Interview:金守珍(キム スジン)インタビュー(1/3)
金守珍(キム スジン):昭和29年(1954年)東京生まれ。東海大学電子工学部卒業後、蜷川幸雄スタジオに在籍。唐十郎主宰の状況劇場の公演を見て衝撃を受け、状況劇場に移籍する。状況劇場解散後の昭和62年(1987年)、劇団・新宿梁山泊を旗揚げする。演出を手がけながら役者としても舞台に上る。梁山泊では唐十郎作品とシェイクスピア作品を上演することが多い。また梁山泊の女優・水嶋カンナが平成18年(2006年)に立ち上げ、宇野亜喜良が総合美術を担当するProject Nyxでも演出を手がける。映画監督作品に『夜を賭けて』、『ガラスの使徒』がある。『千年の孤独』でテアトロ演劇賞、第57回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞、第43回日本映画監督協会新人賞などを受賞。
新宿梁山泊は様々な作品を上演して来たが、近年は寺山修司、唐十郎というアングラ演劇を代表する作家の上演が増えている。特に唐作品では『ジャガーの眼』、『二都物語』、『新・二都物語』に唐氏の息子の大鶴義丹氏が出演し、『少女仮面』満天星公演では娘の大鶴美仁音氏が、昨年のスズナリでの『少女仮面』は状況劇場の看板女優・李麗仙氏が春日野八千代役で出演した。また今年のシアターコクーンでの『ビニールの城』は、お亡くなりになった蜷川幸雄氏に代わって金氏が演出を担当した。はっきりとアングラ演劇を継いでゆく姿勢を打ち出された金氏に、その真意をインタビューさせていただいた。なおインタビュアーは鶴山裕司氏である。
文学金魚編集部
■ 新宿梁山泊について ■
金魚屋 金さんが主宰なさっている劇団新宿梁山泊は、このところ唐十郎さんや寺山修司さんの戯曲を立て続けに上演しておられます。しかもその質がとても高い。これは金さんのアングラ演劇の理解が正しいからだと思います。二〇一〇年代の現代になって、一九六〇年代、正確には七〇年代に花開いたアングラ演劇の重要性がますます増していると思います。アングラ演劇は海外ではANGURAと表記されるくらいポピュラーになっていますが、宇野亞喜良さんにインタビューさせていただいた時もそういうお話が出ましたが、最も正統にアングラ演劇を継承しておられるのは新宿梁山泊さんだと思うのですが。
金 いや、そんなことないですよ。でもアングラ演劇は最初は風俗として始まって、みなそういうはかない風俗劇だろうと思っていた。風俗は長くて三十年、早ければ二十年くらいで跡形もなく消えてしまうものですよね。だけどそうはならなくて、今ようやくアングラ第一世代が終わろうとしている。唐さんや寺山さんを第一世代として、今までは第二世代、第三世代と世代分けしていたんです。つかこうへいさんとか岡部耕大さんや山崎哲さんがアングラ第二世代と呼ばれたりしてね。野田秀樹君がアングラ第三世代。鴻上尚史君やケラリーノ・サンドロヴィッチさんは、第四世代とか第五世代と言われていました。そういう形でアングラの系譜のようなものが語られていたんだけど、それもナンセンスな話でね。アングラ第一世代はまだ終わっていないし、これから現れるかもしれない第二世代はまだ出て来ていないと思います。その過渡期に僕らがいるわけですが、その第二世代に橋渡しをするためにはアングラを文化として継続していかなければならない。僕の中には百年経たないと文化にならないという思いがあってね。僕が百年演劇をやれるわけでもないけど、次の世代をちゃんと育ててアングラ演劇を受け継がせなければならないという思いはあります。そういう自負を持ってアングラ演劇をやっているという面はありますね。
金魚屋 今年の八月に渋谷のシアターコクーンで金さん演出の唐さんの戯曲『ビニールの城』が上演されました。蜷川幸雄さんが演出されるはずだったのですが、お亡くなりになって金さんが演出を担当されることになった。蜷川さんがお亡くなりになってからいろんな記事が出ましたが、その中にアングラ第一世代が終わろうとしているという内容のものがありました。でも確かに今はアングラ第一世代が終わろうとしているだけですね。
