Interview:上田実先生インタビュー(3/3)
上田実:1949年大阪府生まれ。東京医科歯科大学歯学部卒業、名古屋大学大学院医学研究科修了。再生医療の第一人者として知られ、幹細胞の分泌する生理活性物質が組織再生の主役であることを発見。それを含有する培養上清(ばいようじょうせい)液を用いた治療により日本再生医療学会ジョンソン&ジョンソン賞等を受賞。研究論文数は600以上、臨床症例数は100例を超える。名古屋大学医学部名誉教授。国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)評価委員長、文部科学省新学術領域研究専門委員会審査員、日本学術振興会科学研究費委員会専門委員、東京大学・ベルゲン大学・ワシントン大学客員教授、その他多数を歴任。
「医学の目的は患者を治すこと」。上田先生の唯一のテーゼだ。我々文学者も生身の人として、癌、アトピー、花粉症など何かしらの患者もしくはその家族であろう。上田先生の言葉は、その患者一般の思いから一歩もずれることがない。インタビューでは、アカデミズムを超越した上田先生の明確な現実感覚と患者への共感性、だからこその世界初ALS症状緩和、末期癌の進行停止、アルツハイマーの回復、重度の糖尿病の改善等へ至った“機序”が明らかにされる。そしてそれを生んだのは、他でもない“芸術への志向”をくぐった“人への愛惜の念”でもある。
小原眞紀子
■STAP細胞事件の真相■
小原 今回、インタビューをお願いしましたのは、先生のご著書『驚異の再生医療』を拝読して、もちろん内容もさることながら非常に説得力のあるご文章に感銘を受けたことがきっかけでした。わたくしどもは科学の素人ですが、文章を読みさえすれば、書き手がどれほどの「確信」を抱えているかはわかります。詩や小説も、エビデンスを必要とする医学書と同様、書き手が何かをはっきりつかんでないと読んでいられないものですし、文学も科学も結局は人間の営為ですから。
その人間の営為として、先のSTAP細胞事件には文学的にもというか、人の心理として興味を惹かれます。上田先生は、その点についても非常にお詳しく、お考えをお持ちですね。
上田 どの捏造事件でもそうですが、疑問の第一は「なぜあんなことをしたんだろう」ということではないでしようか。研究者に強い上昇志向があったのは間違いないでしょうけど、それだけかなと思うわけです。記者会見やら論文やら、あれだけの偽装を行う背景には、よほどのことがあったんだろう、と推測しなければ納得できないですよね。
小原 amazonでは、先生の『改訂版 驚異の再生医療』といっしょに葉山夏子さんの『小説万能細胞』がお勧めで表示されます。STAP細胞事件の内幕を描いた短編小説が含まれていますが、先生はこの本に「解説」を書かれていますね。取材も受けられたかと存じます。別にこちらに収録された、先生のご研究とも重なる問題を扱った一編も大変面白く読みました。
上田 STAP細胞事件の小保方晴子さんは、一時はものすごいヒロインで、ノーベル賞確実という研究をひっさげて突然あらわれたという感じでした。あれは2014年一月でしたが、ちょうど日本再生医療学会の理事会があって、次の学会の目玉である特別講演について主催者の会長さんが報告をされた。「新型の万能細胞に関する講演」というくらいで詳しい説明がない。だれが特別講演をするのか、タイトルとか、なかなか詳しく説明をされない。こんなことはとても珍しいことで、たいていは早めに発表になります。他の参加者の皆さんにも宣伝してください、ということでね。奇妙だな、と思っていましたら、一週間ぐらいあとに、STAP細胞を発見・製作したという記者会見があった。iPS細胞よりもさらに優れた新しい幹細胞、万能細胞を簡単に作り出したという衝撃的会見でした。
小原 上田先生も、いわばその現場にいらしたのですね。
上田 STAP細胞のことも小保方さんのことも、今から思えば一部の研究者は知っていたのだと思いますが、私はいわゆるサークルの外にいたので事前には知らされていなかったのです。ただSTAPとは別の用事であのころ、理研に出入りしていました。うちの局員が先端医療センターで働いていましたので、そういうこともあって、記者会見のあとしばらくすると、どんどん内輪の情報が出てきました。当時の理化学研究所CDB副センター長は笹井芳樹先生でしたし、神戸市の担当課長もよく知っている方でしたので、いろいろの噂話をききました。
