ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
前書きの代わりに ―『少女と銀狐』の翻訳にとりかかった経由
ラモーナ・ツァラヌ
部屋の本棚の上に並んでいる本の中に、ルーマニア語の本が何冊かあり、母国語の単語でつづられた小説や詩が読みたくなる時、その中から一冊か二冊を出しています。『少女と銀狐』は、その中の一冊で、とりわけよく開いている本です。
ドイナ・チェルニカさんに初めて会ったのは、高校一年生の時です。「Crai Nou」(※「新月」の意味)という、地元スチャ―ヴァ市の日刊新聞で文芸欄の編集を担当されていたチェルニカさんはある時、ドイツ人のお友達から届いた手紙を翻訳する人を探していて、私が紹介されました。手紙の翻訳をお渡しした後しばらくお話をしてから、「原稿を書いてくれない?」という提案をいただきました。それがきっかけで記事を書きはじめて、文章を書く仕事に興味を持つようになりました。新聞記者と作家を両立しているチェルニカさんに、文体の面でも、女性記者としての仕事の面でも大切なヒントをたくさんいただきました。
進学の際に、ジャーナリズムではなく、日本語を専攻したいと決めた時、チェルニカさんは私の選んだ道を信じてくれて、応援してくれました。卒業後、留学が決まった時、温かい応援の言葉をそえて、『少女と銀狐』という小説をプレゼントしてくれました。この小説を読みながら、子供のころの自分に出会えるという幸せを何回も何回も味わいました。
ルーマニア文化に興味がある友達に読ませたいと思って、数年前、勝手に『少女と銀狐』の翻訳をはじめました。また、ルーマニア語を流暢に話せる日本人の知人がいて、ルーマニア語の練習のために、『少女と銀狐』を読む会も行いました。その方はルーマニア語が上手で、新聞記事のような文章は簡単に読めるので、文学的な文章に挑戦してみようということになったのです。
『少女と銀狐』をルーマニア語学習者と一緒に読みながら、この物語には、ルーマニア人の世界観、特に自然観が鮮やかに映し出されていること、そしてルーマニアの言葉の特徴やルーマニア文化の根本的な要素がたくさん詰まっていることに気づきました。また、子どものころは知っていましたが、大人になってから使わなくなって、意味を忘れてしまった言葉をしばしば見つけたりすることもあり、自分の「故郷」について面白い発見をするきかっけにもなりました。
客観性をまとった論よりも、一つの物語のほうがルーマニア文化の「心」となるものを率直に伝えることができると信じています。そのため、文学金魚の読者のみなさんにぜひドイナ・チェルニカさんの『少女と銀狐』を読んでいただきたいのです。
イラストは原作のままで、同じくスチャ―ヴァ市で活動されている画家アンナ・コンスタンティネスクによる絵です。物語の文章と一緒に、絵もお楽しみください。
下記、作家のプロフィールとあわせて、チェルニカさんによる文学金魚の読者のみなさんへのご挨拶もお読みください。
ドイナ チェルニカ
ルーマニア人作家、翻訳家、ジャーナリスト。スチャ―ヴァ県出身。1949年生まれ。児童小説をはじめ、紀行文、エッセイ、記事を集めた著作を発表。著作は、ルーマニア人作家連盟やルーマニア人ジャーナリスト連盟による高い評価を受け、国内外で様々な賞を受賞した。
チェルニカ氏による児童小説はフランス語、スペイン語、ポルトガルやウクライナ語に翻訳されている。『少女と亀』は2004年キシナウ国際児童文学祭(モルドヴァ)で表彰され、スペインのアリカンテ大学の授業でルーマニアの現代児童文学を代表する作品として輪読された。『少女と銀狐』は、フランスのティオンヴィル市にあるヨーロッパ芸術文学振興センターによる「トルキーン賞」を受賞(2009年)。
ドイナ・チェルニカ氏は、ジャーナリズム勲章を受賞し、生まれ育った町、ヴァマの名誉市民になっている。フランスのテルヴィル市で、チェルニカ氏の「優れた文体と物語作家としての才能」が高く評価され、文学大賞を受賞。
文学金魚の友達のみなさんへ
ドイナ・チェルニカ
昔々、ルーマニアという国にある山のふもとで、三人の女の子が両親と一緒に小さな家に住んでいました。その町を走る電車の運行を監視していたお父さんは留守がちでした。しかしお母さんは、いつも家で物語をお話する時間を作って、子供たちを楽しませていました。忙しい時は物語が短すぎて、物語をもっと聞きたがっていた姉妹たちは物足りない思いをしていました。そこで、上のお姉さんは自分の想像力を膨らませて、物語の続きを語っていました。文字が読み書きできるようになってからは、自分が生み出した物語の中で一番面白いものを、忘れないように、紙に書きだしました。
この少女は大人になってからも、この喜びを捨てませんでした。大学の友達は詩や小説などを書いていましたが、彼女は物語にしか興味ありませんでした。「おばあちゃんみたいだ」と、小説家を目指していた人たちにからかわれていました。彼女は黙って、ジャーナリストとしての自分の仕事を楽しく続けながら、子供たち二人を育てて、いつのまにか年を重ねて、実際におばあさんになりました。おばあさんというのは、年齢のためだけではなく、本当に孫たちがいるからです。とは言っても、彼女はあいかわらずの物語が好きな少女で、物語を読んだり書いたりしています。
もうお分かりでしょうが、その少女は私です。人生が与えてくれた年相応の知恵を持つようになっても、正直に言って、物語が与えてくれる喜びほど深いものはありません。誰かに聞いた物語、読んだ物語、または書いた物語ほど、長く続く喜びを与えてくれるものはありません。お水と同じように、物語の本は欠かせないものです! 両方とも、私たちの生を支えてくれるものです。
七、八歳の頃、ある遠く離れた国の物語の本を読みました。物語は渡り鳥ですからね! 世界のあらゆる場所にたどりつけるものです。その物語にあった素晴らしい出来事にただただ見とれていました。登場人物たちの珍しい名前や、桜を愛していた彼らの心、菊のような姫たちの美しさや長寿の亀たちの知恵などは、私に大きな感動を与えてくれました。作家の名前は覚えていませんが、もしかすると民族童話集だったのではないかと思います。いずれにせよ、その物語集が生まれた国の名前は一生忘れません。それは日本です。
文学金魚の友達のみなさんにここで伝えたいのは、自分が一番望んでいること、それはこれから『少女と銀狐』を読んでくださるみなさんがこの物語が好きなったら、登場人物や作家の名前よりも、私が物語を読み、物語を書いている国の名前のほうを覚えてくださることです。この国では、日本と同じように、物語が愛され続けています。
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