『アンダーワールド』2003年(米)
監督:レン・ワイズマン
脚本:ダニー・マクブライド
キャスト:
ケイト・ベッキンセール
スコトオ・スピードマン
シェーン・ブローリー
マイケル・シーン
ビル・ナイ
上映時間: 121分
ヴァンパイア(吸血鬼)とライカン(狼男)の攻防を現代版として描いたアクション映画。派手なCGを扱うことなく、実写の狼男やワイヤー・アクションなど重厚感のある特撮技術で見せる本作は、クールでダークな世界観やケイト・ベッキンセールのアクションを魅力としている。しかし何よりも興味深いのは、本作に根付くゴシック・ロマン的主題ではないだろうか。すなわちケイト・ベッキンセール演じるセリーンという〈ゴス少女〉と保守的な価値観を持つ〈ブロンド一家〉との対立という家族内の闘争である。
■ゴス的性格のヒロイン■
本作の主人公セリーンは、一見すると黒タイツの戦闘服に身を包んだ女戦士のように見える。しかしレン・ワイズマン監督が「僕はどこかゴスの世界に惹かれるんだ」と述べているように、彼女を典型的な「ゴス」と読むこともできるだろう。
では「ゴス」とは何だろうか?その答えを知るにはゴス(Goth)の語源である「ゴシック・ロマン」について語らなければいけない。そもそもゴシック・ロマンとは18世紀から19世紀にかけて登場した小説ジャンルを指し、産業革命によって急速に近代化する英国社会に疎外感を抱く人々の虚無感や狂気、妄想、あるいは狂気的ロマンスに燃える人物をゴシック建設の屋敷や古城と共に描くのを特徴としている。代表作としてはアン・ラドクリフの『ユードルフォの謎』(1794)やメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818)、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897)、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』(1847)などが挙げられるだろう。
このゴシック・ロマンの雰囲気と精神は1980年代の英国に登場した「ゴシック・ロック」という音楽に引き継がれてきた。スージー&ザ・バンシーズなどを筆頭としたゴシック・ロック(あるいはポジティヴ・パンク)のアーティストは全身黒服に身を包み、いかにもゴシック・ロマン的歌詞でダークなサウンドを奏でて一部の若年層に人気を博した。そして「ゴシック・ロック」と「ゴシック・ロマン小説」を敬愛する者たちが社会に浸透し、彼・彼女たちは〈ゴス〉と呼ばれるようになったのである。
ゴスの人々は大抵長袖の黒スーツやタイツで身を包み、黒のマスカラなどで死と恐怖の雰囲気を演出する。またアメリカの伝統的価値観となる日焼け肌やブロンドへの反抗として髪を黒に染め、顔を白塗りにするのが特徴だ。
ここでもう一度本作の主人公セリーンを思い浮かべてほしい。顔を完全な白塗りにしたり、ゴス・メイクをしたりするとケイト・ベッキンセールの美貌が失われるので、化粧におけるゴス表現は極力抑えているものの、セリーンの黒タイツやショート・カットの黒髪、鋭い反社会的な目つき、薄白い肌を見れば、本作がセリーンにゴスのモチーフを採用していることがわかる。また日本の「ゴスロリ」とは違って、本格的な「ゴス」は、その特徴的な服装とメイクを「衣装」や「勝負服」ではなく、ライフ・スタイルにしているため、一日中ゴス・ファッションに身を包むわけだが、本作のセリーンもまたドレスの着用を頑なに断り、いかなる時でもゴス・ファッションで通していることにも注目されたい。こうしたファッションにおける記号や彼女の頑なこだわりから、本作がゴスの女戦士を主人公にそえていることがわかるだろう。では、なぜそこまで本作は主人公のゴス的性格を強調するのだろうか?女戦士であれば、(例えば戦闘服として黒タイツに身を包む『マトリックス』(99)のトリニティのように)非ゴスではなくても良いはずである。戦闘服として黒タイツに着替え、女戦士として活躍する。その方が一般的だ。だが前述したように本作は徹底してセリーンのゴス的性格を強調する。この背景には本作の「ゴス的葛藤の主題」が潜んでいるように思われる。ではゴス的な葛藤とは何だろうか?それは主人公セリーンの周りを取り巻くファミリーに確認することができるだろう。
