『プロメテウス』Prometheus 2012年(米)
監督:リドリー・スコット
脚本:ジョン・スペイツ、デイモン・リンデロフ
キャスト:
ノオミ・ラパス
マイケル・ファスベンダー
シャーリーズ・セロン
イドリス・エルバ
ガイ・ピアース
上映時間:124分
■ボディ・ホラーの集大成■
マヤ、メソポタミア、エジプトなど接触のないはずの場所や時代に描かれた古代壁画に、共通したサインを見つけた調査団は、サインが示す惑星に人間を創造した地球外生命体(創造主、クリエイター)がいると推測し、ウェイランド社のプロメテウス号に乗って謎の惑星へと旅立った。実際にその惑星には、彼らの想像を凌駕する知的生命体が存在しており、生命体のサンプルを船に持ち帰るのだが…。
一見すると、「未来的で想像的な科学技術や特撮技術によって驚嘆の喜びを与えることに重点を置く映画」、すなわちSF映画の形態を取りながら、「人類の起源」という壮大なミステリー要素を醍醐味にした作品のように思われる。
しかし実のところ、本作『プロメテウス』の最大の価値は、ボディ・ホラー映画の系譜に擬えながら到達点とも言える巧妙な表現性によって、ボディ・ホラー的恐怖を巧妙に表現したところにあるのではないだろうか。
そもそもボディ・ホラーとは、身体が極度に変容したり、破裂したりする様を見せることで、アイデンティティ崩壊の恐怖を表現するホラー映画のサイクルを指す。代表作としては、実験の失敗で蠅のDNAと融合してしまった科学者の恐怖を描いた『ザ・フライ』The Fly(86)や狼男に噛まれたことで狼男に変身してしまう様をバイオレンスとコメディで描いた『狼男アメリカン』An American Werewolf in London(81)『ハウリング』The Howling(81)、肉体が変容していく様をグロテスクな描写と混乱的世界観で描いた『ビデオドローム』Videodrome(82)、そして腸をぶち破って、体内からエイリアンが飛び出す様や体内に卵を宿されるレイプ的イメージを表現した『エイリアン』Alien(79)などが挙げられるだろう。
この奇妙な作品群は、特殊メイク・アップの技術向上やスプラッター映画の潮流の中で生まれたサイクルであり、70年代から80年代にかけて盛んに製作されたが、近年ではCGIの発展によって、その影を潜めたと言われている。しかし2012年。『プロメテウス』は古典的ボディ・ホラー『エイリアン』の前哨譚として、ボディ・ホラー的イメージを幾度となく露出させ、集大成的な恐怖表現を見せてくれた。
では一体ボディ・ホラー的イメージとはどのようなイメージなのか。また従来のボディ・ホラー映画の恐怖表現形式とはどのように異なるのだろうか。「人類の起源」とは離れて、SFミステリーとして宣伝されている『プロメテウス』のボディ・ホラー的表現性に迫っていきたいと思う。
■ボディ・ホラー的イメージ■
ボディ・ホラー映画の代表作『ザ・フライ』では、科学実験の失敗で蠅のDNAと融合してしまった科学者が、己の肉体変容に気付かぬまま恋人とセックスをしてしまう。彼女は妊娠するが、お腹にいる子供が通常の人間ではないことに気付き始める。『ザ・フライ』では最終的に巨大な幼虫を出産してしまう、という悪夢が描かれており、『ザ・フライ』の異物侵入と肉体変容の恐怖は、しばしばエイズ感染の恐怖を表現したものだと評価されてきた。その一方で、『ザ・フライ』は科学者の顔面が変容していく様をグロテスクな特殊メイクで見せていて、鏡に映る彼の姿はあまりに悍ましいことで有名だ。
そうした『ザ・フライ』の影響を少なからず受けたであろう『プロメテウス』では、「感染」「性行為」「伝染」「異形の出産」という異物侵入の恐怖が『ザ・フライ』よりも強調された形で表現されている。
マイケル・ファスベンダー演じるアンドロイドが惑星のピラミッドで発見した筒を持ち帰り、筒の中から出てきた黒い液体を指の上に乗せてしばしば眺めるシーンに注目されたい。劇中でしばしば重要なモチーフとして登場する黒い液体は、明らかに血のイメージであり、黒という色彩は悪魔的で病的なイメージを表現しているようだ。そうした「血」と「悪魔的で病的」という二重のイメージは、エイズ的恐怖を体現していることは言うまでもないだろう。
実際に黒い液体を体内に取り入れてしまったことで感染者となった登場人物の一人は、自分が感染していることも知らずに、恋人とセックスをする。そうした「血」と「性」と「感染」のイメージは、エイズ的恐怖を表現したものであり、『ザ・フライ』が演出した恐怖とよく似ていることも指摘すべき事柄だ。
