音楽評のお話を頂いた時、評論よりもガイド――まだ聴いていない人は興味を持ち、既に聴いた人は再び確認したくなる文章――にしたい、と思いました。そして最初に浮かんだアルバムが、キング・クリムゾンのデビュー盤『クリムゾン・キングの宮殿(In The Court Of The Crimson King)』(以下、『宮殿』)です。
勿論、今まで数えきれないほどのメスを入れられ、解剖しつくされた作品であることは承知しています。プログレ、というジャンルを代表する名作ですから当然です。そして私は自分のメス捌きに自信などありません。
ただ、解剖以外にもやり方はあるはずと信じ、進めていきたいと思います。医者というよりは、斡旋屋の心持ちで。
何だか分からないけど凄い、という感想はしばし『宮殿』につきまといます。私も同感です。本当に何だか分からないけど凄い。ただ、独自のルールを貫く「凄さ」とは異なります。
例えば問題作の定番、ルー・リードの『メタル・マシーン・ミュージック(Metal Machine Music)』はノイズ音を61分間流し続け、ピチカート・ファイヴの『女性上位時代』は歌い手・野宮真貴の魅力を引き出す為の曲ばかりを並べ、ジェームス・ブラウンは彼のシャウトがなければ成立し得ない音楽で私たちを踊らせてくれます(その傾向を確認し易いのは、オリジナルアルバムよりもベスト盤の類でしょうか)。
ルールを「スタイル」と言い換えても構いません。一ヶ所を気に入ったなら、残りの部分も大丈夫。上記のアルバムは良くも悪くも全体の質感が均一です。
ただ『宮殿』はそうではありません。全5曲43分を束ねているのは、確固たるスタイルではなく、「暗さ」や「硬さ」、「疾走感」といった幾つかのイメージです。それらのイメージが単独で、または並び立ったり混ざり合ったりする中で、「何だか分からないけど凄い」音楽が聴こえてくるように思います。
さあ、とにかく聴いてみましょう。
■ 21st Century Schizoid Man ■
一曲目の、つまり『宮殿』全体のイントロに関しては「ずるい」という言葉が最も簡潔にして相応しいでしょう。衝撃的なジャケットのせいで、否が応でも高まった期待を更に引っ張り上げる三十秒の不穏な静寂。それが途切れ、音が解き放たれた瞬間の興奮。本当に「ずるい」。
解き放たれた音楽については、「ジャンル」という枠組みの存在を認識しているなら、「私は何を聴いているんだろう」と感じるでしょう。関西のお笑い芸人風に言えば「何、聴かされてんねん」。このツッコむ感じの方が、しっくりきます。
ただ全く聴いた経験のない音ではありません。不確かな、ぼんやりとした既視感がそこには在ります。
ジャコ・パストリアスの『ジャコ・パストリアスの肖像(Jaco Pastorius)』や『ワード・オブ・マウス(Word of Mouth)』を聴いた時の「ジャズなんだろうけど……」という戸惑いや、レディオヘッドの『キッドA (Kid A)』に対する「エレクトロ?」といった疑問。語尾に「……」や「?」が必要となる、既に知っている物が変容させられた感じ。
まあでも、そんなに時間はかかりません。すぐに「硬さ」と「疾走感」に彩られたあの有名なリフレインが、自分が抱えたロックやジャズのイメージ/固定概念を激しく揺さぶるでしょう。まさしく「何、聴かされてんねん」です。
【Crisis / Jaco Pastorius】
■ I Talk To The Wind ■
『宮殿』が発表されたのは昭和44年。あえて「昭和」表記にしたのは、前年の昭和43年に日本のロック史上で妖光を放ち続ける名盤、ジャックスのデビュー作『ジャックスの世界』が国内で発表されたからです。動的と静的、二つの曲調の振幅が激しいアルバムですが、特に静的な曲に『宮殿』と同質の匂いが嗅ぎ取れます。昭和40年代のカラー映像に顕著な粒子の粗さ。どちらにもそれが音として表出している……という聴き方は少々文学的すぎるでしょうか。
たとえば当時のカラー映像、特撮テレビ番組「ウルトラセブン」の放映開始は昭和42年。当番組のサウンドトラック『ウルトラセブン ミュージックファイル』『同Vol.2』には粒子の粗い音楽が詰まっていて、それは二曲目に限らず、『宮殿』全体を覆う雰囲気ととても似ています。
またイントロで流れるフルートの音色は、まったく「牧歌的」ではなく、都会に潜む不安や恐怖を連想させる「寂寥感」に満ちています。昭和45年に発表された浅川マキのデビュー盤『浅川マキの世界』で流れるフルートにも、私はまったく同じ印象を持っています。