小原 笹井先生はSTAP細胞騒動を苦にされ、お亡くなりになってしまいましたが、ES細胞研究の第一人者でしたね。ES細胞は受精卵から取り出すので、倫理的な問題から行き詰まっていたと理解しています。STAP細胞はその突破口となるはずのものだった…。
上田 わたしは笹井先生と個人的に親しかったわけではなかったんですが、お互いに学会の中で意識しあっていた。ですから、なぜあんなことになったんだろうということを知りたくなりました。
上田実著『改訂版・驚異の再生医療~培養上清が世界を救う~』(扶桑社新書)
扶桑社刊 2022年3月2日刊
小原 笹井先生を失ったことが最大の被害だったと思います。
上田 STAP細胞の記者会見から二週間くらい経ったころ、ネット上で検証というか、「裁判」が始まりました。最初は、コピペと画像の使い回しなどの些細な(本当は重大な)ことからはじまり、最後には万能細胞の証明になるはずの胎盤の写真も使い回しだとわかり、どうやらSTAP細胞は捏造で、小保方さんがES細胞を混ぜたらしい、ということになった。理研は再現実験もやってみたんですが、うまくいかなかった。それで小保方さん主犯説が決定的になった。でもその動機については謎のままでした。笹井先生がああいう形で亡くなったこともあり、マスコミも死者を鞭打つようなことを控えようという雰囲気になって、追及が終わりましたから。大変消化不良の状態で、なぜあんなことが起こったのか、いまだにわからない。
小原 確かに、あれはいったい何だったのかと、いろんな人が言いますね。
上田 いまだ未解決と言いますか、問題がくすぶったままです。ところが、二年後の2016年にニューヨークタイムズが詳しい追跡記事を書いています。小保方先生の研究歴を調べたり、関係した人物のキャラクターなども、かなり長文の記事で新事実も出ていました。
小原 それは初耳です。
上田 記事によれば、小保方さんがSTAP細胞発見に到るまでに三人の男性が関与しています。一人目はハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授です。バカンティから小保方さんはSTAP細胞のヒントを授けられます。彼女は帰国して東京女子医大に移るんですが、そこにベンチャー企業をやられていた岡野光夫先生がおられて、彼の紹介で理研に移ります。
小原 わたしどもが知っているのは、その辺からですね。
上田 理研にはキメラマウスで有名な若山照彦先生がいらした。小保方さんははじめ若山研に籍をおいてSTAP細胞の実験を続けたわけです。彼女のいうSTAP現象とは要するに、細胞に刺激を与えればそれが初期化して、受精卵のような万能性を帯びるというものです。このアイディア自体は、決して小保方さんだけのものではありません。いろんな方が言っていたことです。電磁波や超音波などで刺激を与える、物理的に引っ張る、細い管の中を通すとか様々な方法で刺激を与える研究が行われてきたんですね。小保方さんのアメリカ時代にバカンティ教授がすでにやっていた研究でもあります。
葉山夏子著『小説万能細胞』
幻冬舎刊 2020年10月16日刊
小原 バカンティ教授から研究のアイディアを与えられた、とは聞きました。若い研究者を育てる際に、それはよくあることですよね。
上田 それらの刺激の中のどれが万能細胞をつくるのに一番適当なのかを発見したのが小保方さんでした。弱酸性溶液に浸したらいいんだ、と発表したわけです。
小原 オレンジジュースも酸性といえぱ酸性ですもんね…。
上田 細胞に刺激を与えれば初期化する、というアイディアはとても魅力的です。あまりにも魅力なアイディアだと言ってもいい。それで幻惑されてしまうんですね。そこへ小保方さんが持っておられる独特のキャラクターが付加されて、STAP細胞の騒動に到ったんでしょうね。日本の研究世界は男社会で、女性研究者はとても立場が弱いですから、小保方さんは完璧なエビデンスを作るために、無理をして文章のコピペ、画像の使い回しなども行ったのかもしれない。それがまた小保方さんの印象を悪くしてしまった。
小原 完璧を求められて、追い詰められていらしたのか…。
上田 小保方さんは早稲田大学で学位を取得されたそうですが、その学位論文自体にすでにデータのコピペ、使い回しがあるという批判も出て来ました。ニューヨークタイムズの記事によると、これは早稲田大学の中ではそんなに珍しいことではなかったようなんです。調べてみると、小保方さんだけでなく、ほかの論文にも莫大な量のデータのコピペ、使い回しがあるとわかったらしいのです。
