ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
第10章 エメラルダのやさしさに照らされた出会い
きずがいたむよわったからだに露のしっぷをして、つかれきった少女は、なまりのように重い足どりで歩いていました。赤い子馬たちは、ちきゅうにうまれていたら、せなかに少女をのせることができるのでした。しかし虹のむこうの生きものである彼らのすきとおったせいしつは、どんな荷ものせられないのです。なやんだ子馬たちは、たてがみをたれていました。アイレとイルもおなじむりょくかんになやみながら、少女といっしょにすすんでゆきました。友だちのことを心配していましたが、野原の花や空のちょうちょ、それからのぼりざかの道ぞいにあるブラックベリーを見て、きぼうを感じました。そのすっきりとした味のくだもので少女が元気づけられるように、そして王子たちと子馬たちもそのかおりをすいこめるように、みんなはブラックベリーの下でひと休みしました。
「ここはいごこちがいいよね?」小さな声がブラックベリーの根もとから聞こえました。すぐあとに、おきゃくさまをむかえるよろこびで、目をキラキラかがやかせた生きものがあらわれました。
「ブラックベリーのあるじなの?」すこし明るい声で少女がたずねました。
「いいえ、ちがうの」あいてが小さく笑いました。「ここは広い空とお日さまの下だから、あるじなんていない。わたしはブラックベリーのお友だち」
「ブラックベリーのお友だちって?」アイレがきょうみしんしんで聞きました。
「ひめさま、おうじさま、虹の向こうの子馬たち、そしてかわいい少女。わたしは夏ごとに体となまえを変えるトカゲです。去年の夏は、エメラルディーナというなまえだったけど、今はエメラルダと言います」
「おだやかで、すてきなお方!」少女はよろこび、感心しながら言いました。王子たちと子馬たちも、そのていねいであたたかい姿に心をうばわれました。
「ぜんぜんそんなことないのよ」エメラルダがおだやかにほほえみました。「わたしの話はともかく、あなたたちは大変な目にあったようね。お顔を見てわかったんじゃなくって、野原も、この坂も、森だってみんなよくしってるの。カワラマツバたちがうわさしていて、花から花へ、それから虫から虫へと伝わってきたの。だからさきにみんなのしつもんに答えておきますが、残念ながら銀狐には会ってません。おそらくだけど、あの方はここを通ってないと思うわ。わたしが火をあびていたあいだに通ったかもしれないけど。でも女王バチのように、ハリネズミのように、そしてこの世界にいる多くの生きものと同じように、わたしもみなさんの力になりたいと思います。わたしにできること、あるかしら?」
「お言葉がとても心づよい」イルがほほえみました。
「このブラックベリーが少女を元気づけたらいいな。そしたらわたしたちは旅をつづけられるようになる」アイレがためいきをつき、雪のような手で少女の手をなでました。
「きっと元気になるよ」エメラルダがみんなをはげまし、ブラックベリーを一つつまみとって、きれいなしぐさで少女にさしだしました。
「だけど大変な旅をつづけるために、あなたはあたらしい体がひつようかもしれない」少女のやつれた顔をじっと見ながら、つけくわえました。
子どもたちはおどろいてエメラルダを見ました。
「あたらしい体って?」
「わたしのこと、おだやかですてきだって言ってくれたわね」エメラルダが少女に言いました。「ずっとむかしから、そんなふうに見えるだけじゃなく、ほんとうにやさしいトカゲでいようとつとめてきたの。でも、どうしてなんでしょう、どれほど気をつけていても、いつもだれかをがっかりさせてしまう。せかいのはじまりからの、ヘビの遠いしんるいだから、そうなっちゃうんだと言われてるの。その影はどうしても乗り越えられないらしいの。だけどわたしは、すべては自分しだいだって信じたい。だれにもめいわくをかけずにすむような夏を待ちのぞんでいるの。いちりんの花にも、いっぴきの虫にも、どの生き物にもめいわくをかけないということ。でも今まで一度もうまくいかなかった。うっかりしていっぴきの蚊の子どものつばさを折って、飛べないじょうたいにしてしまったり、日ざしをあびるためにゆったりよこになったら、はかないヒナギクをポキンと折ってしまったり、まだ小さいキノコのねむりをじゃましてしまったりとか…。そんなことでむねの中に悲しみが少しずつたまっていって、それがだんだん涙に変わってゆく。目の窓から涙があふれ出そうになる頃、春風が枯れ葉を吹きとばして、やなぎの根もとに葉っぱの山を作ってくれるから、その上にのぼって中に入る。そこでじっと待っているの。さいしょの日ざしがあらわれたら、そのひとすじの光にわたしは涙をおとす。その涙から火花が出て、まわりの葉っぱは火の海になるの。そのほのおをあびて、わたしの古い体は、枯れ葉とともにもえてしまう。そしてわたしはあたらしい体になるの。やなぎの枝がめぶきはじめるのも、ちょうどそのころよ。だからあなたさえがよければ」エメラルダが少女をじっと見つめながら言いました。「あなたはすごく苦しんでいるんだから、涙の旅、そしてやなぎの葉っぱが枯れる時期を早めて、火のちからで、あなたにもあたらしい体をつくりましょうか?」
「わたしが望めばってことね…」少女はゆめみるように言いましたが、とちゅうでやめました。やさしくほほえみながら、エメラルダをだきしめました。「ううん、いらないわ。エメラルダさんはうろこの体だから、思い出などが、水のようにひふの上をすべって流れるのかもしれない。でもわたしの体には、むかしの日々のかおりとぬくもり、夜のすずしさや冬のさむさなどがきざまれているの。忘れたいものは一つもないわ。あたらしい体はほしくない。わたしが今ひつようとしているのは、たった一てきの力なの。それがあれば、王子たちと子馬たちといしょに旅をつづけられると思うの。このブラックベリーが、そのいってきの力をあたえてくれるかしら…」
「ああちがうわ、ブラックベリーじゃなくて」エメラルダがとつぜん、考えごとから目ざめたように言いました。「そうだ、あの方だ!」
「このうろこ一枚をうけとってください。わたしはもともと火の生きものなんですが、わたしの力は水にまでおよぶの。もし困ったことになったら、このうろこの上を吹いて、わたしの名まえを呼んでください。どこにいても聞こえるから、すぐに助けにいくわ。でもここからさきは、この真珠いろのあとをついていって。先までいって、「でんでんむしむし かたつむり、おまえのあたまは どこにある、つのだせ、やりだせ、あたまだせ」と歌ってみて。そうすれば少女にひつような、いってきの力をあたえてくれる方に出会えるはずよ。王子、ひめ、かわいい馬さん、そしていとおしい娘よ、お気をつけて行っていらっしゃい!」
「さようなら、やさしいエメラルダさん! お元気で」
絵 アンナ・コンスタンティネスク
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* 『少女と銀狐』は毎月11日に更新されます。
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