Interview:金守珍(キム スジン)インタビュー(2/3)
金守珍(キム スジン):昭和29年(1954年)東京生まれ。東海大学電子工学部卒業後、蜷川幸雄スタジオに在籍。唐十郎主宰の状況劇場の公演を見て衝撃を受け、状況劇場に移籍する。状況劇場解散後の昭和62年(1987年)、劇団・新宿梁山泊を旗揚げする。演出を手がけながら役者としても舞台に上る。梁山泊では唐十郎作品とシェイクスピア作品を上演することが多い。また梁山泊の女優・水嶋カンナが平成18年(2006年)に立ち上げ、宇野亜喜良が総合美術を担当するProject Nyxでも演出を手がける。映画監督作品に『夜を賭けて』、『ガラスの使徒』がある。『千年の孤独』でテアトロ演劇賞、第57回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞、第43回日本映画監督協会新人賞などを受賞。
新宿梁山泊は様々な作品を上演して来たが、近年は寺山修司、唐十郎というアングラ演劇を代表する作家の上演が増えている。特に唐作品では『ジャガーの眼』、『二都物語』、『新・二都物語』に唐氏の息子の大鶴義丹氏が出演し、『少女仮面』満天星公演では娘の大鶴美仁音氏が、昨年のスズナリでの『少女仮面』は状況劇場の看板女優・李麗仙氏が春日野八千代役で出演した。また今年のシアターコクーンでの『ビニールの城』は、お亡くなりになった蜷川幸雄氏に代わって金氏が演出を担当した。はっきりとアングラ演劇を継いでゆく姿勢を打ち出された金氏に、その真意をインタビューさせていただいた。なおインタビュアーは鶴山裕司氏である。
文学金魚編集部
■状況劇場と天井桟敷の乱闘について■
金魚屋 寺山さんが状況劇場の花園神社公演の初日に葬式花輪を贈ったというのは、あれはイチャイチャしていただけですか(笑)。
金 寺山さんがシャレで贈っただけですよ。
金魚屋 でも乱闘になったと聞いていますが。
金 もう大変ですよ(笑)。あれは唐さんじゃなくて四谷シモンがいきり立っちゃったんです。シモンさんが怒って、寺山さんのお母さんのハツさんがやっていた喫茶店に天井桟敷の劇団員が集まっているから、そこに行って、外に置いてある看板を大きな外ガラスにぶちまけて割っちゃった。そこからですよね。だから火をつけたのはシモンさん(笑)。
金魚屋 シモンさんも荒っぽかったんですねぇ。
金 元ロカビリーですから(笑)。唐さんも寺山さんに育てられたけど、だんだんとほら、劇団員たちが俺たちが、俺たちがとなっていって、引くに引けなくなることってあるでしょう。
金魚屋 まあ極めてまっとうで常識的なことを言えば、そんなことはしちゃいけないんだけど、シモンさんは演劇史に残る場外乱闘の伝説を作りましたねぇ(笑)。
金 当時は自己主張の強い時代でもありましたからね。みんな新宿のゴールデン街というちっちゃな飲み屋街に集まって議論していたんです。わざわざ論争して喧嘩するために行くんです(笑)。論破されて、自分自身の意見の狭さや浅はかさを思い知る場でもあったんです。そういうことが流行っていた時期でもあります。
■唐十郎について■
金魚屋 一度だけ唐さんにお会いしたことがあるんですが、それまで白面の詩人とか小説家にしかお会いしたことがなかったので、演劇人はこんなに乱暴なのかと腰を抜かすほどビックリしました。金さんも大変だったんじゃないですか(笑)。
金 それはそれはスゴイですよ(笑)。つい三、四年前かな、この満天星で『少女都市からの呼び声』を上演した時に、唐さんは「お前ら新劇人は俺のことをバカにしやがって」と言って、石澤秀二さんに殴りかかろうとしましたからね。石澤さんは確かに新劇系の演劇人ですが、ものすごくアングラを買っていた人なんです。その時は扇田昭彦さんも僕らの芝居を観劇しておられて、「何で唐はあんなこと言うんだろうね」とかおっしゃっていました。ああいうところは唐さんは直らなかったなぁ。本当は平和主義者というか、争いは好きじゃない人なんですけどね。無礼に振る舞うことで自分を鼓舞している面がありましたね。
