今号は「大特集 季語の本意~秋編~」で、春夏秋冬とローテーションで季語特集が回るらしい。ホントに一昔前のホットドック・プレス方式ですね。それだけ俳句の世界には俳句初心者が大量参入し続けているのだろう。ただ今号は実質243ページで特集30ページである。全体の12パーセントほどで、「大特集」と言うにはちょっと心もとない。ただ角川俳句の特集はいつもこのくらいだ。特集ページ数が制限されるのは作品を並べなければならず、投稿欄を始めとする連載ページも多いからである。
角川俳句に限らないが、商業句誌はどこも実に目配りがいい。結社の会合レポートから新刊句集の紹介と、俳句界の動向が細かな所までテイク・ケアされている。句集はまあたいてい自費出版で、書店配本される本など一握りだ。結社仲間を中心とする知人友人に配れば、あとは商業句誌に献本するくらいしか行く先がない。そして商業句誌は囲み程度の記事であっても取り上げてくれたりするわけだから、句集を出した人は嬉しいだろう。
また短くても書評類は編集部ではなく俳人が書く。無意識にであれ、誰だって雑誌内雑文書きから末は巻頭俳人を目指すようになるわけだ。雑誌に寄与していれば俳壇内で多少いい目を見られたりもする。こういったシステムが小説文壇や自由詩詩壇よりも遙かに緻密に張り巡らされているので、俳人は自分でも意識しないうちに俳壇を〝世界〟だと思うようになってゆく。よく永田町の常識は国民の非常識と言うが、俳壇の常識は今の文学の世界ではかなり非常識だ。
特集に話を戻すと、全ページが一人の作家に委ねられることはまずない。今号には11人の俳人が執筆しておられる。一人平均3ページ弱ということになる。善し悪しは別として、多くの執筆者を連ねて百花繚乱的なページ作りをするのが角川俳句の特徴の一つである。当たり前だがこのページ数では「大特集」ではないし、「季語の〝本意〟」を得ることもできない。ただ初心者とはいえせっかちな大人である読者には、こういった百花繚乱的な雑誌作りの方が訴えかけるものがあると思う。
初心者の心情に戻れば俳句はとっても簡単そうだ。なにせ約五百年ほどの俳句の歴史で最も優れているとされる句が、「古池」や「柿食へば」といった実に単純な作品なのだ。何かのはずみで名句が書けるんじゃないかと考える人は多いだろう。あまり考えずにまず俳句を書いてみようということになる。また結社誌などに投句するにしても三十句程度は詠まなければならない。どうしたって句作が優先されることになる。つまり俳人はいつも創作のヒントを求めているわけで、百花繚乱的雑誌はそういった姿勢に合っている。パラパラめくりながらいろんなヒントを得られる。
ただこの〝考えずにとりあえず詠んでみよう〟という姿勢は俳句文学にとって意外に重要だ。多くの俳人が少年・少女の頃になにげなく詠んだ句を大人に誉められて、俳句に本気になったという経験を持っているだろう。大人の言葉には俳句に興味を持つ貴重な若者を取り込むためのおべっかが多少混じっているだろうが、なにも考えずに詠んだ句がびっくりするほど新鮮で面白いことはしばしばある。だがそこから先が問題だ。
俳句は詠めば詠むほど作品から新鮮さと驚きが失われてゆく。ネタが無くなれば震災などの時事ネタをつまみ食いし、老後や介護といった、自己と家族の日常を平明に写生して句の数を稼ぐようになる。初発の俳句にあった、微かだが実に鮮やかだった新鮮な驚きが手慣れによって失われてしまうのだ。この驚きを取り戻すために俳人は他者の句を読み、〝言葉探し〟をしている面がある。ただある程度俳句に慣れてしまうと驚きを新鮮の次元に高めるのは容易ではない。
言葉から新鮮さが失われるのは、言葉の意味とその使い方の文脈に慣れきってしまうからである。大人になると初心者――つまり若くてあまり知識のない頃にやっていたように、あやふやな意味把握と文脈で偶発的な新鮮さを表現することができなくなるのだ。この壁を越えるには初心者に、子供に還るしかないわけだが、大人になってそれをやろうとすれば、逆説的だが言葉の意味と文脈を極めるほかない。言葉の使い手として技術的頂点に立って、初めて下手と紙一重の新鮮さが表現できるのである。
①霧
ハモニカの吸って鳴る音霧深し 小川軽舟
霧の本意は物をへだててそれとはっきり見えない風情を「景」で感じさせること。秋季と決まったのは平安後期以降という。都会の高層階も霧に包まれるが、本意は自然豊かな山川や野末の風情にある。独りハモニカを吹く少年も秋口の林間の露台にいるのではないか。(中略)胸底に吸うひんやりした粒子の感触すら伝えるよう。本意の「景」が体性感覚にとかされ、繊細無比。
(恩田侑布子「みずからの足場から新しみを」)
①相撲
さる番組で投稿を呼びかけてみて、今までで一番驚いた季語かもしれない。季節を意識していない作品が多かったからです。大相撲が年に何度も中継されるゆえか、実作者にとって季節感がない。というより、各場所の放映が続くうちに、「『相撲』が秋の季語」という感覚自体が消え去ってしまったのではないか。
やはらにか人分け行くや勝角力 几董
この句には、今のようにたくさんの場所がある時代と異なり、相撲が秋の季語だと実感されていた頃の名残がある。豊作・凶作を占う秋の神事としての性格があったからこそ、相撲は季語として残った。近年では草相撲や宮相撲にその色合いが濃く残っている。
(櫂未知子「美しい季語」)
俳句に新鮮さを取り戻すためには、俳人自らがまず驚かなければならない。恩田侑布子さんと櫂未知子さんは、それぞれ驚きのある句を取り上げておられる。ただ驚きの質は微妙に違う。小川軽舟の句はすぐに秋だとわかるが、その肉体的手触りを伝えている。肉体が感受する季節感を、霧(秋の季語)に集約している。これに対して几董の句は、相撲が秋の季語だと言われなければ気がつかない。ただそうだとわかると当時の相撲は野外で行われたから、秋めいた風景の中、大勢の観客に見守られながら、勝ち名乗りを得た力士が悠々と引き上げてゆく光景が浮かんでくる。現代人にとって〝秋〟の一側面を再発見できるような句である。
俳人たちはこういった先行句の意味と文脈を正確に理解することによって、まだ言語化されていない未知の新鮮な表現を見出していかなければならない。それは一つの壁を越えて空白の新鮮な表現地平に出ることである。この未踏の表現領域に出れば、俳人は個性の輪郭を失い、それによって俳句史に消えることのない作家名を刻むことができる。これもまた、俳句が近代以降の現代文学と鋭く対立・逆行するポイントである。その理由は文学の問題として説明できる。それを明確にすれば俳人たち自らが作り出し自ら選んだにもかかわらず、終始苦しめられている俳壇的理不尽からかなり解放されるだろう。
岡野隆
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■