偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 音楽においておろち文化性を最も高濃度含有するジャンルがアンビエントミュージックであることが証明されて久しい今となってみれば、次のようなチャネリング系女性アーチスト作品のスペクトルこそがビニ本スペクトル桑田康介バージョンとの色彩一致度最大を示すものと実証されているのである。
①ドリームドルフィン『アトモスフェリックヒーリング』FRCA1015 森羅厨二系
②宝達奈巳『White Space』ASMD-112 空冷静謐系
③Sawako『nu.it』karu:32 朦朧音響系
④宮田まゆみ、高田みどり『星雲』32DG78 天上神楽系
⑤RAURA『Serenity』SSR0001 香列反復系
⑥シィエル アンフィニー『Infiniへのいざない』CIC-76111 電波恍惚系
⑦内田房江『消えた水族館』QT-1001 浮遊実演系
⑧三輪福『音点otodate 雫の花』AUN-001 水晶瞑想系
⑨miroque『botanical sunset』B000E1KP0K 遊園音粒系
⑩冨田有重『YURAGI』aoi-1002 陶酔音像系
⑪矢吹紫帆『PURPLE SAILS』HS11007-2 光旋揺曳系
⑫永田砂知子『波紋音-HAMON-』HNS0001 金質共鳴系
⑬宮木朝子『Virtual Resonance sound image for 4D2U』te-pito001 宇宙迷彩系
スカトロビニ本対女流アンビエントというこの濃淡相似対応へのクオリア実感が心理適性テスト兼ヒーリングアイテムとして公共機関等に公式導入されて久しいが、チャネリングアレルギー体質の人のために、もっと簡便な色覚判定法〈スパイス法〉が家庭用キットとして印南哲治没後粘燃然年記念日に発売されたことは意外と知られていない。ここに紹介しておこう。朝一番に同一人物が排泄した150グラム以上(粘度・湿度・食事内容問わず)のおろちを十三分割して各々透明皿に乗せ、冷めないうちに薬味十三束を個別に乗せて順次湯気吸引し比較瞑目賞味、直後に体温と脈拍を測るだけである(薬味トッピングは十三束すべて同重量とし摺り下ろしまたは搾り下ろし限定(不統一も可、刻みは不可)、表面に薄く平らに振りかけるか盛り塩風に乗せるかいずれも可(不統一は不可))。
①薄荷②檸檬③柚子④唐辛子⑤辛味大根+葱⑥山葵⑦紫蘇⑧山椒+胡麻⑨生姜⑩胡椒⑪茗荷⑫肉桂+鬱金⑬大蒜+韮
これなら「音楽アレルギーのどなたでも」の宣伝文句通り、簡単に記念碑的スペクトル対応をクオリア実感できることをここに御教示申し上げておこう、ただし本人の承諾を得ないおろち適性内密測定は個人情報保護法により禁止されています。
さてあのアンビエント系列は、前衛音楽マニアだった蔦崎公一の居室、コレクション棚の並びから順序維持のまま抽出したものである。例の蔦崎最期の大事件直後に発見された順序列なので、もとより桑田康介入塾前の段階ではこのスペクトルとの対応付けは不可能であった。とはいえ、というかだからこそ、おろち文化黎明の構造だけでなく雰囲気をも予知的予感的に提示しえた桑田康介体質の侮り難さが浮き彫りになるのである。
ともあれ深筋忠征がまた一段脱帽せざるをえなかったのは、あのスカトロビニ本スペクトル一式13冊を、桑田康介が手放す気でいることだった。「適当な値段つけてよ。これ全部で売るから……どうせほしいでしょ……」
(こ、こやつは……。これまで本物を隠していて、言葉の端にも出さずに、クズばかりうちに売りつけてきおったんだな。実力を隠しおって……、中学一年にして末恐ろしいやつだ……)
このような人材を早めにわが手元に回収しおかずして後々反目に回られた日には……的業界生存競争上的思惑が働いて、すぐにでも「よしっ、きょうから、おまえさんは、一番弟子だっ。この店は、俺の隠居後おまえにくれてやるぞっ」叫びかけたのだが、この年頃の少年の権威幻想に応えてやるには関門はすんなり抜けさせてはならぬと心得ての厳かな真顔をしばらく崩さずに接し続けたのだった。