小原 そもそも早稲田大学自体がおかしい、と。
上田 そのような論調です。ちゃんとした教育が行われていなかったのではないか、ということです。早稲田大学では平気でコピペやデータの使い回しが行われていたとすると、それが不道徳なものだと小保方さんは認識していなかった可能性があります。求めに応じてデータを出せば喜んでもらえるという心理があったので、ああいう発表になった可能性はゼロではありませんね。
小原 小保方さんには悪意も、特に大きな野心もなかった。それはすごく、しっくりきます。無邪気なので、かえって誰も気づかなかった、と。
上田 ただ男性の側、小保方さんを指導した男性研究者の側は、また新しいデータが出たのか、これは素晴らしい、となった。それらがあまりにも魅力的なデータなので、どんどん盛り上がってしまった。マスコミも研究者が若い女性だったこともあって、よけいに騒ぐ。つまりSTAP細胞騒動は、マスコミと男性研究者と小保方さんの合作だったのではないでしょうか。
小原 皆さんの願望が小保方さんのSTAP細胞発見を作り上げた、ということはありそうですね。
上田 小保方さんがSTAP細胞事件の全シナリオを書いたとは、ちょっと思えません。彼女自身が持っていた欲望は、もっと小さなものではなかったのか。加えてデータをコピペしたり剽窃したりすることに、あまり罪悪感を覚えない教育を受けていた。先輩も含めて、どうやら早稲田大学ではそれほど特異なことではなかったようですから。小保方さんは実験すること自体は好きで上手だったのかもしれません。
小原 女性が社会的認知、その証しである金銭を求めるエネルギーは、一般には男性ほど高くないと思います。あるとすれば、身近な人にもっと愛されたい、ということの変形が多い。昔、厚労省で女性官僚の村木さんに汚職の濡れ衣がかかったときも、首を傾げました。村木さんは優秀で、なおかつ家庭もお持ちでしたから、それで十分満たされていたはずです。
上田 ところが小保方さんの周囲には、もっと大きな欲望を抱えた研究者たちが何人かいて、自分が手を貸せばさらに大きな発見、業績になると考えた。バカンティ教授も若山先生、笹井先生も、小保方先生よりもはるかに大きな欲望を抱えておられたのではないか。
小原 ああ…。なんとなく絵が見えてきました。
上田 STAP細胞に関しては、マスコミにとっても大ニュースになる可能性があったし、研究者にとっても別のもくろみがあった。共通するのは、まあはっきり言いますと、巨大な欲望というのは「名誉」と「お金」です。学者はつねに名誉を求めているし、研究成果で特許を取って、それをうまいタイミングで発表したらベンチャー企業の株価が上がります。そういった様々な欲望が組み合わさってSTAP細胞事件に至ったわけですが、小保方さんはその間、皆さんが喜んでくださるなら、というスタンスで、いわば使われただけかもしれません。
小原 STAP細胞発見については、データ的証明の部分には疎漏があったとしても、核の部分、STAP細胞を発見したという部分については皆、信じて疑わなかったという感じです。それ自体がフェイクだとなって、「えっ、まさか」という雰囲気でした。
上田 周りの人はどこか変だと思っていた可能性はありますが。
小原 最初のうちは、権威者の誰も異を唱えていないんだから大丈夫、が大前提で。じゃあSTAP細胞発見の発表後、自分はどう動けばいいか、ということで各自の頭がいっぱいだった可能性があります。誰も足元を見てなかった。いろんな場面で、しばしば起こることですが。
上田 STAP細胞が大騒ぎになってしまった一番の元凶は、やはり「お金」だと思います。研究者はいつも研究費に困っているし、個人的にも豊かになりたい、iPSを超えるくらいの万能細胞が作れるんだったら、巨大な利益につながります。先ほど挙げた三人の研究者も妙に特許にこだわっていたようです。このあたりの事情に詳しいベンチャー企業の方々の株価操作に使われようとした気配です。
小原 お金に気を取られてしまって、皆が足元を見損なっていた。それを見越した「詐欺師」がいたのでしょうか。
上田 そういう可能性はあると思います。どんな大発見でも、一時的にはもてはやされますが、数年経つと化けの皮が剥がれてしまうことが多いのです。STAP細胞も発見され、盛り上がり、しかし熱が冷めると検証がはじまり、いやこれはダメだ、ということになった。しかし化けの皮がはがれるまでの数年間に期待していた人がいた気配もありますね。話題になればそれだけ株価は上がりますから、企業はタイミングをのがさず売却して利益をプールすればいいわけです。
