「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。
by 小松剛生
千代の水たまり
世界中にある水たまりのうち、どこかひとつは不思議な水の国へとつながっている。
子どもの頃、よくこんな妄想をして遊んだものです。
雨が降ると長靴を玄関でえっちらおっちら何かの儀式のように真剣に、重々しくそれを履き、私は小さな旅に出るのです。
当時の家は古ぼけたアパートで、もう築三十年を過ぎていたでしょうか。正確な年数こそわかりませんが、柱の皮が禿げて中の芯が覗いていたその建物はひどい荒れようでした。
雨どいのパイプには蔓がからみつき、雨粒がしとしととしたっていました。私は妹の千代ちゃんと一緒に、この水の行く末がきっと水の国へと繋がっているんだという推理をしては大人がやるような仕草、肘を抱えて頬杖をつく動作などを真似しておりました。
「千代ちゃん、見て」
信号手前にできた大きな、それはそれは立派な水たまりがありました。
それは私たちにとっては湖のようなものでした。
ゆらゆらと水の表面に浮かぶ私たちの顔は奇妙にねじれていて、おそらくあれは向こう側の何か恐ろしいものがそうさせているのだ、となんとも勝手な恐怖に陥っては泣きながら家に走ったものです。
妹も懸命に後を追いてくるのですが、小さい頃の三つ年の差といえば大きな溝です。いつも私は妹を置き去りにして、何かそのことに自分でもよくわからない充足感のようなものまで感じておりました。
今になって思えば私にとって妹とは、唯一自分の好き勝手にできる呈の良い玩具に過ぎなかったのですね。
子どもとは残酷なものです。
妹に刃向かう力がないと知ると、親のいないすきに何の理由もなしに邪険に振舞ったりもしました。
どこの兄妹でもあることだとはいえ、ひどいことをしたと思っております。
ただ千代ちゃんの感性とは、姉の私から見てもなかなかのものでした。
そもそもが水たまりの向こうに知らない世界がある、と言い出したのもあの子だったように憶えています。
こんなこともありました。
当時にしては珍しい移動式のパン屋さんが通る合図の、テーマソングのようなものが家のベランダから聞こえてきました。もちろんそのような珍しいものに興味をもたない私たちではありません。
母にせがんで、あんぱんをやっとふたつほど買えるお金を渡されると急いでミニバンが停まっていると思われる方向へ駆けていきました。
息を切らせながら少し怖面のお兄さんの元へ辿り着いた私が「あんぱん二つ」とあえぎあえぎ注文していると、私の裾を引いて妹が言うのです。
「ひとつでいいよ」
「どうして?」
「もうひとつはまた来てもらうときのために取っておこうよ」
どうやら妹はその移動式パン屋さんは全て商品を売ってしまえば自然と消えてなくなってしまうものだと思い込んでいたそうです。
その頃は笑って馬鹿にしておりましたけど、なかなか素敵な発想だなとこの頃振り返るたびに感じます。
だってパンを届けるためだけにそのお店は存在するってことでしょう?
妹のいた世界というのはそれが当たり前のことだったのです。
仕事に従事する美しさを彼女の心は許していたのかもしれません。
たとえそれが非現実的なことでも。
妹ですか?
いえ、もうおりません。
千代ちゃんはある日裏山の先にある廃墟の風見鶏の指す方向へとしたがって、風のように消えてしまったからです。
まるで初めから私たちの家族ではなかったかのように、そのうち不思議と寂しさも薄れてゆきました。
お葬式などもちろんありませんでした。
それで皆が納得してしまったのです。
もしかしたらあの子はもともと家の子ではなかったかもしれません。
ときどき、雨のしとどに降った翌日に踏む水たまりを私は気をつけて避けるようにしています。もしあの子がそこから私たちの世界に戻ってくるときに、思わず踏んづけてしまわないようにと。
たまに失敗して、ヒールの踵の部分だけ触れてしまうときがあるんですよね。少しだけ飛んだ飛沫が足元で冷たく跳ねて。
千代ちゃんがそれを見て笑ってるのかしらなんて想像すると、少しだけ憎らしくも思えてきます。
でもなんだかそれ、すごく家族っぽいですよね。
おわり
信号機だけが残った
人類は滅亡し、信号機だけが生き延びた。
「うむ」
代わりに地球の支配者となった新たな地球人(便宜上『第二地球人』と呼ぶ)の中でも一番頭のいいとされる共和国推薦特別監査員のボーヘルトは首をひねっていた。
「まだわからんのかね」
共和国大総統のサストレはやきもきしながら訊いた。
「さしてこの建造物が直接、我々に被害をもたらすとは思えません。ありとあらゆる機器を通して調べてみましたが、それによれば有害な電波も出ていないという結果になりました」
