「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。
by 小松剛生
英国式風バランス理論
「世界には絶対に存在しない事柄が3つだけ、あるんだ」
そう言って先輩が走り書きしたノートの切れ端には、次のように書き込まれていた。
解剖学のクーポン券。
サメ言語の翻訳書。
英国式カフェでの囲碁勝負。
僕は「存在しないことが3つ、あるって言ってる時点で、何か矛盾してませんか」と反論することはしなかった。先輩は良い人だったので、そういう人にはたいていの矛盾は許されるものだと信じていたからだ。
僕らは普段は入らないようなちょっと小洒落た喫茶店の店内の喫煙席で、それ1杯で、僕らであれば定食屋さんで満腹にできるくらいの値が付けられたコーヒーを目の前のテーブルに置かれたうえで、店内を睨んでいるところだった。
ある年の夏のことだった。
その年、先輩が応援しているプロ野球チームの広島カープには、アメリカから黒田というピッチャーが戻ってきた。
「大瀬良に15の背番号を渡さないでほんとうに良かった」と、野球をあまり観ない僕からすれば何やらさっぱりな喜び方で、黒田の復帰を喜んでいた。そのときも僕は「オオセラに15番を渡さなくてほんとうによかった」と共感した。良い人の言う言葉には共感するべきだと思ったのだ。
「それで広島カープは優勝できそうなんですか」
「まあ固いね。打線の調子が去年と同じか、少し下がり気味でもいけるよ」
そう言い切ったのが4月のことだった。
夏になっても広島カープは一向に勝ち星を積み上げることができず、リーグ内6チーム中4位と、戦況を挽回できないでいるようだった。そんな中、僕らは普段行ったことのない場所に出向くことで、なんとか今のカープの現状を打破しようと画策したのだった。もちろんそれが無駄になる可能性だって大いにありえるし、もしかしたら無駄でしかないのかもしれないけれど、大切なのは祈ることだと、どこかのアラブ文学研究者の人も書いていたので、実行したまでた。
僕は勇気を出して訊いてみることにした。
「どうしてカープはこんなに勝てないんですか」
「打線があれじゃどうしようもないよ」
「やっぱり、オオセラに15番を渡したほうが良かったんですかね」
「いや、黒田はよくやってくれてるよ。だいたい予想通り、シーズン通して10勝してくれたらじゅうぶんだし、そのペースは守ってくれてるから問題ないよ」
僕の知ったかぶった質問に怒ることもせずにタバコに火を付けながら、先輩は答えてくれた。
良い人だな、と思った。
いつだったか、僕がとても根本的な質問をしたことがあった。
「だいたい先輩はどうして広島カープファンなんですか」
「世界のバランスを保つためだよ」
正直言って、その言葉の意味はよくわからなかった。よくわからなかったけど、迷うことなく答えてくれる先輩が僕は好きだった。
施術って言葉はどうもよくないな、と先輩は2本目のタバコに火を付けながら口にした。
「いけませんか」
「いけない。あれはよくないよ。なんていうか、世界のバランスを崩してる気がするんだ」
先輩はよく「世界のバランス」とやらを気にしていた。それは崩してはいけない均衡で、そのうえちょっとしたことですぐに崩れそうになってしまうから、先輩はいつもヒヤヒヤしながら日々の生活を送っているようでもあった。
「それならまだ「施行」って言葉を使ったほうが良いような気がするよ」
「手術をシコウするってことですか」
「そうそう、そんな風にさ」
「なんだか建築みたいですね」
「良いんだよ、建築こそが人類にとっては知恵の集大成なんだから。あれだぞ、中学生とかが「数学なんて社会に出て何の役に立つんだよ」って教室の片隅で叫んでいるかもしれないけど、三角関数とか実際に建築の設計でもそうだし、足場を組み立てる現場でも使ってるからな」
ときどき、この人はなんでそんな知識をもっているのだろうかと疑問に思うこともある。それももしかしたら、世界のバランスとかいうもののためなのかもしれない。
「でも先輩」
「なんだよ」
「今、僕らの目の前に囲碁盤をテーブルに広げるカップルだって、もしかしたらいるかもしれないじゃないですか」
フィッシュアンドチップスがテーブルに運ばれてきて、生まれて初めて僕はフィッシュアンドチップスを食べることになった。想像していたよりもフィッシュは大きかったし、チップスは分厚くてしっとりとしていた。僕らは英国風のカフェにいた。