むろん桑田康介は即日、深筋の抑制した顔筋のひくつきから結果を感じ取り、有頂天のくすくす笑いを布団の中でこらえながら、へっ、おっさんも案外甘いぜ、まだ奧があることを知るまい、とっておきのこのシリーズが鮮渋堂に置いてある気配はないしおっさんがこれを知らないことも言葉の端々から確かだからな、これを隠したままたかがTHEウンコ揃えて見せただけで堂々合格とは俺も襲名前に先代乗り越え決定かぁ?……悦に入っていた。とっておきのこのシリーズ……。これ……。康介がこのとき布団の中で抱きしめていた「これ」とは、小学校五年生のとき神保町のゴミ捨て場で見つけた『オナラオンパレード』という「見本」マーク入りの五冊シリーズビニ本である。表紙は五冊ともシュミーズ姿で大股開き巨尻突きだしの同一モデル。太めのこの女、まれにみる赤らブス顔と評すべきで、細く垂れ下がった目。吹出物だらけの頬と額。そして横に広がったさらに一段赤ら鼻ツブレ具合と上唇の鈍重なまくれ具合。スカトロ業界もビザール系からビジュアル系へと流れつつある時代にこの表紙、正真正銘ド醜女の表情の歪み方が何ともマイルドで、いい、のだがやはり完売は難しい線だろう。と康介自身も値踏みしていた。
そんな表紙だけでもそうした反商業的価値に彩られた代物だったが、
中味を見ると、表紙のブス設定とはうってかわって、第一級の美女ばかりが並んでいた。普通なら――業界中最も息の長かった『お尻倶楽部』系統が好例だったが――登場モデル中最高の美人を表紙にフィーチャーして客の財布をゆるめる作戦を採るのが定石なのに、これは一体どういう了見だろう。珍しい。しかも表紙のブサイク女はシュミーズの裾に隠れたパンツ尻しか見せていないのに、中の美女たちはすべて下半身全露出肛門全開モード。あえて劣悪が図像をオモテに、高品質なる本体を中に隠し、ビニールで立ち読み制するという……製作者の今時アバンギャルドな芸術衝動と信念が感じられる逸品だが、それも手に取って頁開かなければ感じようがないという……なにしろ表紙がこれではやはりろくに売れず知られぬまま廃棄処分となったくちではないか。市場に出る前に企画停止となった見本品の可能性もある。
美女たちはみな、ブラウスや各種制服の潔癖な姿で、一様に尻だけを露出して、一瞬息張った雰囲気の表情を傾けている(第3巻二人目のモデルは中でも清楚の際立つ超美形で、その彼女の双尻こそ全面紫紅吹出物に満ちた最汚尻というのが世紀末ビニ本的雰囲気満開なのだった……)。どうやらこれらみな、オナラを放っている瞬間という設定らしい。康介は首をひねったものだ。以前から「オナラ」を題材にしたスカトロ本やビデオは何種類かあった。むろんオナラは不可視。したがって気体を可視化する作為を凝らす必要がある。オナラビデオの走りである『放屁の鉄人』『オナラウーマン』といったFTCシリーズは、ぷうっという発射音とパンツの生地のすっと膨らむ光景とがシンクロする〈映像ならではの密接サービス〉により、ファンの納得と支持を得つづけたのをご記憶だろうか。音の出ないビニ本の実証的工夫はもっと身も蓋もなった。湯を湛えた風呂の中で肛門から泡が洩れる。肛門から突き出たストロー先端でシャボン玉を膨らます。微細な黄粉を吹き飛ばす等々。しかしこの『オナラオンパレード』には――
何もない。
放屁中を実証する粉も泡も。
むろん音も。
日常的着衣で裸尻のみ露出した女たちが顔を微笑気味に引き歪めているだけ。
「レイコ、目下放屁中。信じよ」……。
そんな文字が写真の隅に印刷されている。
そう、信じろというのだ。
これはアートだ、と康介は思ったものだ。
「これがゴッホの使ったパレットである。信じよ」……。
フェティシズムの、形見主義の、本物鑑定の極意、「信」。
信ずれば香しいオナラ発射音が聞こえてくる。表紙の自己過小表示といいこの信じよ路線といい、深筋御大が見たら七転八倒の狂気に拗け回りそうなこの『オナラオンパレード』は、(隠し球にとっておこう……)と康介は決めた。
いざ自分が鮮渋堂を襲名する暁に、深筋現店主にこの最後の一撃を進呈し、おおおお、こやつ遥かにわしを超えていたわいとめでたく隠居の花道に飾っていただこうと。
(くくくくく……、あのスペクトルであれほどのけぞっていたおっさん、この『オナラオンパレード』にはひっくり返るぞ……)