小原 笹井先生を死なせてまで儲けようとしたのは誰か。調べればわかるでしょうけど、罪には問えない…。
上田 ひどい場合は、数年経って化けの皮が剥がれたときには、株で儲けた会社も消滅している。そういうことが医療関係の企業ではよくあります。
小原 株価はもともと幻想といえば幻想という側面もありますよね。株価が上がる、下がるとして、その要因が本当のことかどうか、取引する人は知ったこっちゃないわけですから。要するに株価が上がればいい。株を上げる要因としてSTAP細胞発見があったとしても、その発表の真偽そのものについては関心がない、という関係者がいた可能性はありますね。そしてその人たちが一番、得をする…。
■上田先生の来し方■
小原 STAP細胞とそれを取り巻く人々について、大変興味深いご考察でした。上田先生は科学者でいらして、なおかつ人の心の機微にも通じておられる。患者さんと接する立場の方は皆、そうあってほしいと思います(が、そうでない医師免許保持者がたくさんいます)。先生のご経歴としては、まず京都大学に入学されたんですよね。
上田 わたしの一族には医者はもちろんのこと、大学で働いた経験のある人は一人もいませんでした。大阪で商売をやっていた家系なんです。学問とか芸術に価値を置く人なんて周りには一人もいない(笑)。そんな地域でも京都大学は独特のポジションなんです。東大より上だと思っている人も結構います。そういうカルチャーの中で育ちましたから、京大に進学するというのがファッションとして魅力的だったんですね。今はどこの大学を出ても、その後の努力の方が重要だというのが常識ですが、当時は進学する大学によってその後の人生が決まってしまうというような時代でもありました。それで京大進学が大きな目標になった。しかし高校生のときは、京大に進学して何をするかはあまり考えていませんでした。
小原 高校生なんて、いつでもそんなものでしょう。
上田 ただわたしは飛行機が好きで、零戦とかプロペラ飛行機が好きで、リンドバーグのノンストップ大西洋横断単独飛行にも憧れていましたから、航空工学科に進学しました。
小原 なんか、わかります…。わたしも高校時代、東大行って種子島の宇宙開発事業団に入る、と。幸いにも落ちたので(笑)。
上田 ところが進学してみると、あの優雅な形をした飛行機を作るのではなく、やることは応用数学そのものだったんです。翼の断面の設計とか強度計算とか、数学的に値をはじき出してやるんです。ぜんぜん飛行機の形が出てこない(笑)。加えて1969年当時、例の大学紛争が始まりました。三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺したのが大学二年生の時です。全共闘による東大安田講堂の占拠事件もありました。そういうざわざわした時代ですから、キャンパスがバリケードで封鎖されていて一年半の間、授業がまったくありませんでした。
小原 庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』の時代ですね。
上田 なにしろ、やることがないんです。海外留学も考えたんですが、いつ大学が始まるのかもわかりませんでしたからね。非常に中途半端な時期でした。
私は大阪から京都に電車で通学していたんですが、通学路に美術短大があったので、そこに潜り込んでデッサンとか油絵を描いていました。それと同時に小説を手当たり次第に読み出しました。特にサガンに入れ込んで、まさに乱読というほどでした。それまでは小説なんて読んだことがなかったし、中学のときに夏休みの宿題で、竹山道雄の『ビルマの竪琴』を読んだくらいでした。本を読み出すと、それなりに小説なんかを読んでいる人が見つかるもので、そういう仲間もできました。本を読んでいることが知的な証明になる時代でもありましたからね。
小原 学校がないと、横道の勉強が進みますね。
上田 そんなことをしながら大学で勉強もしていましたが、いつまでたっても飛行機が出てこない。そのうち日本には航空機産業がないことに気づきました(笑)。そんなことも知らないで航空工学をやっていたんですよ。それでも卒業すると、みんな自動車企業や造船会社とか、一流企業に就職できるんです。卒業が近づくとインターンみたいなものがありまして、そういった企業に見学に行ったんですが、まったく魅力を感じられなかった。グレーの作業服を着た大学の先輩が案内をしてくれたのですが全然かっこよくない。