「うん」
「そして今まさに僕らの目の前で囲碁を始めることだって、ないわけではないじゃないですか」
「うん」
確かにそうだ、と先輩はうなずいた。
「この世の中には肩の弱いキャッチャーだっているし、泳ぎの苦手なペンギンだっている。アル中の神父もいる。イギリス風カフェで囲碁をやるカップルだっているかもしれない」
「そうですよね」
僕はなんだか先輩に認めてもらえたような気がして嬉しくなった。世界のバランスを保つ手助けをできたのかもしれない、とさえ思った。
*
「はい、アタリ」と、女の子が言う。
「え、嘘だろ」と、男の方が驚く。
彼らは決して端正な顔立ちをしているわけではない。女の子の鼻は大きすぎたし、男は小肥りで肌は見るからに荒れていた。もちろんそれらの特徴が世の端正さに左右するとまでは言えないけれど、女の子の鼻はもう一回り小さいほうが、男の体重はもう少し少なかったほうが、美男美女カップルと言われても問題なかった可能性は確かにあったといえるだろう。でも彼らは堂々とフィッシュアンドチップスをつまみながら囲碁に興じていて、その堂々っぷりには嫌味がないような気がした。
「嘘じゃないよ、ほらここ」
「ほんとだ、じゃあここの黒ってもしかしてもう死んでるんじゃないか」
「そうだよ、他のとこに加勢したほうがいいかもよ」
それはもしかしたら、彼らなりに世界のバランスを保つ方法なのかもしれない。
*
「でもな」
先輩は僕の名前を呼んで言った。
その名前は確かに僕の名前だけど、もしかしたら君の名前かもしれない。もしも君が先輩に呼ばれている感覚を感じたとしたら、それは間違いじゃないし、そうでなかったらやっぱり僕の名前だろう。もっとも、今それは大きな問題ではない。
「でもな、もしかしたらそのカップルは囲碁をしていなかったかもしれない」
「どういうことですか」
「見た目に騙されるなってことさ」
どういうことだろう。
さっきのようなカップルがいたとして、それでも彼らは囲碁をしていないというのだろうか。今回ばかりは先輩は間違っているのではないだろうか。
「でも先輩、どう見ても僕には二人は囲碁をしているように見えます」
先輩は3本目のタバコに手を伸ばした。僕はタバコを吸えないので代わりにタルタルソースをすこし舐めた。僕にはその店のタルタルソースは甘すぎた。
「先輩は」
「ん」
「禁煙する気はないんですか」
「世の中には泳ぎの苦手なペンギンだっているし、アル中の神父だっている。禁煙できない先輩だっている」
なるほど。
「もしかしたら、世の中のたいていの先輩は禁煙できないのかもしれませんね」
先輩には禁煙は似合わないかなと思案して、僕がそんな言葉を口にすると、わかってきたじゃないかお前も、と言わんばかりに先輩は煙を天井のエアコンダクトに向かって吐き出して見せた。
「そのとおり、でもそうなると悲しい事実が発覚する」
「どういうことですか」
「世の中のほとんどの神父はアル中だってことになってしまうからな」
偏見ですよ、と僕は笑った。
偏見だな、と先輩も笑った。
「さっきの答えがまだですけど」
「なんだっけ」
「ほら、そのカップルは囲碁をしていなかったかもしれないって言ったじゃないですか」
「ああ」
先輩はうなずいたきり、黙ってしまった。でも先輩は良い人だから、僕の質問に答えてくれないはずがない、もしかしたらその沈黙こそが答えだったのかもしれない。
――もしかしたら。
そのカップルは囲碁をしていたんじゃなくて、恋をしていたんじゃないですか。
そう訊こうとしたけれど、やめることにした。
ちょっとロマンに溢れすぎているような気がしたし、広島カープの行く末を見守る会には不釣り合いな答えのように思われたからだ。
僕らはあくまでも今日はアラブ文学研究者のごとく、広島カープのリーグ優勝を願うためにここに来たのだ。
「あ」
そこまで考えて僕は気付いた。
――もしかしたら。
そのカップルは世界のバランスを保つために囲碁盤を広げたのかもしれないという可能性に気付いた。恋をすることで崩れたバランスを取り戻すための囲碁だったのかもしれない。
「先輩」
「なんだ」
「15番をオオセラに渡さないでおいて、よかったですよね」
「そうだろ?」