【時計をとめて/ ジャックス】
■ Epitaph ■
予め録音されたテープ音源で音階を奏でる鍵盤楽器、という説明では、到底メロトロンという楽器の正体は伝わりません。
まずは3’42”辺りから20秒弱続く、洪水のようなメロトロンを味わってみましょう。乱暴な言い方をすれば「暗さ」と「怪しさ」に溢れた音色です。また、前述した「粒子の粗さ」にも、どこか通じるかもしれません。この音色は『宮殿』全体の、いや、「プログレ」というジャンルのイメージに、大きな影響を与えています。
さて、ここではメロトロンに興味を抱いて頂いた方の為、斡旋屋として頑張ってみましょう。
スウェーデンのクリムゾン・フォロワー、アネクドテンの『暗鬱(Vemod)』は「粒子の粗さ」こそないものの、90年代以降の硬質な音色に覆いかぶさるメロトロンがとても美しいです。同じくスウェーデンから、女性ヴォーカルを擁したパートスの『タイムロス(Timeloss)』は所謂プログレ臭が弱い為、メロトロンの響き方も心なしか新鮮。
国内からはマンドレイクの『unreleased materials vol.1』。一曲目のベタ過ぎて気持ちのいい展開がやはり白眉でしょう。
またメロトロン以外で印象深いのは、断続的に聴こえる軋みがちな低いピアノの音色です。時折、打楽器のように響く暗い軋みは、ニック・ケイヴの『ザ・ファーストボーン・イズ・デッド(The Firstborn Is Dead)』に漂うドス黒さや、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの『患者O.T.のスケッチ(Zeichnungen des Patienten O. T.)』に詰まった破壊衝動へと発展する原型のようです。
【Wheel / Anekdoten】
■ Moonchild ■
12分超の長い曲、しかも後半の10分弱が無音も厭わないインプロヴィゼーション(即興演奏)、という大胆な構成です。個人的にはこの10分弱が、『宮殿』の中で最も難解な部分だと考えています。歌うようなドラムに聴き入ってしまう前半部分が、素直に美しいので尚更かもしれません。
ある人は「退屈」を感じ、ある人は「時間かせぎ」と罵り、ある人は聴かずに飛ばしてしまうのでは。そう予想してしまうほど実験的なこの演奏が、フリー・ジャズ集団のスポンティニアス・ミュージック・アンサンブルの影響に拠ることは判明しています。
ちなみに私はかつて、次に控えた5曲目をより劇的に聴かせる為の「仕掛け」と捉えていました。必ずしも演者の思惑どおり、聴き手に届くわけではない、というよくある話です。
ただ、それまで存在していたビートが溶けるように消え、模糊としたヴィブラフォンの響きに導かれていく、あの心許ない感覚はやはり『宮殿』のイメージを決定づける重要な要素でしょう。
【Karyobin Pt. 5 / Spontaneous Music Ensemble】
■ The Court of the Crimson King ■
ラストは1曲目以来の「硬さ」を備えた、『宮殿』中、最も大仰でクラシカルな楽曲です。しっかりした骨組みの、とても立派な裏表紙。
強弱のメリハリがとても印象深く、それが一聴した時に感じる違和感――「何、聴かされてんねん」の要因のひとつだと思います。
例えば水俣病を取り上げた『インサイツ』。また戦後29年目にフィリピンで発見された小野田少尉を題材とした『孤軍』のように、ジャズ・ピアニスト・穐吉敏子のテーマ性/社会性の強い作品にも、強弱のメリハリの妙を感じます。加えて、鼓や能の謡曲を用いたアレンジには、「何、聴かされてんねん」な瞬間が何度もあります。
同じくビッグ・バンド編成では、見砂直照と東京キューバン・ボーイズが『ホリデイ・イン・オキナワ 組曲”あがらうざ”』で、沖縄民謡をビッグ・バンドの組曲に変容させる際も、音の強弱が重要なポイントとなっています。
最後にもう一点。所謂「ロック」的ではない音色(=楽器)が多用されている、という点は他の曲にもあてはまりますが、ここでは顕著にその特徴が現れています。そして、ぎゅっと絞られたように全ての音色がひしめき合い、唐突に迎える結末。また音が鳴り出すのでは、と思わず待ってしまったならば、それは『宮殿』の音楽をしっかりと刻み付けた何よりの証拠です。
【ミナマタ:平和な村~繁栄とその結果~終章 / 穐吉敏子 & Lew Tabackin Big Band】
寅間心閑
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■