小原 わたし、東芝の研究所に一年しか勤まりませんでした(泣)。
上田 最初のうちはサラリーマンになるつもりでしたが、ざわざわした世相とかの影響もあって、自分はサラリーマンが勤まるんだろうか、と。これは手に職をつけて自由に暮らした方がいいだろうと考え始めました。医者になって、その上で好きなことをやった方がいいだろうと。北杜夫の影響もあったのかもしれません。そもそも父親は商売人でしたから、店の二階で開業したら、とか言いますしね。それで東京医科歯科大学に再入学したんです。東京に行きたいという気持ちもありましたから。
小原 ここ(山の上ホテル)の、すぐ裏手ですね。
上田 医科歯科時代には、山の上ホテルの「モンモン」というバーによく飲みに来ていました。いまと違ってお茶の水には十時をすぎたらやっているお店がここしかなかったのです。サントリーオールドの水割りが一杯五百円くらいでとても高級な感じがしましたね。十二時くらいまで飲んでいると、ホテルで執筆している小説家が来たりしました。野坂昭如さんを見たことがあります。
小原 暴れてませんでしたか(笑)。
上田 バーテンダーと言い争いしていました(笑)。そんなこんなで、最初は開業するつもりだったんですが、たまたま名古屋大学に先輩がいたので、帰省の途中に遊びに行ったのです。その人の紹介で主任教授の岡達先生にお会いしたら、この方がこれまで見たこともないような人格者でいらした。びっくりしましたね。同級生は開業して儲けることしか考えていませんでしたが、研究するとはこういうことなんだ、と知ったわけですわけです。開業予定で、父親が場所も確保してくれていましたけれど、研究したいので四年間猶予をください、と父に頼んで始めたのが再生医療だったのです。
小原 どこかで先生が書いていらしたと思うのですが、ほんとに出会いと巡り合わせで物事は進んでいくのですね。研究者の間には、また面白いお話がいっぱいあるでしょう。
上田 ありますねぇ、医学部には。山崎豊子さんが『白い巨塔』でお書きになって何度もドラマ化されていますが、教授選挙なんかが典型的です。実に複雑な人間同士の愛憎ドラマが生じます。医学部にいれば当然、山崎豊子さんの世界があり、渡辺淳一さんが描いた世界がリアルなものとしてあります。勉強ができる連中が集まっているところに、教授の椅子というものすごい権威的目標が置かれているわけです。そして、ほぼ全員がそれを目指している。
小原 それは軋轢が生じますよね。
上田 一方で、患者さんがいらっしゃるわけでしょ。患者さんと教授の椅子とどっちが大切かといえば、個人としては教授の椅子の方が大事になるんです。わたしもそういった葛藤を経験しましたから、いつかそれを書いてみたいとは思います。スッキリするでしょうね(笑)。ガチガチの学者世界で暮らしていた研究者でも、いつか本当のことを書きたいと思っておられる方は多いと思います。
■隠ぺいされた医療の実態■
小原 医療は人の命にかかわることなのに、まだまだ隠されていることが多すぎますね。ALS患者さんの実情も、世の中に広く知らしめなければなりませんし。
上田 そうなんです。わたしも治療して初めてALS患者さんと密接にお付き合いしたんですが、惨憺たる状況がわかりました。誰かがALS患者さんの現状を発言しなくてはならないと思います。孤立無援で、誰の支援も受けられずに放置されている方がたくさんいらっしゃいますから。ALS患者さんのほぼ全員が自殺を考えておられるんじゃないでしょうか。日本のような豊かな国でALS患者さんたちが取り残されているのは正常な状態ではないですよ。その上、自由診療という名目で、あまり効果がない治療で莫大な費用を患者さんに請求しているという現実もあります。
小原 マスコミも一応はあるし、SNSもある。こんなにオープンな世の中なのに、肝心なことが隠蔽されているのが信じられません。誰の利益にかかわるというのでしょうか。
上田 ALSに関しては、日本の製薬会社も腰が引けています。また日本の国の方針は、ALS治療でも依然として幹細胞治療です。幹細胞治療は、ステミラック注®︎もそうですが、もう治療効果について結論が出ているのに、行政は相変わらずそれに対してハッキリした態度を示していません。
小原 たくさんの予算を使ってしまった責任を問われるのが困るのですね。