広島カープがいつまで経ってもリーグ優勝できないのも、そのカップルが囲碁をしているのも、泳げないペンギンが存在することも、それらはすべて世界のバランスを保つためなのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
ぱちん。
あたり。
女の子の声がしたような気がした。
二人は今日も囲碁を打つ。それは世界のバランスを保つ音に。
少しだけ似ている。
おわり
ミスチル的縄文時代について
たぶん。
英語だと、その言葉を「めいべー」ということを知ったのは、わたしが中学生の頃だった、たぶん。
いや、めいべー。
この文章でもちょくちょく使っていこうと思う、たぶん。
いや、めいべー。
「めいべー」と「べいべー」は似ている。
日本人のミュージシャンたちはやたらと「べいべー」と歌っているような気がするのはわたしだけだろうか。少なくともわたしは「べいべーべいべー」という曲のタイトルが邦楽というジャンルにおいて存在することを知っている。それも2曲。あれはいったい何について歌った音楽だったのだろうか。
わたしはそれをサメと呼ぶことにした。
それはわたしたちが「悲しみ」と呼ぶものの中に多く含まれている気がする。いつだってわたしは他の人より多くの悲しみを背負っている気がしている。それがサメだ。
また、わたしは少し太りすぎている。たぶん(いや、めいべー)、ふつうの人(この「ふつうの人」ももちろんサメに含まれている。彼らはわたしをいつだって、ありとあらゆる場所で襲うべく、準備をしている)より3キロか5キロは目方が重い。でもそれはわたしのせいじゃない。わたしは決して悪くない。
それも、わたしはサメと呼ぶことにした。
自分のやりたいことをする時間がいつの間にか失われている。あなたはそんなことを感じた経験はないだろうか。時間は誰にだって平等に与えられているはずだと信じていたのに、絵を描く、本を読む、東京ヤクルトスワローズの試合を観に行く。それら「やりたいこと」があるはずのあなたなのに、いつの間にかそれらをする時間がなくなっている。
それも原因はサメにある。サメがあなたの時間を食い尽くしているからに他ならない。あなたは何も悪くない。
だからわたしは、それもサメと呼ぶことにした。
ミスチルとデカルトは似ている。
誰もそのことについて声高に叫んではくれない。
愛について歌うことは『方法序説』を書くことと似ている。
彼らはサメから無事に逃れられた人たちなのだと勝手に思っている、たぶん。
いや、めいべー。
ミスチルは「べいべー」と歌っていただろうか。
「めいべー」はないにしても、「べいべー」と歌ったことはあったような気がする。どちらかといえば「めいべー」と歌ってほしい気もしている。
たぶん、べいべー。
そんな名前の曲があったとしたら、少しややこしい話にもなってくる。
それをサメと呼ぶことを決めたその日から、わたしがひそかにそれをサメと呼んでいる事実は他の誰にも打ち明けたことがなかった。話しても理解してくれるとは思えなかったし、話したところで何かが変わるとも、誰かが救われるとも思っていなかった。サメはサメのままだ。むしろ誰かに話すことで、サメがサメでなくなるかもしれないという不安のほうがあったのかもしれない。サメはサメのままでいてほしかった。
そんなわたしにも、サメのことを打ち明けそうになった人がいた。
正確には「いる」というべきだろうか。やり直す。わたしにはわたしが「サメ」と呼んでいる存在について打ち明けそうになった人がいる。
*
揚げたてのポテトは縄文時代にあったのだろうか。
彼はそんなことを突然口に出すような人だった。
そのとき、わたしたちは今はもうない、渋谷の東急デパート近くにある喫茶店にいた。日曜日のどの時間にいっても必ず席に座れてしまう、不思議なお店でお酒も置いていた。もっとも、だからこそ今はもうなくなってしまったのかもしれない。
「揚げたての?」
「ポテトだよ、縄文時代にもあったのかな」
「さぁ」
むしろわたしはなぜ彼がとつぜん「縄文時代」などという単語を思い浮かべたのかということについてのほうが興味があった。揚げたてのポテト、はまだ理解できる。なぜなら今わたしたちの目の前にはそれらしきものが平皿の中にどっさりと盛られていたからだ。
「なんで縄文時代なの」
彼はその質問には答えず、代わりに言った。
「縄文時代にも、たぶん野球は存在していたはずなんだ」
嘘つき、とわたしは言った。
「だって野球ってアメリカが発祥のスポーツなんでしょ」