又、目が覚めた感染者が変容していく自分の姿を鏡に見てしまうシーンは、明らかな『ザ・フライ』からの影響を見て取れる。このシーンは確かに生理的嫌悪をもたらすが、我々はそこに『ザ・フライ』のような肉体変容の悍ましさを見出し、肉体の脆さ、そしてアイデンティティ喪失の恐怖を見ることになるだろう。この「異物侵入の恐怖」や「急激な肉体変容の恐怖」は、典型的なボディ・ホラー的な恐怖であり、〝ボディ・ホラー的なものの回帰〟とも言うべき恐怖表現だったように思われる。
だが本作は『ザ・フライ』のような静かなる肉体変容だけに止まらず、感染者であることに気付いた周りの反応によってもボディ・ホラー的イメージを強めていた。例えば、「感染した」「俺たちも感染しているんじゃないか?」「隔離せよ」「感染の可能性があるから船内にいれるわけにはいかない」といった混乱の叫びがそれである。己も彼のように感染し、肉体変容を起こすのではないか、という怖れの表現であり、そうした狂気的混乱は、肉体侵入と肉体変容の恐怖をより誇張したものとして読み取れるだろう。さらにシャーリーズ・セロン演じる冷徹な管理官が、火炎放射器で感染者を焼き殺すという「感染病者に対する野蛮な処置法の誇張」もボディ・ホラー的恐怖をより一層強める機能を持っていたように思える。
本作が繰り返すこれらの「異物の侵入」と「肉体変容」のイメージからも想像できるように、『プロメテウス』は(人類の起源ではなく)ボディ・ホラー的恐怖表現に力を注いだ作品、すなわちネオ・ボディ・ホラーとも言うべきサイクルの復活を予感させる作品と言えるだろう。
しかし真に驚嘆すべきは、肉体侵入と肉体変容というボディ・ホラー的主題を恐怖表現に絡めたことだけではなく、その恐怖表現をグロテスクな描写だけに頼らず、俳優の驚愕反応の表現によって構築していたということだ。
■グロテスク描写よりも心理表現■
本作の恐怖表現が他のボディ・ホラー映画における恐怖表現と一線を画していると筆者が考えるのは、被害者たちの悲鳴と連続的な台詞、徐々に狂乱していくダイナミズムによって恐怖を表現している点にある。
例えばモンスターを身体に宿してしまい、堕ろすために医療ポッドへと向かうヒロインの身体表現を見れば、恐怖表現における反応の表現が、いかに重要視されているかがわかるだろう。スクリーンにはまだ〝不気味なもの〟は映し出されているわけではないし、腸が蠢いているわけでもなく、ただ子宮のあたりを抑えて医療ポッドへと向かうヒロインが映し出されているだけだ。にもかかわらず、我々が彼女の子宮にいる〝何か〟に怯えるのは、偏に彼女の身体表現があったからだ。身震いする彼女の表情や身体性、「取り出して!」という狂気的な母親の叫び。全てが我々の想像力を刺激し、アイデンティティ崩壊の世界へと導いてくれる。
またピラミッドの中で道に迷った男性2人が蛇のような形をした生き物に遭遇し、襲われるシーンでもグロテスク描写のみならず、彼らの驚愕反応によって恐怖を表現していることが、重厚に響き渡る悲鳴と台詞の連続性とダイナミズムから読み取れるだろう。
妖艶に彩られた原色の照明と恐怖に慄く俳優の演技が恐怖を醸し出すシーンは、感染者となったヒロインの恋人が変容するシークエンスにおいても確認することができるし、鏡に映った瞳に寄生虫が蠢く姿を観た時の驚愕反応にも見ることができる。本作における驚愕反応の恐怖演出は枚挙に暇がない。
そういう意味でも「異物侵入の恐怖」や「肉体変容の恐怖」を(グロテスクな描写だけで彩るのではなく)俳優の身体性と巧みな演技によって構築していく『プロメテウス』は、俳優の演技、従来のボディ・ホラー映画から拝借したボディ・ホラー的主題が見事に呼応した秀作であり、ボディ・ホラー映画のメルクマール(到達点)とさえ言えるだろう。
また90年代においてほとんど死滅したと思われたこのサイクルが、リドリー・スコットという巨匠によるハイ・バジェットのハリウッド超大作で、現代に蘇ったことには大変な意義がある。本作を皮切りに、濃厚な主題、濃密な役者の演技によって構築された恐怖を魅せる新たなボディ・ホラーの系譜が進行されることを願いたい。
後藤弘毅
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■