■ファッションに見るファミリー内の確執■
ゴシック・ロマンの傑作『ドラキュラ』に登場するヴァンパイア・ドラキュラ伯爵というブルジョワが古城に住んでいるように、セリーンが住んでいるのは、ゴシック・ロマン的な屋敷である。序盤でセリーンが屋敷の広間を通るシーンでわかるように、その屋敷にはファミリーとして暮らす他のヴァンパイアたちが映し出される。彼女たちは皆セリーンのゴス的ファッションとは対照的に、エレガントなドレスに身を包み、そのほとんどがブロンド(金髪)。こうしたドレス&ブロンドという記号は彼らが階級制度を重んじる保守的なブルジョワ貴族であることを示していると言えるだろう。その一方で主人公のセリーンは、黒髪、ダーク・タイツ、黒のコートという典型的なゴス・ファッションに身を包んでおり、彼女がファミリーの中で一際浮いた存在であることが視覚的に表現されていた。
またセリーンが、屋敷の主人であるクレイヴンから何かと厄介者扱いされ、反抗的であると一喝されているところからも彼女のゴス的性格を見ることができるだろう。しかしこうした彼女の孤立と反抗は、決して不思議なことではない。なぜなら、彼女はゴスなのだから。
そもそもアメリカの少女がゴスになるのは、彼女自身が家庭環境に不満を持ち、学校内のヒエラルキーやアメリカ社会の上昇志向に反発しているからに他ならない。だから彼女たちはアメリカで良しとされているブロンド・ヘアや慎ましい洋服、エレガントなドレス、そばかすのある日焼け肌というものにファッションやメイクで徹底して反抗するのだ。
だからセリーンは、ヒエラルキーや階級制度を重んじる保守派のブルジョワ(ヴァンパイア)に属しながらもブルジョワであることを嫌い、反保守的な「ゴス」として貴族社会に反抗するのである。当然のことながらゴス・ファッションに身を包む厄介娘を抱えたヴァンパイア一族は彼女の反社会的態度や強烈な反抗精神に困惑するほかない。
そんなセリーンが狼男を暗殺するハンターであることも彼女のゴス的性格の表れであろう。なぜなら狼男を殺害するという汚い仕事をブルジョワがするわけもなく、セリーンは自らがハンターの仕事に熱中しながらも仕事を通してブルジョワ社会に埋没することを嫌い、自らのゴス的性格を強めていくのである。
こうしたセリーンに見て取れる強調されたゴス的性格は、本作をアクション映画にしながらも、「ゴスVS保守派」という対立を劇的化してくれる。この二者の対立がもっともよく表れているのは、本作の主要なロマンスとして描かれ、話が展開する大きなきっかけ、あるいは闘争の根源となる「異人種婚の問題」ではないだろうか。
■ゴスが挑む反保守的ロマンス■
ゴシック・ロック音楽の代表的存在であるマリリン・マンソンの歌の中でしばしばセックスやビッチ、という卑猥な言葉が連呼されるように、ゴスは保守派から一般的にタブーとされている事柄に関して徹底した反発を繰り返す。それはロマンスにおいても言えることだ。
オープニングにおける地下鉄のアクションでゴス戦士のセリーンが人間の男性に惚れる瞬間をスローモーションと微かな視線によって表現していたわけだが、ヴァンパイアのゴスが人間という異人種を好きになることは、保守的なブルジョワによって頑なに禁じられている。ヴァンパイア一族のリーダーであり、セリーンに頭を悩ませるクレイヴンが、ゴス女のセリーンに怒り心頭するのは、彼女が人間(しかも彼は後に狼男となってしまう)という異人種に惚れていることが判明する時だ。それは伝統的なブルジョワ一家の娘が、黒人や黄色人種に惚れるようなもの。だからクレイヴンは彼女を屋敷に隔離し、一歩も外に出さないようにする(それはまるで身分の違いの恋に燃えるブルジョワの娘を引き留める貴族のようだ)。
また復活した長老ビクター(ブロンド・ヘアの保守的貴族)も娘のように育ててきたセリーンと異人種との結びつきは大変に重大な罪だと彼女を罰し、代々と受け継がれてきた復活の儀式のルールを破ったことに対しても憤慨する。その様は、ブルジョワ一家とゴス少女の対立、すなわち家族内における確執と闘争に他ならない。