彼は注文したラムコークを一口飲んだ。
わたしはコーラだ。常連客らしきおじいさんが、女性の店員さんと何やら談笑している。
そこにサメの雰囲気はみじんもなかった。
世界は愛で満ちていた。
「ほんとだよ。エジプトの古い壁画にさ、バットらしき長い棒状のものを持った男が、丸い物体を叩く絵が描かれているんだ。厳密なルールが決まったのは確かにアメリカでのことなのかもしれないけど、野球というスポーツを「叩く」という行為そのものに還元するのであれば、野球は縄文時代にはすでにあったはずなんだ」
「ふぅん」
わたしはといえば、彼の話に相槌を打ちながら別のことについて考えていた。縄文時代にもサメはいたのだろうか。いや、いたはずだ。むしろサメのほうこそ、人なんかよりもよっぽど地球の常連客なのだから、当時ももちろんいたはずだ。
彼は自分のリュック(ナイキ製の古いバックパックだ)から一冊のノートを取り出した。女の子(わたしのことだ、たぶん。いや、めいべー)とデートをしている最中に自分のノートを開く男性が、いったい世界にはどれほどいるのだろうか。わたしは少し不安になった。
「こんな詩がある」
彼はそう言って、ノートに書き込まれたそれを読み上げてみせた。
二人のさびしい啞がいた。
一人はピッチャーという名で、もう一人はキャッチャーという名だった。二人はボールを投げあうことでお互いの気持ちをたしかめあっていた。二人の気持ちがしっくりいっているときにはボールは真っ直ぐにとどいたが、ちぐはぐなときにはボールは大きく逸れた。
ところが、この二人の啞に嫉妬する男があらわれた。
彼は何とかして二人の関係をこわしてやりたいと思い、バットという樫の棍棒で、二人の交わしている会話のボールを二人の外の世界へはじきとばしてしまったのだ。
ボールを失った二人の啞は途方にくれた。
棍棒でボールをはじきとばした男は、悪魔のように両手をひろげて、二人のまわりを走りまわった。一周するたびに数が記述され、その数が増えてゆくことが二人の啞の不幸度をあらわすのだった。
そこで、二人のもとへボールを返してやろうとする七人の啞が集まってきた。
彼らは、棍棒をもった男を殺すために「陽のあたる土地」からやってきたのであり、なぜか左手だけが異常に大きいのであった。
「な?」
何が「な?」なの。
そう言おうものならば、さらに多くの言葉が反論的な何かとして自分に返ってくることを知っていたわたしは「ふぅん」とまた言いながら、コーラを一口飲んだ。
彼?
彼はラムコークだ。
代わりにわたしは縄文時代に「野球をする啞のひと」について考えることにした。
その人にだってたぶん、兄弟的な存在がいたことだろう。仮にそれを兄として、「野球をする啞の人」を弟としよう。きっと兄は弟の代わりに屋根をふき、獲物をとらえ、木の実やドングリだって集めていたのかもしれない。弟はわけのわからない「野球」とやらをやっている。おまけに弟は啞なので、自分が彼を守るしかない。
兄はいつだって自分が養っているにもかかわらず、ちっともそれを手伝おうともしてくれない弟にひどく腹を立てている。
兄には理解できない。
丸い球を棒で叩く動きの、何がそんなに面白いのか。
そんなことよりもまた土地を移らないと、ここももはや狩ることのできる獲物が少なくなってきた。ヤジリの原材料となる黒い石だってもうここらでは見つからない。弟はそのうちの特に形のよいやつを自分で加工して、遊び道具としているが、本当はそのことにだって文句のひとつも言ってやりたい。
けれど兄は文句を言ったところで何も変わらないことを知っていたし、結局のところ弟がその遊びを止めはしないだろうことも予想できてしまっていた。
だから今日も何も言わずに兄は狩りに出かけた。
兄の頬には深い皺が刻まれていた。
そして弟は。
そして弟は。
そこまで考えたところで、突然わたしの妄想は遮られた。彼がわたしの目の前に揚げたてのポテトをかざしていたからだ。
「食べないの?」
「食べるよ」
悲しいことに、わたしの妄想は揚げたてのポテトによってあっけなく遮られてしまった。
世界は悲しみで満ちていた。
わたしはもう一度聞いてみた。
「なんで縄文時代なの」
「ん」
「ねえ」
「野球をする啞の人」である弟は、なぜ野球をしていたのだろうか。それが野球かどうかすらも知らないのに、弟はなぜ打撃し続けたのだろうか。
――もしかしたら。