金魚屋 でも金さんは必然的に、トラブルに巻き込まれる立場にいたわけでしょう。
金 そうですね(笑)。唐さんが『佐川君からの手紙』で芥川賞を受賞した時に、新宿の池林房という所でお祝いのパーティが開かれたんです。そこに中上健次と若松孝二が来ていて、酒も入っているから論争になった。部落問題と朝鮮人問題で盛り上がっちゃったんだな。で、最後はつかみ合いの喧嘩になりかけたんで、僕が止めたんです。それで中上健次を店から追い出したんですが、あれは今でも申し訳なかったなと思います。
金魚屋 それは・・・壮絶な(笑)。だけど中上さんも、あんな若くして死ぬことはないですよね。中上さんがお亡くなりになって、日本の小説界はガラリと変わってしまった面があると思います。
金 それから赤テントで李麗仙が、青年座の演出家だった鈴木完一郎さんと打合せをしていたんです。唐さんはそれが気にくわなくて、いきなり鈴木さんをバコーンと殴っちゃった。完一郎さんも完一郎さんで負けない人だから、オラーッと喧嘩になっちゃってね。僕は状況劇場の団員だったから、一応「座長になにするんだ」と言って止めに入ったんだけど、後で李さんにこっぴどく怒られた(笑)。そういう経験のせいか、僕は今でもお酒をいくら飲んでも酔えないんです。酔っちゃいけないとどっかで思っているんでしょうね。酒を飲めば飲むほどアンテナを張り巡らして、敏感に座の雰囲気を観察しています(笑)。当時は小林薫さんとかもある意味過激派だったから、「お前ら特権的肉体論を言ってみろ」と迫ったりしてね。唐さんが李麗仙と別れた後に、唐組を作りましょうと談判したのは小林さんなんです。ここままじゃ唐さんの世界が失われてしまうと言ってね。ただ唐さんは李さんと別れてからいい作品は書いてないな。
■李麗仙について■
金魚屋 そんなこと言うと唐さんに怒られちゃいますが、そうですね。
金 唐組は作ったけど、再演が多くなって状況劇場の時代と比べると小さな世界でまとまっていってしまった。状況劇場は、だんだん李さんが唐さんの戯曲について行けなくなった、纏めきれなくなったという面もありますが、今思うと李さんが唐さんの戯曲の最大の編集者でした。
僕は二〇一二年にシアターコクーンで上演された唐十郎作、蜷川幸雄演出の『下谷万年町物語』で三十年ぶりに役者として蜷川さんの舞台に戻ったんです。唐さんは寺山さんなくして自分はないと言っていましたが、その次に「李麗仙なくして僕の世界はない」とおっしゃっていました。
あの時の『下谷万年町物語』には唐さん自身も出演なさっていたんです。僕はいつも唐さんと一緒だったんだけど、四時頃から下町で飲み屋を探すわけです。でもまだ開いてないから、中華料理屋とかに入って餃子をつまみながら飲むことになる。そんな時に、「金ちゃん、今李から電話があって、また一緒に仕事をしようって言うんだよ。李が僕を頼ってるんだよ」ってすごく誇らしげに言うんです。「なんですか?」って聞いたら、
「李がお能をやり始めて、それを僕が書いて演出してくれって言ってるんだ。その舞台を最後に李は引退するって言ってるんだけど、引退させちゃダメだよね」
「もちろんです」
「だけどお能ってつまんないだろ。僕は演出できないから、金ちゃんやってよ」
「いや僕はお能のことは知らないし、そう簡単に李さんの演出なんかできないです」
「でも李ともう一回仕事したいね。『下谷万年町物語』は李なくして書けなかったよね」
といった話しをしました。あれは最大級の李さんへの賛辞だったと思います。
