偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 年齢・職業の幅は一目多彩でばらばらな趣味嗜好を持つ個性のランダムな集合という印象の初回勉強会だったが康介は、ほんの一声あらばただちに宗教結社として子どもや年寄りの十人や二十人拉致してくるくらいの結束的潜在性がたちこめていることを嗅ぎ取っていた。
桑田康介入塾二度目の勉強会では、即興で黄金小噺を語る訓練が行なわれていた(これは後に「ポスト句会」と呼ばれた)。康介がセミナー室の後方ドアからそっと入っていったとき、ちょうど小熊誠子がしどろもどろに語り始めているところだった。小説家小熊誠子三十歳は、件の両角θと面識はないが複数の文学賞に同時に候補に挙がった関係もあって少なくとも小熊の方は両角θを大いに意識していたらしい。加えてデビュー時に老大家に「なんでもセックス、女性性、おんな、ジェンダー、おんな、ジェンダー、おんな、セクシュアリティ、おんな、おんな、おんな。あたしってこんなにフィーメイルっ。ふん! この主人公が悪しき私小説的作者自身であることは明瞭だ。なぜにセックスか。男女未分化の生殖以前以後の老廃物、ウンコの描写一つできないやつに大成の道はない」……徹底的にくどくど叩かれたトラウマ経験……「断じてない。気取りおって。セックス書く暇あったらいっぺん脱肛の苦悶でも克明にズームインで書いたらよかろ。セックスに囚われおる限りおんなのままだからな。性別なき後下半身になぜ浸らぬのだ、女ってやつは。いや私だっていわゆるガールズトークなるもの、結構ディープなスカトロ話が盛り上がりまくるのを何度か見聞きしておるよ。いや何度もな。だがな、例外なく自分のウンコの話なのだよ彼女らのは。自意識ひきずったウンコなんぞ健康診断票の余白のメモも甚だしい。女たるやようやくウンコを語る気になったと思ったら自分の腹具合にばかり専念しおるのか。いい加減にせい。駄目だ駄目だ。下ネタそのものが女は常に自分語りではないか。ウンコくらい『あたし』から脱却せい。駄目だ駄目だ。我ら男たるや、男たるや、ウンコ話は徹底して他人のクソの話に集中するぞ、他人のな。かりにおのれのウンコを語る場合も他人事として語る。そしてかりそめにも我がクソを語ったら尻拭いた紙の温かいうちにほかのケツをその紙で拭き直しておく。おのれのウンコだけ百万遍描いても〝おんなこども〟のままだろうよ、描けよ他人の、自己中生理リズムとは無縁な他人の脱糞を、下痢を、放屁を、軟便を、水下痢を。他人のウンコに興味持てよ注視しろよ、自分のだけじゃなく。できまいな。だから女はおんなのままなのだ」「男も男のままだからお互い様だがな、しかし少なくとも男はひらがなでおとこなんて言いはせんぞ」「新時代の感性はたいてい女が切り開いておることは認めるよ。小説家もマンガ家もな。だからこそウンコだと言っとるのだよ」「おのれ以上に他者の恥部と些事を描くが文学ぞ。いや他者の恥部と些事を己が大事と名誉に化するが文学ぞ。ありきたりな〈やさしくしてね〉式セックスが恥部とタブーの資格失って久しい新世紀、まだ無垢な恥ブーが残っとるのに気づかんふりでは文人の端くれですらないっ! 恥ブーにまみれた日常を自意識でごまかしている場合ではない! 結婚式の祝辞じゃないんだぞ文学なんだぞ!」「自己規制ある限り自覚に盲点あり。して文学とは人類文化の自覚ないし自意識の粋なり。文学が規制を規制せずしてどうするかっ! 自意識を放棄してどうするかっ! ウンコは安易なタブーだと? 自嘲的直腸談義以外の脱糞談は不謹慎だと? 安易に不謹慎大いに結構じゃないか、安易からクリアせねば何も生み出せんのだよ! 秘結してしまうのだよ、この便秘女めが! いっぺん豪快に他者の肛門から下痢をひり出してみい! 勝手知ったる自分のケツからでなく! ひとさまのケツからぬけぬけと産み落としてみい!」……徹底的にくどくど叩かれたトラウマ経験(街頭入塾試験においてこの経験を縷縷しゃべりながら小熊誠子が電車内で泣き出し注目を集めた有様は一時金妙塾入塾史の伝説となっていた)を持つことも、おろち傾向の無駄に濃厚たる作家両角θを意識せざるをえなくなった経緯の一端であろう(苦言の老大家こそ定巻圭三郎。『矢倉文学』蓬月号で袖村茂明の『萬象常眞』を部分的に評価したあの小説家である。【作家・小熊誠子のエッセイより】)。
さて小熊の黄金小噺である。
‰ 男と女がいたんですって。