弟もサメと呼ばれる存在に気づいたひとりなのかもしれない。
そんな馬鹿げたことを思ったりもした。
わたしは目の前にいる、わたしより5年も多く生きているくせに、ドイツの都市である「ボン」をずっと「ボンド」だと勘違いしていた友人を見た。なんとも間の抜けた顔をしながらフライドポテトを頬張っている。
この人なら。
わたしがサメと呼んでいるもののことを理解してくれるかもしれない。
そんな淡い期待を一瞬でも抱いてしまった自分がいた。
「ねえ」と、わたし。
「ん」と、彼。
「ミスチルとデカルトって、似てると思う?」
うーん。
しばらく唸ったあとに彼は言った。
「ミスチルとデカルトが似ているかどうかはわからないけど、確かガーターベルトを発明したのはカントだったよね」
僕とカントなら似ていると思うんだけど、どうかな。
「うーん」
今度はわたしが唸る番だった。
しばらく考えてわたしは言った。
「たぶんね」
そう、たぶん。
いや、めいべー。
おわり
参考及び引用文献
『ベースボールの詩学』 著・平出隆(筑摩書房 一九八九年)
『哲学者は午後五時に外出する』
著・フレデリック・パジェス、訳・加賀野秀一(夏目書房 二〇〇〇年)
靴下とアメリカ
靴下に穴が空いた。
親指の外側と薬指の真ん中に二つ空いた穴を少しの間見つめた香澄は、黙って他の洗濯物カゴに投げ入れた。銭湯の窓からは真ん丸に輝くお月様が見えた。
「スケベ」
月に覗かれたような気分がして、彼女はひとり毒づいた。
暗闇の向こうからは遠い田舎の匂いがした。
美好湯の湯船は熱い。声をこらえてゆっくりと浸かる。おっぱいの垂れたお婆さんが、懸命に全身を洗っている。洗い場には他に誰もいない。これでもかというくらい泡立たせた薬効石鹸にまみれた姿がいつまでも視界から消えない。
*
「アメリカへ行くんだ」
彼がそれを言ったのは大学3年目の春も間近に控えた2月の終わりだった。肌寒い日は一向に終わる気配を見せず、キャンパスの奥まで続く並木道も、枯れ果てた冬の装いに身を包んでいた。
「アメリカ?」
「そう、アメリカ」
アメリカ、と口の中で呟いてみる。
どこかの作家が「アメリカがぽろっと取れちゃった」と書いていたことを思い出した。作家の名前は忘れた。
「どのくらい?」
「半年、かな」
隣を歩いている彼は尚樹という名前をした生き物で、勘違いじゃなければ香澄の彼氏であったはずだ。
つまりは恋人、もしくは伴侶。
ただし、今のところの。
「どうして?」
「有名なダンスの先生が、珍しく向こうでレッスンやるんだって。その指導を受けるのが目的だけど、本音を言えば学生のうちに一度ブロードウェイを体験してみたくてね」
そうだ。尚樹は飛んだり跳ねたり踊ったりする生き物で、役者を目指していた。熱心に取り組んでいるらしいダンスも、将来を見据えた自分磨きの一環らしい。
尚樹は何でも器用にこなした。
料理も勉強もバイトも。
香澄よりも。
「思っていたより早くお金が貯まったから、後期が始まる少し前に行くよ」
「ふーん」
キャンパスの敷地内は静かだった。
世界中が眠ってしまったようだった。
「手紙書くよ」
お情けのようにカラカラに乾いた木の葉が肩に止まった。尚樹がそれを無言のうちに払ってくれる。
「メールじゃなくて?」
「メールもするけど、たぶん」
目指していた図書館の少し手前で香澄は足を止める。
「どうした?」
「今日は休館だね、残念」
昼間なので建物の照明も目立たない。ここからだと中はよく見えなかった。
「休館だね?」
「そうだね」
2人ともそれ以上確かめようともせず、回れ右をして今来たばかりの道を戻った。尚樹は香澄の少し先を歩いていた。わざと香澄がゆっくり歩いても、互いの距離は変わらなかった。
*
まだ出会って間もなかった頃。
窓際の席で尚樹は肘をついていた。
冷めたコーヒーの脇には見たことのないタイトルの本が綴じてあり、その隣には細い手が置かれていた。そっと近づいて紙コップを持たせると、離さずにしっかり握ったまま尚樹は外の景色を眺めていた。なんだか無性に悔しくなって、コーヒーに毒でも入れてやろうかしらと思う。もちろん実行には移さないけど。
「何見てるの」
聞くと彼の顔がこっちを向いた。その視線は香澄を見ているようで宙に浮いていた。何かに似ているような気がしたけど、それが何かはわからなかった。無言で指を差してみせた。
「遠足、かなぁ」