唐さんの作品は『吸血鬼』(一九七一年)からガラッと変わるんです。それまでは麿赤兒がいて藤原マキがいての状況劇場で、李さんもその一員だったんです。だけどどんどん李さんの存在感が大きくなっていった。その時期に唐十郎は李さんへのラブレターのような作品を書いたわけです。『二都物語』がそうですし『下谷万年町物語』もそうです。
唐さんには李に認められたい、李をなんとか上手く演出したいという思いがあったわけですが、それはもう大変な修羅場でもあった(笑)。でもまたあの追い詰められ方をしてみたいと思っていましたね。またちょうど下町に、下町のアンチテーゼのような東京スカイツリーが出来ちゃった時期です。あの回りの金町あたりを唐さんとうろうろしながら、「アレ折りたいね」、「なんで愛しい下町にあんなものができんのよ」とか、とりとめのない話しをするわけです。唐さんは李さん主演の劇で、あの塔を折りたかったみたいです(笑)。
で、僕は僕で「わかりました。僕はお能の演出はできないけど、李さんとお近づきになるためになにかしますよ」と唐さんに言ったんです。僕がそう簡単に李さんの演出をできるわけないしさ。
シアターコクーン・2012
『下谷万年町物語』ポスター
作:唐 十郎 演出:蜷川幸雄
■『少女仮面』について■
金魚屋 ああ、やっぱりそういうものですか。
金 それはそう。もう怖いですから(笑)。李さんに『少女仮面』をやってほしいと思うけど、そう簡単にはいかない。だから満天星でうちの水嶋カンナさんを使って『少女仮面』を上演したんです。唐さんの娘の大鶴美仁音が貝役で出演しました。その時に李さんに絶対見てくださいとお願いしたんです。なぜかと言うと、僕の演出でいけるかどうか、李さんに判断してほしかったんですね。それで一つ関門は超えたんですが、李さん主演で『少女仮面』をやる前に、もう一つ客観性が欲しかったんです。それで韓国の戯曲ならまず文句言われないだろうと思って、ノ・ギョンシク作の『月の家~タルチプ』を李さんにやりませんかと提案したんです。
『月の家』は韓国が民主化する前の作品で、俗に言う新劇なんですが、北朝鮮のパルチザンが韓国の山の中で泥棒をするんです。韓国では北朝鮮の怖さはあるんだけど、そのパルチザンも三十八度線を越えちゃって帰れなくなったものだから、山で盗賊になるしかなかった人たちなんです。彼らは祖国統一を夢見てやって来たわけですが、誰も受け入れてくれない。この若者たちの怨念に共感する部分が僕にはあったんですね。盗賊と言っても、ちゃんと北朝鮮のお金を置いていくんですよ。でもお婆ちゃんが「こんな紙くず」って言って、それをぶちまけてしまう(笑)。この怒りのこもった作品は李さんにしかできないなと思って李さんに読んでもらったら、気に入ってやりたいとおっしゃった。ただ翻訳がひどかった。半年かけて翻訳を直しました。最後はある人の力を借りて文学的表現にまで高めたんだけど、李さんは自分で直した所や人が直したところが台本に入り交じっているからパニクっちゃってね。それがまたあの舞台の力になって良かったんですが。
『月の家』の初演は池袋の東京芸術劇場で、その時はまだ唐さんもお元気で明治大学で講義とかしておられたから、唐さんに呼ばれてゲストでゼミで学生たちに話しをしたときに、こういう劇を李さん主演でやりますと言ってチケットを渡したんですが、「見に行くよ」とおっしゃっていたけどその前に倒れちゃったんです。
僕の役割は李さんがお能じゃなくてまた舞台に戻ってきて、まだできるんだぞというところを見せて、唐十郎に新たに李さん主演の戯曲を書いてほしかったんですが、そのトルネードはちょっと起こりそうにないですね。