上田 世界の潮流はステム・セル・フリーセラピー(幹細胞を使わない治療)になっているのに、なかなかそこに注目が行かない。その間にイギリス、アメリカ、シンガポール、香港でどんどん新しい治療方法の治験が始まっている。日本はどうするつもりなんだ、という感じもしますね。
■生死の境を見る文学■
小原 その日本社会のあり様や人間たちの心理も、まぁ文学的には面白い、とでも考えて気を静めるしかありません…。
上田 ALSについては自分が診た患者さんだけでなく、2019年に京都で起きた、いわゆる嘱託殺人事件にも関心があります。二人の医者が、ALS患者さんから自殺の幇助を求められて実行したという事件です。患者さんがSNS上で医者に自殺幇助を依頼したんですね。患者さんは女性で、とてもインテリジェンスのある方といわれています。問題になったのは、医師二人がお金をもらったことです。そのため自殺幇助ではなく、嘱託殺人の罪に問われた。
小原 特にどういった点に、興味を惹かれておられますか。
上田 なんの因果か、ある日突然ALSという絶望的な病気にかかり、自分の意志で自らの命を絶つ決心にいたった心の遍歴はどのようなものだったのだろうか、何度も不運を呪われたと思います。あの事件には、伝えられていないないドラマがあるでしょう。わたしがALS患者さんに接した経験から言っても、あの事件は一筋縄ではいかない事件だと思います。依頼した女性だけでなく、ドクターの方にも葛藤があったでしょうしね。
小原 今、戦後文学が完全に終焉してしまったこともあって、文学の世界は勢いがありません。女性作家は『源氏物語』以来、無意識の生命力といった永遠のテーマを持っていますから、まだ秀作を書いている小説家がいるんですが、男性作家の方はとても低調です。情報化社会ということもあって、社会全体に衝撃を与えられるようなテーマを掴みきれないんですね。でも医療現場のお話は、現代小説の大きなテーマになり得るかもしれません。
上田 渡辺淳一さんの作品に『小説心臓移植』がありますね。彼が札幌医大の整形外科講師のときに書いた小説で、とても面白い。渡辺さんはあの小説を発表したことで、いわば詰め腹を切らされて大学を辞めることになった。
小原 今の再生医療、心筋シートやステミラック注®︎などと重なるところがありますね。
上田 ああいう現場を見てしまった人は、書いた方がいいんじゃないかと思います。小説にするかどうかは別として、なんらかの形で吐き出して消化しておかないと、後々かなり苦しい思いをするだろうと思います。渡辺淳一さんも、あれで大学を追われて小説家になったわけですから、あの事件がいろんな意味での転機になったと思います。
小原 吉本隆明さんがおっしゃったように、「生死の境を見る」経験だけが文学のテーマになり得ると思います。女性作家は出産、子育て、介護など、生理的にも生活環境的にも生死の境を見る瞬間がたくさんあります。そこへ接近しようとする男性作家もいますが、これはまあ、女性作家の独断場といったところですね(笑)。男性作家はもっと大きな社会的な「生死の境を見る」テーマを見出さなければならないわけですが、それができないので低調になっている面があります。
上田 医療現場、研究世界といろんなところに顔を出して、様々な現場を見てきました。その間これは記録に残さなければならないな、と思う事件はいっぱいありましたね。
小原 上田先生は、とても好奇心旺盛でいらっしゃいますね。
上田 教授選は『白い巨塔』以降、面白いテーマになっています。大学内部で何が起きているのかは、あまり外に出ないですからね。実際はそこら辺の町で起こっているのと似たような出来事がいっぱい起きています。教授会というものの馬鹿らしさも嫌になるほど経験しました。わたしは幸か不幸か、すごく若くして教授になりましたから、教授という人種がどういう人たちなのか、よく知っています(笑)。教授の椅子を巡っては人間ドラマの塊ですね。
小原 上田先生のようにリベラルというか、患者さんの気持ちに寄り添っておられる方が若くして教授になられたとは意外です。もちろん飛びぬけて優秀でいらしたからでしょうが、アカデミズムも捨てたものではない、と安堵しました。
上田 医者と患者の関係も永遠のテーマでしょうが、お役人や国との関係も一筋縄ではいかない、面白いテーマです。特に再生医療が注目されるようになってから、この分野はベンチャー企業が参入してくる大産業になりつつあります。バイオテクノロジーがお金になる時代になったんですね。そういう時代の学者は、やはりそれほど清廉潔白ではいられなくて、中には欲の塊のような方もいらっしゃる。
