお前らを救急車に乗っけてやりたいさ、喜ぶ顔を見てえもんだ。だがあえてそうしねえのが、わからんか。派遣してもらいたかったらな、まず髭を剃って身だしなみを整えろ、そして小汚ねえフランス人とは付き合うな。我々アメリカ人がここまで出向いてやってるのはシラミかぶりのクソどもを躾けてやるためなんだからな」
純然たる喜びに打たれて俺は高笑いした。
楽しい時間を打ち切ったのはおそるべき一悶着だった。『よこせ!』――「どけってんだポル公!」――『だんな、だんな!』――「こっちだ!」――『くそったれ!』――『畜生奴!』びくっとして振り向くと俺の藁布団が四人の男に掴みかかられて四方八方に引き裂かれそうになっていた。
ひとりは髭をきれいに剃りあげた若い兄さんで目がぎらぎらしている、体つきもきびきびしていて逞しい、さっき俺をアンタと呼んだのはこの人だった。敷布団の一角をがっしり掴んで反対の角を掴んだ男と引っ張り合っていた。それがまたちぐはぐな男で呆れ返るほどのぼろ切れとつぎはぎで拵えた道化ぶりにすっぽりと身を包みこみ、みすぼらしい頭部は掻きみだれた汚らしい髪の毛が興奮に逆立っていて、のっぽでどこか笑えて常軌を逸したほとんど崇高でさえあるような熊踊りの熊の様相を呈していた。敷布団の三つ目の角を乱暴に握っているのは黄色い髪の毛、赤らんだやくざ顔、空色のズボンを組み合わせた六フィートはたっぱのある男、それにもうひとり手を貸しているのはベルギー軍の軍服姿の小柄な房飾りの少年、生意気そうなにきび面に輪をかけて口の悪さは限度を知らない、コーヒーはいるかと言って俺を起こしたあいつだ。ぶっきらぼうな口喧嘩に頭がくらくらしながらも察したところではどうやら力づくでいがみ合っているこの人たちは、布団を奪い取って我が物にしようしているのではなく、単にそれを俺に贈呈する特権を求めて競い合っているらしい。
このデリケートな問題に俺からひとつ助け舟を出す前に、耳元で子供っぽい声が思い切り叫んだ。『布団をここに置け! どういうつもりだ。やぶけたらどうする!』――その瞬間に敷布団がコバルト色の足を踏み出して俺に向かって突進してきた、ベルギー軍とやくざ顔の見事な働きで成し得た推進だ、剃りあげ兄さんとちぐはぐ熊さんはなおもそれぞれの布団の角に必死にしがみついていた。到着した布団はさっきの子供っぽい声の主によって驚くべき力でむんずと取り上げられ――毛むくじゃらで小さい地の精のような背格好によほど辛酸を嘗めてきたことが伺える神経質そうな顔つきの男だった――そして不思議なほど整頓されて受け入れ態勢を作っていたBのベッドの隣の床に腹立たしそうにどさっと設置された。地の精はすぐさま布団の上にひざまずいて先ほどの一悶着でできた皺を丹念に伸ばしながら、一音一音ゆっくりくっきりと発した。『よし。これでいい。ああいうのことをするのはこれっきりにしてくれ』剃りあげ兄さんは人を食った顔で腕組したまま地の精のことを見下ろしていた、片や房飾りの少年と空色ズボンは勝者の余韻を漂わせて俺にタバコ持ってるか?――ひとりひとつずつ受け取って(地の精も、剃りあげ兄さんも、それなりに勿体をつけながらひとつずつ受け取った)すとんとBのベッドに腰掛けると――ベッドが抵抗して不吉な呻き声をあげた――貪るような質問攻めが口火を切った。その間に熊さんは、まるで何事もなかったかのように、満足げにしわくちゃの衣装を整えて(静かに遠くのほうを見つめたまま)使い古したパイプに人一倍繊細な指先で木屑と肥やしの混ぜ物のようなものを詰め始めた。
俺がまだ質問に答え終わらないうちに、ふしくれだった声が突然どやしつけてくるのが、頭越しに聞こえた。『掃除はどうした? 貴様。全員だ。取りかかれ。これは監督官の号令だ。いいか、おれじゃねえ』――ぎくっとした、オウムかと思ったんだ。
例のハゲワシみたいな影だった。
ハゲワシ殿が目の前に突っ立って、士気阻喪した箒をその鉤爪だか拳だかに握りしめていた。着古したズボンに突っ込んだ脚はひょろひょろでも、首元の襟を開いたごわごわのシャツが包み込んだ逞しい肩、筋骨隆々の腕、帽子のつばの下にぎっしり詰め込んだ粗暴でいかれた面構え。顔の構成はというと急勾配の鼻があって、垂れ下がった口髭、獰猛かつ潤んだ小さな目、喧嘩上等な顎、こけ落ちた頬っぺたが不気味な微笑みを湛えている。残忍なところと滑稽なところ、元気溌剌なところとさめざめ泣けるところが一斉に鳴り響いているような感じだった。
今度も俺が口を挟む暇はなかった、青空ズボンのやくざが熊さんの足元にタバコを一本投げつけて、一声。「おめえのぶんだ、ポル公!」――そしてベッドから跳ね起きて、箒をひっつかみ、ハゲワシ殿に畜生奴!を雨あられに浴びせかけると、ハゲワシ殿も負けじと罵詈雑言でやり返した。そのときやくざの赤ら顔がほんの二三インチ俺のほうへ屈んだ、その顔がついこの間までは若々しかったんだってことはそのとき初めて気がついた――「掃き掃除代わりにやってやるよ」気持ちのいい言葉だった。恩に着るよ。するとハゲワシ殿が騒ぎ出して『結構、結構。おれじゃねえ。監督官だ。ハレーがひとりで掃除当番だとよ。へっへっ』――そうして部屋を出て行く後を、ハレーと房飾りがついていった。視界の隅ではのっぽでどこか笑えて常軌を逸したほとんど孤高でさえあるような熊さんが落ち着き払って勿体つけて身をかがめ、その音楽家のような指先が唯一無二の繊細さをもってえも言われぬ十分の八インチのしけもくに差し迫っていた。
『天路歴程』に描かれた歓楽山がまさかこんなところにあったとはね……
(第16回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『伽藍』は毎月17日に更新されます。
■ e・e・カミングズの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■