金魚屋 李さん主演の『少女仮面』は、去年(二〇一五年)に下北沢のザ・スズナリで上演されました。まさに伝説になる舞台でした。『少女仮面』は往年の宝塚の大スター・春日野八千代が主人公で、彼女が経営している新宿の喫茶肉体に貝というヅカファンの女の子が訪ねてくる。唐さんの戯曲ですから色んなイメージが入り交じりますが、貝が春日野の幻想を打ち破ってゆく方向に物語が進みますね。どうも春日野は満州の精神病院にいて、かつての恋人だった甘粕大尉のことを想い続けているらしい。ラストシーンは春日野の「私の肉体は!」で終わるわけですが、李さん主演の『少女仮面』を見て、李麗仙の肉体は!と思った観客は多いと思います。『少女仮面』は一九六九年に早稲田小劇場のために書かれた戯曲で、初演は白石加世子と吉行和子ですが、半世紀近く経って、『少女仮面』という戯曲はその結論を見たように思います。あの時の李さんの演技は演出ですか。
ザ・スズナリ 2015年
新宿梁山泊『少女仮面』ポスター
作:唐十郎 演出:金守珍 出演:李麗仙
金 今の李さんで『少女仮面』をやったら、それ自体が演出ですよね。まさに肉体と精神の舞台になったと思います。そう言う意味でも唐十郎はすごいですね。一種の予言者かもしれない(笑)。今やっている『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』もそうですが、『少女仮面』も少女論なんです。永遠なるものってなんなの、ってことですね。寺山さんは『かもめ』で「少女は生殖機能を持ったときに少女でなくなる」、つまりなにかを生み出すことができるようになったら少女でなくなるって書いたわけですが、唐さんの『少女仮面』は「時はゆくゆく乙女は婆アに、それでも時がゆくならば 婆アは乙女になるかしら」でしょう。やっぱり順繰りの螺旋なんです。ほとんどDNAですね。『少女仮面』が書かれた時代は、DNAの構造なんかがまだ一般化してない時代です。唐十郎はDNA的な螺旋、トルネード構造に気づいていたと思います。生も死もそこに含まれる。その螺旋構造に従うと、アングラ演劇は、今ちょっと一周回っただけですよね。
■アングラ演劇の本質について■
金魚屋 だから新宿梁山泊と金さんがとっても気になるんです。演劇に限りませんが、政府の言う「戦後は終わった」じゃなくて、本当に戦後が終わり始めたのは一九八〇年代後半からだと思います。その時期にもいろんな新しい試みが行われたし今も行われています。演劇で言えば小劇場全盛の時代です。それが新しく見えたこともありましたが、二〇一〇年代の今になると、ホントに新しかったのかなと首を傾げるようなところがあります。まあ率直に言ってしまうと、寺山さん、唐さんのアングラ演劇しか、本当に新しい演劇として後世に残らないんじゃないかという予感があるんです。
金 僕もそう思います。もちろんアングラを称する劇団はたくさんありますが、アングラの本質に向かって作業しているとは思えないですね。
金魚屋 こんなことを言うとすごく怒られると思いますが、適度に薄めたアングラをコマーシャルに持ってきている感じがします。最初の方でアングラは第一世代が終わりかけているだけで、第二世代はまだちゃんと育っていないとおっしゃいましたが、そのためには寺山さんや唐さんが作ったアングラ演劇の本質をちゃんと捉えなければならない。それをやっていらっしゃるのは新宿梁山泊さんだけのような気がするんですけどね。金さんがそんなことをおっしゃると色々差し障りがあるでしょうけど。
金 新宿梁山泊の美術は宇野亞喜良さんが担当してくださっていますからね。彼は寺山さんと一緒に仕事をしたので、アングラの歴史をきちんと認識しておられる。宇野さんから寺山さんのいいところだけじゃなく、つまらなさ、ダメさ加減も教えてもらっています(笑)。僕はそれを元にして、寺山さんや宇野さんがまだやっていない所を掘り起こすんです。それが跳ね返って宇野さんも刺激を受けて仕事をしてくださる。今回の『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』で使ったお人形は、宇野さんが新しく作ってくださったものなんですよ。