シアターコクーン・オンレパートリー2016
芸術監督 蜷川幸雄・追悼公演
『ビニールの城』ポスター
作:唐 十郎 演出:金 守珍 監修:蜷川幸雄
金 僕は新宿梁山泊の旗揚げの時に、第三エロチカの川村毅君に台本をお願いしたんです。新宿梁山泊は固定した作家が台本を書くんではなく、渡辺えり(旧芸名・渡辺えり子)さんとか川村君に書いてもらったりして、脚本を選んで劇を上演していたんです。というのも新宿梁山泊は役者集団で、役者が中心になる劇団というコンセプトで立ち上げた劇団なんです。僕は川村君ががまさにアングラ第二世代の作家かなと思っていた。だけどちょっと違うなという感じがありましてね。
金魚屋 新宿梁山泊は金さんが役者であるというのが大きな特徴だと思います。蜷川さんは役者をやめて演出一本で活動され、唐さんは座長で劇作家で役者でした。金さんは役者で演出家だというそれぞれ際立った特徴があります。
金 ほかに演出する人がいないから、やってるようなものだけどね(笑)。
■ アングラ演劇について ■
金魚屋 今日はProject Nyxの第15回公演『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』の合間にインタビューさせていただいていて、舞台も拝見しましたが、寺山戯曲の解釈としてすごく正しいと思いました。寺山さんはパッチワークでしょう。いろんなものをパックワークして、答えはわかっていても次々に質問をぶつけて遠回りしながら劇を膨らませてゆく。今回の舞台はリアルで良質の寺山映画を拝見したように感じました。それは金さんの寺山演劇の解釈が正しいからだと思います。
Project Nyx 第15回公演
『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』ポスター
作:寺山修司 美術:宇野亞喜良
構成:水嶋カンナ 演出:金守珍
金 寺山さんの毒とか泥とか、いろんなものを洗い落としたのが今回の『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』です。純心な寺山を取り出した作品かな。毒を撒き散らしたり見せ物的なものを入れたりするのは彼の照れなんですよ。それが人よりも過激だった。なぜかというと、彼は常に死に神がお友達として横にいた。唐十郎は梅毒という恐怖の病気がそばにいたわけです。作家のそばに日常生活を安心して送れない要素があったわけで、それは演劇ではとても大事な要素かなと思います。常に追い詰められてゆく、常に恐怖があるわけです。そういうところからアングラ演劇が生まれていったと思います。
戦後の日本は徹底して西洋の物真似でしたね。戦争に負けたんだから当然と言えば当然かもしれないけど、民俗主義的に言えば日本人を捨てて、なんでもいいから西洋のものが正しいという姿勢で真似をし始めた。経済も文化もそうでしたが、特に演劇の世界では鼻を高くして、髪を染めてまでチェーホフやシェイクスピアの演劇をやった。考えてみればとても滑稽なことでもあります。
だけど寺山さんや土方巽もまた、最初は西洋に憧れて、徹底してその文化を吸収しようとしたんです。でもどっかイモ臭い。都会の洗練されたものがないし、訛もひどい(笑)。また当時は日本の中でさえも、東北人が持っているコンプレックスは大きかった。彼らはとことん西洋の模様をしたんだけど、だんだん自分ができることって何なんだろうという方向に向かっていった。そうなった時に、やはり足元を見たんですね。ヨーロッパのバレエでは、ニジンスキーのように神をめがけてどこまでも高く跳躍しようとする。でも日本には西洋のような神様はいない。だから地を這って、お経のような調べの中から何かを吸い上げるような暗黒舞踏が始まっていった。その中にはもちろん怨念の吸い上げも含まれます。捨てられて、忘れ去られた人々を甦らせるような感じです。物申す死者たち、その死者たちの語りを聞いて、語り部になってゆく。寺山さんも唐さんも土方さんも現実にいるものではなくて、古くから続く永遠なるものを表現しようとしたんだと思います。見えないものと対話してそれを構築していったというかね。