「では問題ないのではないか?」
またサストレは訊いた。
「いえ、あくまでも我々の知る範囲内では、ということになります。以前に住んでいた、仮に彼らを第一地球人としましょう、第一地球人しか知り得ない方法で軍事目的に使われた可能性を我々は否定できません。なにより、この赤と青の点灯する意図が判明されない限り、この装置は我々の安眠を妨害するものとなりえるでしょう」
「むむむ」
二人は一台の信号機を前に、何十にも積み重ねた特殊防護服を身にまとっていた。
「研究を続けますか?」
胸に飾りつけられた共和国推薦特別監査員のバッジが光った。
サストレはため息をついて「やむをえまい」とうなずいた。
*
ボラーは7歳の弟と5歳の妹を連れて夜の市街地を急いでいた。
「お腹減ったよ」と弟のロブが言う。
「我慢しろ」
背中に抱えたズタ袋に詰め込まれた大量のタマネギが空腹を刺激した。
「もう眠いわ」
妹のエラは手を引かれながらもう片方の手で目をこすった。
「もうちょっとだから」
やがて鍋を沸かす音や洗濯物の水を絞る音は遠ざかり、3つの足音しかしないところまでやってきた。
氷のような夜だった。
一晩中駆けてきた疲れが、いつの間にか冷たさを呼んだのだ。
ボラーは暗がりの中で、隙間風のようにそびえたつ巨大な建物が影を落としている事に気がついた。
裏口は空いていた。
「入ろう」
ボラー自身も必死に眠気をこらえて幼い兄妹の背中を押しやった。
そこには数えきれないほどの信号機が所狭しと並んでいた。
規則的にではなくあっちからそっちへ、こっちからあっちへとばらばらに散りばめられている。
赤が光り、青が消えた。
地面は横断歩道を示す白黒のペンキで塗られていたが、そんなこと3人にはわからない。
この場所がボーヘルトのつくった、信号機の意義について研究するための施設という事実なぞには当然のごとく思いも寄らなかった。
青が光り、赤が消えた。
「いこう」
3人は信号機畑の中へと潜っていった。
夜はどんどんと冷たくなっていった。
おわり
ショパン症候群に関する言行録
この話にはピアノ教室しか登場しない。
孤独と沈黙の海の冷たさに耐えながら、サラリーマン生活にただひたすら耐える27歳の青年なんて出てくるはずもない。
おそらく彼みたいな人物が出てくるのであれば、彼は最寄駅から住んでいるアパートの部屋に帰る途中にある、ファミリーマートで一切れサイズのチキンやビール、唐揚げ弁当を買って、自分の凡庸さに悲しみながら、ひとり夜道を歩いたりするかもしれない。年中紺色のカーテンが閉じられたままの部屋は湿気と埃でところどころカビているのかもしれないし、ひとり用の小さな冷蔵庫は、冷凍庫部分が壊れてしまって氷すらまともに作れない。
そのピアノ教室は名前を「ショパン」という。
その一軒家からショパンの音色が聴こえてきたことは一度としてないけれど、ピアノ教室はショパンであるべきだし、ルソーであってはダメなのだ。ちなみにルソーは写譜職人としても名高い人物だった。が、決してルソーの腕が評価されていたわけではなく、「ルソーが書いた」から、写譜の発注が来たのだという説もある。安心してほしい。この文章にルソーは出てこない。だから彼の写譜職人としての腕がどうだったのか、議論する必要なんてない。
ルソーについて書くのであれば、まださっきの青年について書いたほうがマシ、というものだ。そういえば吉田篤弘は自身の著作『電氣ホテル』にて、「下町のルソー」という人物について書いている。その町で、「下町のルソー」と呼ばれたがっていたひとりの男がいた。だが、下町の人はルソーを知らなかった。仕方なく彼は自分でルソーについて町の人たちに教えるべく教壇に立ち、「下町のルソーについて教える「下町のルソー」」という、なんだかややこしい形に男はおさまってしまう。そしてその話にピアノ教室は出てこない。
ショパンは、あの偉大な音楽家のことではなく、ピアノ教室のほうの「ショパン」に通う生徒はひとりもいない。「いなかった」と過去形で書くべきなのかどうかもわからない。とにかくそこに人が行き来する様子はなくて、ピアノの音色が表の通りに漏れてくることもない。ピアノがあるかどうかもわからない。ピアノのないピアノ教室なんて、果たして存在するのだろうか。だがここは逆に考えたほうが良さそうだ。
僕らはついつい、この世界に存在するすべてのピアノ教室には必ずピアノがある、と考えがちだけれど、そこにこそ落とし穴があるのかもしれない。ピアノのないピアノ教室、それこそがショパンなのかもしれない。いや、もう少し掘り下げる必要があるだろう。ピアノのないピアノ教室のことを「ショパン」と呼ぶのかもしれない。