Project Nyx 第15回公演
『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』
黒色スミレのスペシャルライブ(新宿梁山泊ブログより)
金魚屋 ああ、あのお人形、欲しいなぁと思いました(笑)。
金 生きていたでしょ(笑)。『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』で楊貴妃が自分のおっぱいから出した母乳でミルクティーを作りますが、あれは寺山さんの『新宿版 千夜一夜物語』なんです。正確には宇野さんが『新宿版 千夜一夜物語』のポスターを描いて、そこで女性が母乳でミルクティーを作っている所を描いた。それを寺山さんが面白がって劇の中に取り入れたんです。僕はそのエピソードを聞いて、あのシーンにこだわって入れているんです。Project Nyx版の『新宿版 千夜一夜物語』にも入れました。
ああいうのは遊び心ですよね。人と一つの話題について話していても、ポーンと分裂することがよくあります。その分裂の妙味を取り入れてゆくのがアングラの良さでもあります。いや、もっと過激かな。精神病患者の方の中には百二十通りの人格をもって絵を描く方がいるそうです。そういうのにも興味があるんです。唐さんは「僕は分裂症だ」とよく言っていましたが、それをまとめるととてつもなく面白いものができる。そこには李麗仙というスーパーリアリズムの女優で編集者が必要だったわけですが。
■状況劇場でのせめぎ合い■
金魚屋 李さんがスーパーリアリズムだというのは、具体的にはどういうことを意味しているんでしょうか。
金 李さんは舞台芸術学院で学んだんです。そこで教えられたことがスーパーリアリズムだった。演劇ではエチュードという訓練をするんですが、たとえば今小川のそばにいます、川のせせらぎが聞こえます、それが聞こえた人は手を挙げなさいとかやるんです。李さんは聞こえるまでじっと耳を澄ましている女優ですからね。その集中力たるやすごいものです。
金魚屋 そういう方が、よく状況劇場の看板女優になりましたねぇ。
金 唐十郎がなんとかまとめていたんですね。ギリギリのせめぎ合いです。だからしょっちゅう夫婦げんかですよ。殴り合って血をたらたら流してね。ましてや当時の状況劇場では、李さんの相手役は大久保鷹ですよ。どうやったらリアリズムに行けます?。そのストレスもハンパない(笑)。
金魚屋 大久保さんは、台詞を覚えているのか心配になるような俳優さんですからねぇ。
Project Nyx 第15回公演(2015年)
『新宿版 千夜一夜物語』ポスター
作:寺山修司 美術:宇野亞喜良
構成:水嶋カンナ 演出:金守珍
金 台詞どころかまともなことをしないじゃないですか(笑)。でもそれが状況劇場だったわけだし、昔はアドリブもオッケーだったんです。客を楽しませて帰させなければそれでいいと。麿赤兒さんもそんな風でしたよ。でも彼も新劇を学んでから状況劇場に来た人だからね。それに唐さんのお師匠さんの土方巽が、また輪をかけてムチャクチャな人です。「味噌汁の中に虎が泳いでいる」とか言っていたわけでしょう(笑)。
でもそれを澁澤龍彦や四谷シモンたちが面白がったんです。彼らはわけのわかんないことを言い合うイメージの戦いをやっていた。特にスケベな下ネタを題材にしてね。それはまず単純に楽しいですよね(笑)。でも楽しいだけじゃなくて、その細部からなにか自分に合う微細なイメージのようなものを探しているんです。自分の今の感性に引っかかって、ネタになるようなイメージです。それを膨大な量のイメージの戦いの中から釣り上げてゆく。人間はもっとメチャクチャに分裂したいという欲望を抱えているけど、日常的な常識に縛られてそれができない面があるでしょう。それを非日常的な会話を交わして分裂症的な状況を作り、各自がそのアンテナで捕まえてゆく。