だからアングラ演劇というものは、僕らが見て理解しているものではなく、それを上回るような見えないもののイメージを表現しているんです。それはとても恐ろしいものだと思います。だけどそこには未来への希望も含まれている。そういう見えないものを相手にしている演劇だから、一般的には理解しにくいんでしょうね。だけどアングラ演劇の内容はけっこうシンプルなんです。
さきほどパッチワークとおっしゃったけど、劇の中に、今ある現実をシャボン玉のようにいろんな側面から映し出してゆく。そして観客が百人いたら、それぞれが自分の串をもってそのお団子のような球体を刺して、それぞれのやり方でドラマを理解してゆく。百人いたら百通りの読解、誤読があってもいいような演劇なんです。評論家がこう言ったからそうなんだと、一つのストーリーを共有するんじゃなくて、観客それぞれがストーリーを持つ演劇です。観客が日常で使っていない脳みそをフル動員しながら、こうじゃないか、ああじゃないかと考えてゆく。ワハハと笑って家に帰って忘れちゃうような劇ではなくて、「なんだったんだろう」という引っかかりが残る劇です。アングラ演劇は世の中から忘れ去られたり、自分の中で眠っていたりするものを呼び起こすきっかけです。いろんなものを放射するわけですが、劇が放った光が当たった人たち、その光を共有できる人たちが、次の創作に向かって行ったりもするんですね。
アングラのすごいところは「わけわかんなかったけど面白かった」、「あれはなんだったんだろう」と思わせるんですが、はっきりした答えがないところです。また演劇は一回表現したらそれで終わりです。記録に残らないで消えてしまう。だからこそアングラは、人間が生きている限り、次々に生み出しては過去になってゆく創作活動の糧になり得る。それは最終的には人間の死で終わってしまうものですが、人間は小さな生と死をずっと繰り返しているんです。寺山さんも唐さんも大きな死に怯えながら小さな死を描いた作家だと思いますが、特に唐さんの場合、堕胎児がひんぱんに現れるのがとても面白い特徴になっています。
堕胎児は死者じゃなくて、五ヶ月で人間になりかけて流された子供たちです。その堕胎児が劇の主役になる。唐さんの全作品を読んでも、堕胎児に、あるいは途中で流されちゃった者たちへの執着があると思います。たとえば満州モノで言うと、唐さんはシェイクスピアのように洒落好きだから、あれはマンの匂いだということになる。人間はそこに戻りたい。だから日本人は満州に向かったんじゃないかということになる(笑)。また北朝鮮と中国の国境に豆満江という川が流れています。朝鮮語ではトゥマンガンで、日本語読みではズマンコですね。それを『愛の乞食』という劇で使って、マンジュシャゲという少女が夜な夜な公衆便所で飲み屋を開く。そこには金歯を強奪してきた海賊たちが集まる。もちろん唐さんの戯曲ですから、上海にイメージが飛んだり、戦争の時の日本軍の悪夢が入り交じったりもします。ただ唐さんの満州というか、マンへの執着は強いですね(笑)。オジサンが満鉄の職員だったという影響もあるようです。唐さんのイメージの中では、満州に行った人たちは日本に帰れないままさまよっている。
僕は新宿梁山泊の代表作は、唐さんの『少女都市からの呼び声』だと思っています。僕はあの劇でドクター・フランケ醜態を演じました。醜態をさらすフランケです(笑)。満州でオテナの塔を夢見ている少女の話です。そこに行き着くために吹雪の中を行軍してゆくんです。