果たして世界には「ショパン」がいくつあるのだろう。
2015年の4月、僕は神宮球場の外野席にいた。そこで僕は「ショパン」について考えていた。山田哲人が満塁ホームランを打ち、阪神タイガースから4点もの追加点を上げた瞬間でさえ、僕は「ショパン」について考えていた。
「ショパン」について考えることは、愛について考えることと似ていた。終わりがなくて、終わりがないということは出口もなかった。最後にはたいていため息で思考を止めるくらいしか抵抗の手段はなかった。僕は自分の凡庸さを嘆くことしかできなかった。
デスクが隣にある上司の実家が昔、お風呂屋さんだということを知ったのはくだらない世間話をしているときのことだった。今住んでいる家の浴室が狭いと愚痴を言っているのでいろいろ聞いてみると、どうやら昔の、泳げるくらい広い浴槽が懐かしいらしい。
「今はやってないんですか」
「もうぜんぶ壊しちゃったよ。煙突もない」
「煙突があったんですか」
「あったさ。小学生の頃とかは、中田の家は煙突があるからわかりやすくていいよなって、クラスメイトにからかわれてたりもしたさ」
煙突についてのエピソードには特に興味がなかったけれど、その上司はとても良い人だったので、僕は愛想だと悟られない程度の物々しさで相槌を打った。良い人というのは得なんだな、とその時思った。
あ、そうだ。
「お風呂屋さんってことは、けっこうな湯沸かし器があったんですか」
「まあそうだね」
「冷凍庫の修理とか、お願いしたいんですけど」
ふむ、と上司はすこしの間黙って何かを考えるように顎に手を添えた。もしかしたらパフォーマンス的なものだったのかもしれないけど、たぶんほんとうに冷凍庫を直す方法について考えてくれたのだろう。良い人だ。
「確かに、銭湯の湯沸かしシステムと、冷凍庫の冷凍システムにはもしかしたら共通点があるのかもしれない。けど、似ているところがあるかもしれないってだけで、たぶんそのふたつはぜんぜん別物だと思う」
それに。
「それに?」
「お風呂屋が湯沸かし器のすべてを把握しているとは限らない。それは修理屋さんの領域の話かもしれない」
ルソーは写譜が下手くそだったという話を、僕は思い出した。
ミランダ・ジュライが出逢ったある老人について、彼女は自身の著書のなかでこう書いている。
――彼は強迫観念にとりつかれた天使のように善を為そうとしていた。
「強迫観念にとりつかれた天使」というところが、とても素敵だ。
少なくとも「ショパン」について考えることは、善を為そうとする行為とはほど遠いことのように僕には思えた。強迫観念にとりつかれた天使になるためには、「ショパン」のことを忘れるしかなかった。
僕は「ショパン」のことを忘れるにはどうすればいいか、考えることにした。冷凍庫は壊れたままだったし、下町のルソーに頼るわけにもいかなかった。僕の部屋のカーテンは窓のサイズに比べて、すこし丈が短すぎた。おかげで冬の朝の結露はひどいもので、いつだって窓の近くは湿気まみれだった。その部屋のなかで「ショパン」を忘れることを考えていると、不思議なことになんだかその部屋がピアノ教室になったような錯覚を覚えた。
ピアノはない。通うべき生徒もいない。
それはまさに「ショパン」そのものだったし、一人暮しの冴えない部屋でもあった。天使の部屋と呼ぶには汚れすぎていた。
「なるほど」
その凡庸さをもしかしたら、ショパンと呼ぶのかもしれない。
携帯電話の呼び出し音が鳴った。
「もしもし」
「久しぶり。元気してる?」
何年も前に別れた恋人からの電話で、当時からアイロン掛けと髪のセットが苦手な僕の代わりにそれらを手伝ってくれていた彼女は、どうやら急に僕のことが心配になって連絡をしてきてくれたらしい。
「元気だよ」
「最近はどうしてるの」
「えーと、ピアノ教室を」
「ピアノ? やめときなって、あなたひどい音痴なんだから」
天使の笑う声が耳元で響いた。
おわり
参考及び引用
『電氣ホテル』(吉田篤弘 文藝春秋 2014年)
『哲学者は午後五時に外出する』(フレデリック・パジェス 訳・加賀野井秀一 夏目書房 2000年)
『あなたを選んでくれるもの』 (ミランダ・ジュライ 訳・岸本佐知子 新潮社 2015年)
(第16回 了)
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* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月24日に更新されます。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■