金魚屋 それは一九六〇年代にしか起こり得なかったスパークかもしれません。
金 六〇年代というより七〇年代かな。六〇年代は安保闘争とか政治の季節だったけど、そこでのエネルギーが七〇年代に入って文化として定着していった。今話題のボブ・ディランとかジョーン・バエズとか、本当に火が付いたのは七〇年代に入ってからでしょう。ヨーロッパはヨーロッパで、キング・クリムゾンとか、奇妙といえば奇妙なプログレッシブ・ロックを生み出していきました。
新宿梁山泊はシェイクスピア劇を連続上演しているんですが、それを六〇年代、七〇年代の音楽にこだわって作っているんです。『ロミオとジュリエット』はプログレで作って、『ハムレット』はサイモンとガーファンクルだけで作ったんです。サイモンとガーファンクルはフォークだけど、すごく過激な詩なんです。ラブソングじゃない。『サウンド・オブ・サイレンス』なんかは墓場の詩ですからね。これは『ハムレット』にぴったりだと思ってね。十一月十八日から二十七日まで上演する『マクベス』はカンツォーネで作っています。唐十郎が大好きなミルバのカンツォーネね。唐さんの『盲導犬』でカンツォーネはカンチョーネになって、イチジク浣腸が出て来るんです(笑)。『盲導犬』は澁澤龍彦の小説『犬狼都市』にインスパイアされた作品です。『盲導犬』に出て来るのは服従しない狼のような大きな犬です。石橋蓮司が盲目の人を演じたんだけど、大人しい盲導犬に頼るんじゃなくて、野生の狼のような犬を盲導犬にしようと探し歩くんです。
『盲導犬』は蜷川幸雄さんが演劇集団桜社を旗揚げしたときに唐さんが書いた作品で、蜷川幸雄という全共闘世代で政治的には敗北した人を鼓舞する作品でもあったと思います。実際、あの作品で蜷川さんは生き返ったと思います。蜷川さんは商業演劇に行ったけど、蜷川さんの中にはアングラに通じるような精神があった。蜷川さんは最初は劇団青俳にいた人で、新劇役者であり、清水邦夫と過激左翼演劇をやっていた。でもアングラには遅れてきた世代です。唐さんが蜷川さんのために書いた、敗れても決して屈しない『盲導犬』や『滝の白糸』は、最後まで蜷川さんの武器になっていました。
■テントの起源■
金魚屋 蜷川さんは商業演劇の世界で活躍されたけど、彼が節を折ったと思っている人は少ないだろうなぁ。ある人間が最初に持っていた器のようなものが、その人の最終評価を決めるのかもしれません。
金 蜷川さんにはアングラコンプレックスのようなものがあって、後半、地位も名誉もある立場になって何をしたいのかと言うと、寺山さんの『血は立ったまま眠っている』や『身毒丸』から、唐十郎作品をえんえんとやったんです。結局蜷川さんがやり残したことがそこにあった。そこに僕が呼ばれたということは、僕にもアングラの特権的肉体、精神ですね、それが宿っているのかな、蜷川さんがそう認めてくれたのかなと思います。生意気なことを言えば、蜷川さんが演出できなかった分を僕が演出したいですね。特にテントという空間でね。
テントという劇場の形式は、寺山さんが発想して唐さんが実現したんです。最初の発案者は寺山さんなんだな。唐さんは「金ちゃん、俺、悪党なんだよ。寺山さんが考えていたこと、先にやっちゃったんだ」と言ってました(笑)。それも寺山さんはカチンと来てたと思います。
金魚屋 ええ、偶然そうなったのか意図的に盗んだのか、特に芸術家の場合、盗まれた方は手つきですぐわかりますものね(笑)。