僕がなぜこの戯曲が好きかというと、僕が在日だということと関係があると思います。祖国をどこに持っているかわからない。日本で生まれて育ったから日本が祖国だし故郷なんだけど、移民じゃないものですからね。そうするとオヤジたちの「いずれ祖国に帰るんだ」という思想のようなものが染みついている。だけどその帰るべき祖国は、別に実在の国とかではないんです。国籍が朝鮮だということでね。でも日本人かと言われれると違う。決められたくない。実体がないんです。ある意味、堕胎児のようなものです。さまよっているんですね。でもそういう存在があってもいいんじゃないか。堕胎児でさまよっているから自由に動けるし、自由に発想できる面もありますから、なんて心地いいんだろうとも思います。もちろん何かあるとすぐに差別対象になるし、国家間で紛争になれば、真っ先にやられるのは僕らだろうなとも思います。でも逃げ足早いからなとか思ったりして(笑)。で、「何人なんですか?」と聞かれると、キムスジンと僕は答えたりしてるんです。時々自分のことを地球人だと言う人もいますが、それは無責任だと思います。自分が置かれた環境を、まずちゃんと受け入れて、そこから発想していきたい。そういう面でも唐十郎作品が僕には合っているんですね。
金魚屋 人間は生まれてくる時と場所を選べないですからね。
金 親もね(笑)。
■ アングラから小劇場の時代へ ■
金魚屋 新宿梁山泊さんは、毎年恒例の新宿花園神社でのテント公演で、『ジャガーの眼』、『二都物語』、『新・二都物語』と立て続けに唐さんの戯曲を上演されました。『二都物語』と『新・二都物語』は日本と朝鮮の間を行き来する物語ですが、今は一昔前よりも差別問題にとてもうるさいでしょう。『二都物語』も『新・二都物語』も朝鮮差別と取れば取れないことはない。唐さんは作者ですから問題ないと思いますが、あの戯曲を日本人が上演すると、いろいろ言う人が出て来そうな気がします。金さんだから、あの戯曲を上演しやすいという面があると思うんですが。
金 韓国で『少女都市からの呼び声』を上演したこともあるんです。あの劇には「連隊長だ」とか言って日本軍が出てくる。それは僕だからできるんでしょうね。やっぱり日本人がああいう劇を韓国で上演すると、大変なことになっちゃうんだろうなぁ。『少女都市からの呼び声』は、ちょうど唐さんが右翼だと言われていた時期の作品なんです。
金魚屋 唐さんが右翼ですか(笑)。
金 ぜんぜん右翼じゃないんですよ(笑)。でも戦争のイメージとかをよく使っていた時期なんです。唐さんの『吸血鬼』でも、男装の麗人でスパイの川島芳子とかが出て来るわけです。だけど唐さんの兄貴分は足立正生さんで、若松孝二さんがポン友だからね。彼らはパレスチナまで行って連合赤軍に合流したわけだけど、過激な左寄りのところにいながらも、右でも左でもない、さらに過激な作品を作った映画監督であり脚本家、演出家たちです。左翼といえば、戦後の新劇には啓蒙的左翼作家とか俳優がたくさんいたわけです。アングラはそういった左翼ではなく、もちろん右翼でもなく、右でも左でもない立場で過激なことをやろうとしたムーブメントです。演劇の中に、社会から、あるいは政治のうねりの中で捨てられた者たち、忘れられた者たちの叫びを持ち込んでいるわけです。だから唐戯曲は僕のように在日で、狭間にいる人間にとっては心地良い作品で、答えはないけどそこに自分の身を置ける瞬間がある。そういった瞬間が日常言語の世界にあるということで勇気をもらえます。日本の演劇っていいなと思えるし、住み心地がいいんですね。
金魚屋 アングラはアメリカのアンダーグラウンドから来ているという説があります。だけどアメリカン・アンダーグラウンドはルー・リードとかで、日本のアングラは夜店とアセチレンランプの雰囲気がある。考えてみれば変なことですね(笑)。