小原 はい。先のSTAP細胞事件のお話で、察しがつきました。
上田 当たり前ですが、学者は聖人君子ではありません。そして、そういう状況になっているということは、これから研究者になる若い方も知っておいた方がいいと思うのです。
渡辺淳一さんは『小説心臓移植』のテーマを別の小説でも何度も繰り返し書いておられますね。それだけ最初の体験が衝撃的で重要だったんでしょう。ただ、現在には現在の医療の問題があって、その問題が集約され、端的に表れているのは再生医療、バイオテクノロジーの分野だと思います。
小原 情報化時代ですし、皆、まだ気がついてないけれど、これから非常に大きな社会的テーマになるでしょう。現代の渡辺淳一として、どなたかが明らかにしなければなりません。先生、いかがですか(笑)。
上田 当面はALS患者さんの治療が優先ですけどね。ただCOVID-19、今度はサル痘が流行するかもしれないという時代ですから、医療も混乱して大変ですね。
小原 医療ジャーナリズムでは今の流行りはもっぱらCOVID-19かもしれませんが、早晩その後遺症が問題としてクローズアップされるでしょう。それをきれいに解決してしまうのが培養上清なわけですから、また再生医療に戻ってくる。
先ほど「妖精の粉」などについて「実は培養上清と同じものを見ている」とおっしゃっていましたが、表面だけのジャーナリズムでははかり知れない、本質へ向けて医学研究は進んでいくように思います。一方で、患者さんや一般に向けての啓蒙活動がご研究にプラスに働く面もあるんじゃないでしょうか。
上田 研究者の世界では、コツコツ型の人も必要なんですが、今までとまったく違う視点を持ち得るためには、文学や音楽、絵画などの芸術と接点があった方がいいかもしれません。わたしはビートルズ世代なんですが、最初に彼らの音楽を聴いたときの解放感は、今でも忘れられません。文学や音楽、絵画の世界は、わたしたちのように積み上げ型で作ってきた世界とは異質な要素があって、どこかでパッとジャンプした気配があります。それが芸術の世界の特徴でしょうね。そこで新しい発見が生まれているように思います。
小原 飛躍というのは天から降ってくるというより、常に実践、創作なら創作の現場で起きる気がします。先生は研究者でもあり臨床医でもいらっしゃるので、現場の経験も大事でしょう。
上田 研究が目的ではないですからね。臨床に戻っていかなければ、何のために研究しているのかわからなくなってしまいます。実際に再生医療をやった人にしかわからないことは多いです。大学の研究室で、けっこうな研究費を使ってある幹細胞を培養して100グラムくらいの骨を再生できたとしても、臨床で意味があるのか、ということです。
小原 またそれが大々的に報じられはしても、ですよね…。
上田 客観的に見れば、それはもう医療としては成り立たないな、ということが簡単にわかるはずです。すると別の治療方法はないか、と考えなくてはならない。しかし今、幹細胞研究を行っている人で、臨床現場を経験している方は非常に少ない。理論的な正しさと、医療現場での実用性の間には大きなギャップがあります。臨床から離れてしまうと、それがわからなくなる。
小原 永遠に臨床では使えない研究が進むのですね。すごい額の研究費を使って。数百万円で自費出版された、読み手のいない書物のようなものでしょうか。ただ文学と違い、医療は現実の悩みがあって必要とされています。もちろん研究者にも悩みはあるでしょうけど、患者さんも同じく、というよりもっと深い悩みを抱えています。
上田 患者さんが求めているものはシンプルです。苦痛や不安から解放されたいということです。医者は名誉や権威、場合によってはお金を求めるなど、病気を治療することから離れてしまっている場合もあります。だからこそ医療界の人間ドラマが生まれるんだけど、患者さんが求めているものに百パーセントは寄り添ってはいないのです。
小原 そのギャップをできるだけ埋めさせるのが、本来の行政の役割で、研究機関を含めた医療組織の規約だと思うのですが。
上田 日本は開業医がとても多い国です。開業医になると、どうしても経営が重要な問題になります。自由診療になると、それがもっと生々しくなってきます。この患者はどのくらいのお金を払えるだろうか、という視点が必ず生まれてくる。病気が治るか治らないかではなく、施術の成功と不成功は、たぶんに患者さんの主観的満足ということでしょう。
■歯と口腔の再生力■