金 『血は立ったまま眠っている』は寺山さんが劇団四季のために書いた戯曲だけど、それも唐さんは見に行って盗んでいる。寺山さんはおいしいところ取りの名人だったけど、唐さんもやってるんです。寺山さんはこの野郎と思ったでしょうし、唐さんはいい気になっている。だから葬式の花輪でも贈ってやれやということになった(笑)。唐さんは乱闘しなかったけど、「寺山さんもひどいな」と言ったら、過激派の四谷シモンさんが、「だったらやってやる」となっちゃった。ハツさんの喫茶店の外ガラスは、大ガラスだったそうですよ。シモンさんは気持ちよかったって言ってましたもの。大ガラスがスローモーションのように砕け散って、それはそれは美しかったそうです(笑)。でもその後、唐さんはちゃんと寺山さんに謝っていますよ。
金魚屋 寺山さんも唐さんも人間社会の暗部にこだわりましたね。今は身障者と言わないと叱られる時代ですが、アングラ的に言えば、神々しいほどの特権的な片輪という人間存在にこだわった。朝鮮や部落問題もそうですね。日本は単一民族だと言うとアイヌもいる、在日もいる、沖縄はどうなんだとこれまた叱られてしまいますが、ほかの国々に行けばすぐわかりますが、極めて単一的な民俗国家です。それを活性化して泡立たせるためには、割り切れない暗部を活用するしかないと思うんです。実際、アングラ演劇全盛期はヤクザ映画の全盛期でもあったでしょう。
金 昔から日本の文化は、基本的に渡来系の人たちが刺激して活性化してきたと思います。
金魚屋 今はそれをまた単一化しようとしているヤバイ時代です。それは危ない兆候だなと思います。
金 明治維新で西洋の帝国主義国家に肩を並べるために、いろんなことを変えちゃったところからそれは始まっていますね。それがずっと色濃く残っている。僕はグチャグチャの江戸文化に回帰するなら大賛成なんだけどね(笑)。
金魚屋 江戸の最下層は穢多非人で、役者は河原者と呼ばれていたわけですが、河原者の役者が当時のブロマイドである浮世絵に、一番よく描かれて人気のあるスターだったわけですから。
金 先頃お亡くなりになった中村勘三郎さんが、十九歳の時に青山墓地で状況劇場の『河童』を見て衝撃を受けたんです。「よっ唐っ、李っ」というかけ声からあのケレン味、屋台崩しなんかを見て、これこそ歌舞伎だと思ったようなんです。それから勘三郎さんはいろんなものにチャレンジし始めた。新宿梁山泊は、東京ドーム前の特設テントで『四谷怪談~十六夜の月』という戯曲を奥田瑛二の客演でやったんです。勘三郎さんは橋之助さんといっしょに見に来てくれて、飲み会にも残ってくれた。銀色の灰皿を鏡にして、「これがあたしの顔かいな」とか四谷怪談をやってくれるんですよ。それで「僕らもこういう形で劇をやりたい」と言ってね。歌舞伎は血がドロドロで、かさぶたになりつつある、それを流して綺麗にしなきゃならないっておっしゃってました。そういう危機感を持って平成中村座をやっていましたね。勘三郎さんがうちのテント貸してくれって言うから、おお松竹か、これは儲かるなと思ったんだけど、うちは最大で五百人しか入らないんですよ(笑)。ところが平成中村座は八百人入らないとペイできない。それでうちの美術をやっている大塚さんを紹介して、そこが平成中村座の美術にたずさわっていたから、それは嬉しいことですね。
(2016/10/25)
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■ 新宿梁山泊 第58回公演 『マクベス』(シェイクスピア) 11月18日から27日まで ■
■ Project Nyx 第16回公演 『時代はサーカスの象にのって』(寺山修司) 2017年01月19日から23日まで ■
■ 金守珍さんの作品 ■
■ 唐十郎さんの作品 ■
■ 寺山修司さんの作品 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■