金 でも唐さんたちは、自分たちをアングラと言ったことは一度もないんです。アングラというレッテルを貼られちゃったんです。ただ当時はアングラとアジトがセットだったからね。秘密結社的な匂いはあったわけで、文化的なテロリストとしてなにかやってやろうという感じは伝わってきます。
金魚屋 色々お話していただいて、マズイところはテープ起こしの時に切っちゃいますが、まず僕の方からちょっと余計なことを言いますと、唐さんや寺山さんの時代には、ほぼ新劇系の劇団しかなかったですね。せいぜい劇が終わってから、左翼系作家や俳優が舞台に出て来て観客をアジってゆくような。それから一九八〇年代になって小劇場の時代がやってきます。僕らは途中まで、小劇場は多かれ少なかれアングラ演劇のスピリットを継いでゆくんだろうと思っていました。過激なアバンギャルドという側面です。しかしどうもそうじゃなかった。小劇場は唐さん、寺山さんたちの商業的な苦しさを目の当たりにして、どこかで新劇と芸能界をミックスした方向に進んでいったように思います。それが小劇場の落とし所になっているように思えるんですが。一九九〇年以降になると、それがさらにはっきりしたように思います。
新宿梁山泊 新宿梁山泊第55回公演
『二都物語』
作:唐十郎 演出:金守珍 美術:宇野亜喜良
金 ショービジネス的なプロデュース公演とかが増えましたね。華麗に楽しく、一種のファッションとして、豪華だけど新劇とはちょっと毛色の違う演劇を楽しむという方向です。唐さんは左翼演劇にいた人だから、そういう方向には進めなかっただろうなぁ。唐さんはとことん新劇を学んだ人なんです。民藝は共産党系でしたが、その中のさらに精鋭部隊が劇団青年芸術劇場(青芸)を立ち上げたんです。米倉斉加年が中心で、唐さんや佐藤信さんもいた。でも米倉さんが青芸を解散してまた民藝に戻っちゃったもんだから、唐さんはまだそれに怒ってるみたいです(笑)。
でも出会いは重要だろうな。土方巽という舞踏家、それに麿赤兒さんね。麿さんもすごいですよね、踊りで死者とコンタクトするわけだから。それに四谷シモンや、絵画で言うと横尾忠則とかね。その中心にいたのは澁澤龍彦という素晴らしい文筆家だったわけだけど、そういう人たちが一九六〇年代に出会ってアングラ演劇の起源の集団になっていった。もちろん寺山さんもいたわけだけど、彼は元々演劇人じゃなかった。短歌や映画の脚本を書いたりしていた。で、東京の演劇を見てると、なんてつまんないんだろうと思うから、それを壊すために天井桟敷をやり始めた。だから寺山さんには、あまり演劇人としての自覚がなかったと思います。
映画『夜を賭けて』(2002年)
監督:金 守珍 原作:梁 石日
脚本:丸山昇一 音楽監督:朴 保
出演:山本太郎/ユーヒョンギョン/樹木希林/李麗仙/清川虹子/山田純大/六平直政/大久保鷹/不破万作/山村美智/申相祐/唐十郎/奥田瑛二/風吹ジュン/新宿梁山泊役者陣
■ 寺山修司について ■
金魚屋 金魚屋でインタビューしてると、しょっちゅう寺山さんのお話が出て来るんですよね。文学金魚は寺山さんの追っかけなんじゃないかって思うくらい(笑)。皆さんに「寺山さんの本業はなんだったと思いますか?」と聞くと、「演劇人じゃないの」というお答えです。俳句も短歌も自由詩も中途半端だったからというのがその理由なんですが。
金 競馬評論家でもあるしね(笑)。蘭妖子さんとよく話すんですが、寺山さんは演劇の賞は一度ももらったことがないらしいです。だから演劇人は、寺山さんを演劇人としては認めてないんです(笑)。
金魚屋 寺山さんはとことん居場所のない人だなぁ。それがいいところなんですが(笑)。