しかしこの康介の思惑は、老人の心臓発作系ハプニングを心配した程度の意義しか実は持たない。隠し球をとっておこう、などとというのは余裕の自信のように見えて実はこれほど臆病な安全主義もないのである。
本当の自信があれば、現時点のすべてを出し切り周囲を震撼させた上、将来その都度新たなワザを編み出して震撼度を維持・上昇させることができるはずである。康介には心の底でこの将来的自信が欠けていたと言わざるをえないのだ。袖村茂明、蔦崎公一らの器質的素質と比べ機能的な「芸術器量」「学び体質」「記録者体質」でのみ勝負する定めにある桑田康介にして、この些事こそが致命的な欠陥だったのである。後のおろち史において桑田康介が主役を演じきれなかった理由もそこにある……。
康介は『オナラオンパレード』五冊セットに加えて『オナラオンパレードpart2』三冊セット、後に「ナチュラル可視屁」と呼ばれる、目に見えるオナラを発射中の美女尻ばかりが並んだビニ本も入手していた。これは気温の低い室内での濃厚放屁を集めた写真集である。
放屁がかすかに水蒸気化しているさまが各頁に見て取れる。
体内からエクトプラズムというか体軸末端から魂がというかオーラがというか、ヨーク見ると立ち昇っている敵な微妙画像がアートな放屁写真。
幽かさが売りかと思いきや、ところどころあからさまに冷蔵室の中で撮られた写真がまとまっている。天上からいくつも釣った肉の塊を背景に、美女の汚尻から中腰放屁がくっきりと水蒸気となってあるときは肛門から即円錐状に拡散、あるときは不定形に霧状揺曳、あるときは渦巻きや螺旋の濃淡複層蒸気が絡まりあって漂泊している。霧が霰状に固まって尻肌を伝う形で産毛に水滴の鎖を作ったりもしている。
幽かさ微妙さに溺れず、明瞭透徹にも食い込んだ良心的芸術と評すべきである。
粉や水や泡などを用いない、自然に目に見えた屁を撮影した傑作群。
この白筋は腸内蒸気なのか腸内体温なのか、想像逞しくさせまくる果てのハイライトたるや、直下に放たれた靄屁が床面で円形拡散・王冠状に対称的飛沫と弾け、水爆キノコ雲のような巨頭円柱となって肛門に戻っているさまが連続写真で提示された中ほどの頁である。
最後の一コマには屁主とは別の女性の手が半切りレモンを持って霧屁柱の根もとに果汁を絞っており、汁摘が微細屁滴と化学反応してパチパチと線香花火模様に七色閃き弾けている。前述の〈スパイス法〉がこの写真をヒントに開発されたことは間違いない。とにかくその美麗花火写真が一枚しか収録されていないというのがまたこの『オナラオンパレードpart2』独特の贅沢なコンセプトなのだった。
康介はしかし、このナチュラル可視屁写真集の方は、押入れ深く放り込んで、深筋店主への報告はみじんも考えなかった。不可視の屁を「信じさせ・信じる」という精神力の呼応にこそ価値を認めたのであって、可視化するほどの濃度・湿度・温度を実現した屁力はあまりに物質的として意義を認めない康介だったのである。この、『オナラオンパレードpart2』を早々に見切って『オナラオンパレード』のみを「隠し球」としていた康介の、齢に似合わぬ精神主義といおうか美意識といおうか、早熟ぶりは確かに目を瞠るべきものがあった。というのは選択科目「おろち史」高校入試問題レベル。大学入試では次のように答えねば正解とはされまい。ナチュラル可視屁の物理力を素直に認めそこなっていたことは返す返すも正統派おろち主義者として欠陥があったのだ、おろち紀元はあの超物質的大事件双発によって幕開けしたのであるから、と。学会発表レベルになるとまた定説が一回転半変色するのだが、ともあれそこにも康介がこの道で真に大成できなかった根拠の兆候が仄見えていたと言わざるをえない。
とはいうものの――
初代業界の鬼とも称された男深筋忠征をしてかくもこれだけ現に感嘆させたうえまだ「隠し球」および「隠し球以前」的余力を秘めていた桑田康介という一種アンファン・テリブル、その小学生時代のおろち系履歴にしてもさぞ華麗なものだったと想像されるかもしれない。しかし、全くといっていいほど、康介在籍の小中学校ではおろち文化は育っていなかったのである。
(第84回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■