紅白の帽子をかぶった子どもたちが手を上げながらしっかり整列して横断歩道を渡っていた。先生らしき女性も一緒になって手を伸ばし、何か大声で叫んでいた。
「小学生のころ、よくやらされたなと思ってね」
やっと口を開いた彼の視線がまっすぐ香澄に伸びてきた。
「三角座りって知ってる?」
「体育座りなら」
その言葉に彼は首を傾げながら「地域性の違いかな」などとぶつぶつ呟いた。
「それが?」
「あの座り方って、子どもたちを洗脳するにはもってこいの姿勢なんだ」
「まさか」
「休むにも休めない。首も動かしづらいから隣の子と話すのも疲れる。否応なしに先生の言うことを聞くことが一番楽になってくるんだから」
そこでやっと彼はコーヒーに口をつけた。
「まずいな」
「当たり前でしょ、冷めてるんだから」
疑い深そうな目つきで彼は言った。
「毒か何か、入れた?」
どきり、とした。
*
あれはまだ、付き合う前の出来事だったはずだ。
相変わらず尚樹は頼んだコーヒーに手をつけていない。毒でも入れてやろうかとも思ったけれど、もちろん実行には移さない。
「向こうで何かあったらどうするの」
「心配してくれるんだ?」
「借りてたお金は返さなくてよくなるのかなって思って」
香澄があくびをした。
尚樹も釣られそうになったけどなんとかこらえる。
「僕のことは?」
「少なくともこの店の中の誰よりも心配してるから」
「そうだろうね」
本屋の2階にある食堂は縦に長く伸びていて、表の路地に沿う形で窓枠が取り付けられていた。見渡しても席の数は二十を超えない。サッカーボール程の大きさをした地球儀は埃をかぶってカウンターの端に座っていた。
「香澄はお金が好きなのになんで貯蓄しないの?」
「不思議なことに明日の朝になったら前日まであったはずの金額がとたんにゼロになってるの」
「不思議だね」
「不思議でしょ」
尚樹は短くため息をついた。
「何か食べようか」
アルバイトらしい女性店員を呼んでミートスパゲティを注文する。
「またスパゲティ?」
「パスタと言ってくれ」
奢るよ、と尚樹はメニュー表をテーブルの脇に立て掛けた。しばらくも立たないうちに崩れて、汚れ防止のために取り付けられたビニールカバーがぺちりと鳴った。
「明日はたぶんゼロにならないよ」
「お金だけじゃないんだよね。寝て、起きると何かが振り出しに戻った気分にならない?」
「寝ぼけてるだけだよ」
倒れたままの冊子を掴んで尚樹の頭をはたいた。高い音が鳴ったその時だけ時間が止まった。特に反応せずに彼は運ばれてきたミートスパゲティを手際よく二つに取り分ける。相変わらず綺麗な指先だ。丁寧に研がれた爪は弧を描いてキチンと手元に収まっている。生きているような瑞々しい路面は自由奔放でいながら理屈好きな尚樹によく似合っていた。
「靴下を履くといいよ」
振り出しに戻りたくなかったらね、と彼は続けた。
「なんで?」
「なんとなく」
迷信ってやつだよ、と尚樹は続けた。
*
「おやすみ」
番台のおばちゃんは細い眼をさらに細めて頷いた。
外はもう真っ暗で、ぼんやりと浮かぶ街灯もあまり意味がないほどに透き通った夜があった。身体から出る湯気は少し迷ってすぐに掠れていった。手紙を書こうと決めた。
――お土産に靴下をください。忙しく、限られた時間の中で大変だとは思いますが、借りているアパートから(マンションだったらごめんなさい)そのために出掛け、そのためにお店に入り、靴下を買う。それだけをして帰ってきてください。私はそうやって買ってもらった靴下が欲しいのです。わがままなことはわかってます。お願いします。
そんな手紙を書いて、あいつに送るのだ。
頭上にはさっきの月が相変わらずそこにあった。
「そうか」
彼が見ていたのはわたしじゃなかったのかもしれない、と気付いた。あの月のように、わたしじゃないどこかを見ていただけなのかもしれない。
「スケベだなんて疑ってごめん」
声に出してそう言ってみた。
相変わらず月はそこにある。
そのかたち。
靴下の穴にそっくりだった。
おわり
(第17回 了)
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* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月24日に更新されます。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■