金 ただ寺山さんがいなかったら、唐十郎という劇作家は生まれていないんです。これは唐さんがおっしゃっていました。僕は蜷川幸雄さんの門下生で、蜷川さんが二〇一〇年に演出した寺山さんの『血は立ったまま眠っている』で三十年ぶりに蜷川さんの元に戻ったんですが、蜷川さんの所にいた頃、蜷川さんはしょっちゅう状況劇場の話しをしていました。それならということで状況劇場を実際に見に行った。ちょうど根津甚八が出ていた『黄金の日日』なんかをやっていた頃ですね。当時は千三百人くらい入るテントで、僕の整理番号は八百番とかでした。こりゃなんだと思ったんですが、見たらまたすごかった。最後の屋台崩しとかケレン味があったけど、内容は何一つわかんなかった。だけどすごいと思った(笑)。続けざまに『ユニコン物語』、『犬狼都市』、『河童』と三本見たかな。でもわからない。これは唐さんの元に行って学ぶしかないなと思って、蜷川さんにちょっと五年間唐さんの所で修行してきますと言って状況劇場に行ったんです。蜷川さんは帝劇で本田博太郎と藤真利子の『ロミオとジュリエット』を演出した頃で、ちょうど商業演劇に移行する頃でした。僕も商業演劇はやっているし、民藝友の会にも入っていたんです。新劇的な演劇の技法を学んだ上で蜷川さんの所に行ったんですが、今度はアングラというか、唐十郎ってなんなのかに興味を持ってしまった(笑)。
状況劇場には試験を受けないで行きましたから、行った途端に外でトンテンカンと大道具作りです。半年間は稽古場に入れてもらえなかったな。僕は研究生以下の飼育生って呼ばれてました。不破万作がそう名付けたんだけど(笑)。でもそこで色んなことを学びました。新宿梁山泊は芝居砦・満天星という劇場を持っていて喫茶室も併設してるんだけど、あれは僕が一人で作ったんです。状況劇場では大工仕事だけじゃなくて、美術とか、演劇に必要なほぼすべてのことを学びました。演劇ってそういうところから始まってゆくんです。
演劇の基本は役者が演じる前に、原っぱのような場所があって、そこに演劇的な環境を作ってゆくことから始まります。唐十郎がやろうとしていたことは、何もないところから演劇を立ち上げゆくことだったですね。つまり空間があってテントを立てて演劇を見せる。結局は日本の伝統に戻ってゆくようなことだったと思います。歌舞伎や能・狂言は古典芸能ですが、古い物をただコピーして現代に再演しているのか、そのスピリットを継いでいるのかという二つの面があるでしょう。じゃあ現代歌舞伎、現代能とはなんなのかということになる。歌舞伎は本来〝傾く〟、世の中を斜に見るという精神でもある。唐十郎は河原者、河原乞食から始めたわけです。でもこれはテレビじゃ言えない放送禁止用語になってしまっている。おかしな話しだと思いますが(笑)。
唐さんの所に行って、僕はアングラは元から日本にあったものなんだと思いました。日本の近代化の中でみなさんが捨て去って、忘れてしまったものを甦らせているんだと思いましたね。江戸歌舞伎にしろ、もっと遡れば日本の芸能には、傀儡とか渡来系の人たちがたくさん関わっている。古代では新羅に滅ぼされた百済の芸能者がたくさん日本にやって来ています。百済人は芸能が得意だったんです。ナムサダンという芸能集団ですが、これは男だけの集団です。まあホモセクシュアル集団ですね。そこには当時の女性差別のような風潮も影響していたんでしょうが、歌舞伎に通じてゆくような要素もあります。それに彼らは外国人、よそ者だから、税金がかからない河原に住んで芸を見せて生活していた。唐十郎はそこに戻ったわけですが、彼が韓国を強く意識していたというのも、そんな所に理由があるんじゃないかと思います。韓国を意識していたから李麗仙との出会いが大きかったんだと思います。政治的には金芝河との友情関係が唐さんに計り知れない影響を与えていると思います。
僕も単にアングラ演劇に惹かれただけじゃなく、唐戯曲の日韓の狭間にあるなにかに惹きつけられています。特に『二都物語』とかね。あの劇では朝鮮海峡に赤い回転木馬が浮かびますが、そういった渦巻きに惹かれるんです。あの回転木馬はメリーゴーランドのような生やさしいものじゃない。トルネード、渦巻きです、唐さんは渦巻きが大好きなんです。物語が常に渦を巻いている。そのエネルギーは尋常じゃないんです。