しかも興味深いことに本作は、セリーンという一人のゴス女だけで「革新派(ゴス)と保守派」の対立を描いてはいない。ヴァンパイア一族の長老ビクターの過去にも同じように、異人種婚の問題が過去にもあったことが終盤に明かされるのだ。
それは長老ビクターには第二の娘としたセリーンを手に入れる前に、愛娘(ブロンドであり、ドレスに身を包んだ典型的な貴族娘)が当時奴隷として扱っていた狼男ルシアンに恋をしていたというもの。しかもルシアンは、狼男という異人種であるだけでなく、黒髪&シルバー・アクセサリーというパンク的ファッションに身を包んだ男でもあり、ここでもセリーンと同様に「ゴスとブロンド」のロマンスが視覚的に表現されていた。
また狼男(ゴス、異人種)とヴァンパイア娘との恋は、長きにわたる狼男とヴァンパイアの戦争が勃発したきっかけであり、本作の主要な物語展開が「保守派VSゴス」「異人種婚問題」という保守的スキャンダルによって支えられているということが伺える。つまり長老ビクターは第一の娘だけでなく、第二の娘として手に入れたセリーンにおいても異人種婚の問題に悩まされているのである。こうしたいかにもゴシック・ロマン的主題は、セリーンと元人間であった狼男マイケルの異人種婚成立によって、より一層強調されていくから巧妙だ。
■異人種婚の成立■
狼男のリーダーであり、かつてヴァンパイアの長老ビクターのブロンド娘と異人種婚を結ぼうとしたルシアンが、狼男とヴァンパイアの血を混ぜた混血種となろうとしていることが中盤で明かされる。混血の話を聞いた時、長老のビクターは「あり得ぬ」と純潔が守られないことを徹底して拒否する。すなわちビクターにとって混血とは、反保守的行動の究極であると受け止められ、ブルジョワにとっては混血種の存在は、ヴァンパイア一族の気高さを損なわせることになるのだ。
だからパンク的ファッションに身を包んだルシアンは、混血によって長老ビクターを倒す強大なパワーを手に入れることだけを目的とはしていない。それはルシアンが死ぬ間際、セリーンと狼男が交わるのを見て、「私の想いは達成された」と呟くことからもうかがえる。この台詞は、彼の最大の望みが、パワーではなく、異人種同士が結ばれること、すなわち「伝統的な価値観への反抗と脱却」であることを示している。それは至ってゴシック・ロマン的主題であり、ゴス的な反抗ではあるまいか。
実際に、異人種同士の交わりを望んだ狼男側のリーダーである彼の望み通り、セリーンは異人種である狼男にキス(噛みつく)をして交わるわけだが、こうした異人種婚の成立は、ブルジョワ的な階級社会の崩壊を意味しており、長老ビクターは二人を執拗に引き離そうとする。しかし時すでに遅し。彼らが交わったことで、ゴス女のセリーンが恋した男マイケルは混血種となって(マイケルの髪はブロンドからゴスの象徴でもある黒髪へと変化し、全身はゴス・ファッションの典型である黒色となる)純潔を保持しようとする保守的なブルジョワを脅かす。
その瞬間「伝統的な価値観を反転させられた長老」と「混血となった男」とのアクションは、ただのアクション・シーンではなくなるだろう。彼らのアクションは「ブルジョワVSゴス」、「保守VS革新」の対立とも読み取れる主題論的アクションとして位置付けられるのだ。
つまり本作は、異人種婚に真っ向から反対する「保守的な貴族(長老層)」と「反保守的なゴスの若者たち」との対立を壮大なレガシーとして描いたアクション映画なのである。そうした異人種婚をめぐるブルジョワ的な価値観への強烈な批判と反骨精神は、いかにもゴシック・ロマン的であると読むことができよう。
これまでもゴシック・ロックをこよなく愛するジョニー・デップが演じた『シザー・ハンズ』(90)やゴス少女が狼人間に噛まれることで性欲を爆発させる『ジンジャースナップス』(00)などゴス映画は過去にもあったが、本作ほどゴシック・ロマン的な主題とゴス少女を前面に打ち出し、アクションと絡めた作品はこれまでになかったように思われる。本作はまさしく、狼男とヴァンパイア、そして洗練されたアクションにゴス的な諸問題(伝統と反逆)のイメージを絡めた主題論的アクション映画の秀作と位置付けることができるだろう。
後藤弘毅
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■