小原 先生は東京医科歯科大学を卒業なさったわけですが、口の中ってとっても再生力が強いでしょう。傷もつきやすいですが、治るのも早い。それは乳歯幹細胞の性質と関係があるんでしょうか。
上田 とても深い関係があります。脳と口が発生するのは同じタイミング、同じ組織ですからね。哺乳動物の進化から言っても、生物は元々魚だったのが、陸上に上がる時に鼻と口が分離したと考えられています。食べものを食べる口という独特の臓器ができて、鼻は空気を吸い込む臓器になった。
小原 鼻が詰まってると口呼吸になりますけど、そういえば口パクパクして金魚みたいですよね。
上田 口は食道を通じて胃とつながっています。鼻は気管を通じて肺とつながっている。最重要の進化は、生物が陸上に上がったときに、口=食べものと、鼻=空気を吸い込む臓器を分けたことから始まるらしいのです。また、たくさん噛まなければならないと顎が発達して、脳の容量が少なくなってしまう。そこで歯が生まれて咀嚼する能力を得た。さらに人間は食物を火で加工して柔らかくできますから、ますます脳の容量を増やせた。そういった進化によって今の人間が生まれた、という説があります。
小原 歯医者さんについては、わたしは今の主治医にたどり着くまで苦労したのですが、名医だと思っています。上田先生がおっしゃることにも通じる主義でいらして、簡単に歯を抜いたり削ったりすることには批判的です。
上田 猿をつかった研究で歯の神経を除去する実験がありました。神経を除去して代わりに色素を詰めておきます。一定期間その状態で生活させた後に解剖すると、色素が脳に到達しているのがたどれるんです。扁桃核や海馬という記憶・情動を司る箇所に色素が到達しているのが確認できた。つまり歯(正確には歯の神経)を失うことは、脳の一部を失うことになるのかもしれません。だから歯を抜いちゃうというのは、脳の一部を破壊することになるんだよ、という学説もあります。それぞれの歯医者さんがどんなポリシーで治療なさっているかはわかりませんが、安易に歯を抜くのは問題かもしれませんね。
小原 歯を粗末に扱うのは脳を粗末に扱うこと、と思っていた方が無難ですね。少なくともプラスチックか何かでできた付属物ではなくて人体そのものであり、時代が進むにつれ全身の健康に大きな影響を与えることが解明されているようです。
先生の再生医療は口腔内の骨のご研究から始まったと思いますが、生命の発生にまで繋がっているのですね。それに芸術、文学や音楽、絵画に対するご興味が大いに寄与したということがありそうです。なぜなら芸術は常に「起源」を問うものですから。
上田 スピリット・オブ・セントルイス号で大西洋横断飛行に成功したリンドバーグは無神論者だったそうです。今で言うアスペルガー症候群の人でもあったようで、奇妙な事件もいっぱい起こしています。リンドバーグは四十八時間不眠不休で飛行機を操縦して大西洋横断単独飛行したわけですが、まあ死んでもおかしくない冒険です。出発前夜も眠れなかったと言いますから、普通の状態ではなかったはずです。彼は自分が無神論者であることを密かに誇りに思っていたらしい。でも最後の最後にパリに着陸する直前になって、リンドバーグは神に祈ったといいます。あの合理的で機械の使徒みたいな人が、着陸するときに神に祈った。ああいう瞬間というのは、人間には必要なんじゃないでしょうか。宗教心など持っていなくても、どこかで自分の能力を超えたものに祈るというか、ジャンプする。それは人間にとって、とても大事な瞬間だと思います。
小原 どんなに優秀であっても、理論が自分の頭の中で完結している研究者と、世界には自分ではどうしようもない飛躍があることを知っている研究者では、やはり大きく違うでしょうね。
上田 臨床をやっていると、想像もできなかったことが起こりますからね。最初に治療したALS患者さんが首を動かすことができるようになった、という動画が送られてきたときには本当にびっくりしました。何が起こったんだろう、という感じでした。医者はもちろん患者さんを救う使命を持っているわけですが、治療効果によっては医者が患者さんから救われる瞬間も多々あります。幸せな仕事だと思っています。
小原 本日はたくさんの貴重なお話をありがとうございました。上田先生の培養上清治療のさらなる発展をこれからも注目していきたいと思います。
(2022/06/25 下編 了)
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