相談所のデータのうち「これ」が一致すれば、マッチング完了も同然でしたから。しかもふたり同時に一目惚れだったんですってよ。ふたりは二十六歳の時結婚しました。ふたりの誕生日でした。それ以前もそれ以後も、ふたりはセックスをしたことがありませんでした。かわりにごく自然な営みとして提案も請願も打診も承認も声仕草に表わすことなく当然のように初夜早々女は男の口の中に排便し、男は全量を嚥下し続けました。毎日。毎日。毎日毎日。ほんと毎日。そのたびに愛の電流がふたりの体内を貫きましたもの。だけど四十九歳の八月の誕生日、炎暑のショッピングから戻って男の口の中に火のような大量のガスと少量の黒色便を放った女は、でがわるいな……と呟いて立ち上がりざま、腹を押さえて気を失ったんですってー。女は入院先であと一ヶ月、と宣告されました。直腸ガンが全身に転移していたのですって! 男はよろめきました。女は妖精でした。天使でした。男は両親の、そして多くの親戚のいのちを奪ったガンの、断末魔の痙攣を思い描きました。まさか美しい俺の妻の体内が……。女の死後、男は悪魔の乗り移りに怯えました。あれほど毎日、何十年も飲み込み続けたのだ。ただでさえ遺伝的運命を負ったこの身に、近々何も起こらないはずはない。そりゃ男はおびえ続けましたよ。九十八歳の誕生日を迎えたきょうも、男はひとり自宅の居間のロッキングチェアに座って、腹を押さえておびえ続けているんですって。
定巻圭三郎の苦言が小熊誠子を確実に成長させたと見るべき証拠となるかどうか、ともあれこの実話とも作話とも申告されなかったストーリーが……、
印南哲治の経歴……、経歴の一部……、肝要な一部……、致命的一部……、
と酷似していることに注意されたい(第14回)。時間的には五倍以上引き延ばされた物語となっているが、同一のエピソードであるというのがおろち統計学上の定説である。ということはこのときすでに、印南哲治の影響というか波動というかが金妙塾に及んでいたことを意味するのだが――
■ 金妙塾ポスト句会はむしろ、即興創作というより体験談・目撃談の方が主となっていたようだ。たとえば、ちょうど小熊誠子が欠席したプレ句会においてなされたフリーライター棚橋健一提供の実話と電器店勤務仲原裕哉提供のこれまた実話によって、小熊誠子が老大家定巻圭三郎から被ったウンコ・トラウマはさぞかし癒されたことだろう。
棚橋健一談
ある総合雑誌編集者から聞いた話です。その
【以下省略、∵第13回に引用済み】
このエピソードを小熊誠子が耳にしていたら、それみろ文学的スタンダードわれにあり、スカトロフォビアこそ文壇的デフォルトなりと喜んだことだろう。その幸いは残念なことに訪れなかった。
仲原裕哉談
知り合いの歯科医から聞いた話です。従兄が筋金入りの物体フェチで、ネットで知り合った女性と最初に交わした冗談(と判断されるもの)において相手のメール内に出てきた最もめぼしい物体に交流中ずっと執着する、という性癖があるようで。特定物体フェチならぬ文脈物体フェチと名付けておりましたがね歯科医は。で、ちょい前に知り合った専門学校生における最初の冗談が便秘がらみだったようで従兄氏、言葉は巧みなたちゆえまだ顔を合わせたことない彼女に毎朝の便器内排泄物写メを送ってくれるよう説得したそうで。毎日のウンコ鑑賞が日課になって、交流の最長記録も達成したようです。ところが些細なことで喧嘩して(まだ会ってもいないのに高度な関係なことで。なにやらウンコ写真の照明具合が悪いとかなんとかから険悪化したそうで)、怒った彼女、「今までのウンコ写真はすべて父親のものだった! 会ったこともないのに恥かしくて送れるか、常識で考えろ!」と暴露したのだと。愕然とした従兄氏、その日から勃たなくなってしまい、ということは毎日の写メでシコっていたに違いありませんが、それこそ常識で考えれば毎日父親のを撮影するなんてことができるはずもなく仲直りの折に彼女自身「あれ嘘。もちろん全部私の」と訂正したそうですが、瞬間衝撃の大きさゆえ従兄氏のインポは治らず、機能的損害と精神的苦痛を理由にあろうことか裁判に訴えたんですってさ。これが性器の写メとかだったら猥褻物ナントカ関連で訴訟なんか門前払いだったでしょうがウンコですからねえ。地裁の判決は従兄氏の勝訴ですってよ。被告は機能的損害の損害賠償および精神的苦痛の慰謝料百九十万円を支払え。そのあとまだ揉めてて支払いはなされぬまま、もともとスカトロジストでもなかった従兄氏、物体フェチゆえの臨時スカトロジストにすぎなかった従兄氏、インポのまま推移し最早ほぼ永久にダメっぽいとのことです。自慰も不可能、性欲全面減退、排尿困難、亀頭艶減衰、包茎化傾向とのことです。しかしそんな裁判があったなんて面白いですねえ、テーマがテーマなだけに公の話題にはならなかったみたいですが。
このエピソードは小熊誠子的には「それみろ他人のウンコに気を取られる男特有の自意識希薄が自己糞自撮り女の自意識肥大に敗北するの巻!」となるところだが、勝訴して実利得られずは確かに真の敗北だが、それよりもおろち写メの価値をおろち元年にはるか先立つ某時点で国家機関がしっかり認める判決を下していた事実こそ、おろち紀元後の行方を占う画期的先駆であったと評するべきであろう。
というなんやかんやもあってプレ句会における大半の――たとえば次の話も創作ではなく、元看護婦・高塚雅代が「実際の話ですけど」と前置きした一句である。
(第85回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■