■ 『二都物語』について ■
金魚屋 『二都物語』は状況劇場以外では、二〇一五年に新宿梁山泊さんが初めて再演した作品です。あの劇は状況劇場と言いますか、唐さんと李さんの関係が手に取るようにわかる作品だと思います。『二都物語』は唐さんが李さん宛てに書いたラブレターなんじゃないかと思います。女主人公のリーランはジャスミンになったり、相手役の男の妹になったり恋人になったりするわけですが、男に対して「あんたは朝鮮でわたしの腕の中で死んだ愛しい人なんだよ」とか言ったりする。男は男で女に振り回されながら、朝鮮海峡に飛び込んで女を追い求める。でもお互いに惹かれ合い、求め合いながら結ばれない。それが赤い回転木馬になっている。
金 『二都物語』ではリーランが、痰壺を抱えてこれに百円入れてちょうだいって言うでしょう。痰壺がまた渦を巻くイメージです。百円を入れるとそれが奈落の底まで落ちてゆく。当時は子供用のいろんな乗り物が百円で乗れたんです。物を動かすときの最低限のお金が百円だった。じゃあその渦を巻いた世界はどういうものなのか。
唐さんが新宿梁山泊のために書いてくださった作品に『風のほこり』があります。戦前にエノケンがやっていたカジノフォーリーという劇場をもじったタイトルです。『風のほこり』は大量の水を使う芝居ですが、エノケン劇団が、ウケ狙いでいつも舞台に水を撒いていたことがイメージの発想になっています。奈落は水浸しなんですね。カジノフォーリーは戦前の劇団ですが、唐さんのお母さんがそこに戯曲を何度も持っていったらしいんです。このメチャクチャな劇がどういう物語に発展してゆくかというと、奈落の底に溜まった泥水の中から水晶玉を探す。水はわざと墨汁で汚されていますが、それは戦前の日本軍国主義の象徴でもあります。ただこの水晶玉は目を失ったお母さんの義眼でもあるんです。それを渦を巻いた汚物の底のような奈落に探しにゆく。
新宿梁山泊 『二都物語』より
大鶴義丹と水嶋カンナ
金魚屋 まともな神経で書ける作品じゃないですね。意図的に奇妙な物語を書こうと思っても、『風のほこり』のような作品はできません(笑)。
金 うん(笑)。お正月に唐さんの所に行ったときに、「金ちゃん、俺、寺山の兄貴がいなかったら、多分、精神病院に行って、普通のことはできなかったよ」って言ってましたもの。寺山の兄貴が自分を認めてくれたんだという思いがあったようです。唐さんは『24時間53分『塔の下』行は竹早町の駄菓子屋の前で待っている』という長いタイトルの戯曲を書いて出版したんですが、寺山さんがその本の帯を書いてくれた。寺山さんに認められたことで、唐さんは自分が生きる場所を見つけたようです。寺山さんがいなかったら自分は本を書いていない、書いてもみんなからボロクソに言われて終わっていただろうな、と言っていました。
というのも状況劇場は元々はサルトルの実存主義から取った名前で、初演はサルトルの『恭しき娼婦』ですからね。初期は笹原茂朱がちょっと新劇っぽい脚本を書いていました。『恭しき娼婦』は娼婦が黒人をかくまう話しでね。昨日フラワー・メグと荒木一郎の『脱出』(監督・和田嘉、原作・西村京太郎、一九七二年、東宝)を見てきてメチャクチャ面白かったんだけど、それに通じるような劇です。
(2016/10/25)
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■ 新宿梁山泊 第58回公演 『マクベス』(シェイクスピア) 11月18日から27日まで ■
■ Project Nyx 第16回公演 『時代はサーカスの象にのって』(寺山修司) 2017年01月19日から23日まで ■
■ 金守珍さんの作品 ■
■ 唐十郎さんの作品 ■
■ 寺山修司さんの作品 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■