「月刊俳句界」12月号では「選は創作なり~〝選句力〟を鍛える」という小特集が組まれている。前号の特集「あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか?」と同様に、俳句初心者向けの啓蒙特集である。商業誌も結社誌も似たようなものだが、十年一日、よく同趣向の特集を繰り返して飽きないものだ。ただ特集の意図自体はよく理解できる。「選は創作なり」でも「選句力」と言ってもいいが、句を選ぶことは俳句にとって重大問題である。問題は「選句力」を巡る議論がいつまで経っても素朴な経験論の次元を抜けないことにある。
俳句の選句が難しいことをもう少し平たく言うと、自分で作品を選ぶのも難しいし、他人が他者の作品を選ぶのも難しいということである。高浜虚子が岩波文庫で正岡子規句集を編むときに、今では子規の代表句の一つになっている「鶏頭の十四五本もありぬべし」を採らなかった話は有名である。虚子の選句基準はひとまず措くとして、句会に参加したことのある人ならほぼ誰でも、参加者から意外な作品が秀作として選ばれた経験を持っているだろう。投句欄などで特選を取った句が皆素晴らしいわけではないのは言うまでもない。しかしそれはなぜなのかを可能な限り論理的に解明しようとする俳人は現れない。いつまで経っても「わたしの経験では・・・」の座談が繰り返されている。
俳句を初めて間もなく、「選は創作なり」という高濱虚子の言葉と出会い、雷に打たれたような衝撃を覚えたことを記憶している。(中略)
やがて選には自選と先生選の二つがあることを知った。自選とは、先生に選んでいただく前に自作を自分で選ぶことだが、これもやはり創作だと思う。自選によって、自分なりの完成品に仕上がるからである。俳句は自分で自分の句が選べて一人前だと言われるがこれが難しい。主観が入るからである。この一人よがりの主観を乗り越えるのは、俳人にとって生涯のテーマと言ってよい。
(「主観を乗り越える」高橋悦男)
なぜ自己の作品評価と他者の評価に違いが生じるのかを考えてゆけば、高橋氏が書いておられるようにたいていは「主観」が目を曇らせていることに気づくはずである。強い思い入れのある言葉、情景、思い出などを詠んだ句の評価が低く、気軽に客観的に(あるいは客体化して)、それらを詠んだ方が評価が高かったりするのである。
この経験則を簡単にまとめれば、虚子が言ったように「選は創作なり」ということになる。ただ選句が創作とイコールであるはずもなく、もう少し正確に言えば「俳句において句を選ぶことは創作行為の一部である」ということである。つまり選句は俳句文学の根幹に関わる事柄である。また高橋氏が指摘しておられるように、「俳句は自分で自分の句が選べて一人前だと言われるがこれが難しい」、「一人よがりの主観を乗り越えるのは、俳人にとって生涯のテーマと言ってよい」のである。では投稿欄などで俳句を選ぶ立場にある俳人たちは、どんな選考基準を持っているのだろうか。
加藤耕子氏は「何度も読み返している中に、名句のもつ力が、自然と選択眼をたしかにしてくれるのではなかろうか」と書いておられる。白濱一羊氏は「自分自身の中に、揺るぎない基準を持つことである」と述べている。いずれも大切だが経験則である。強いて理詰めに説明すれば、名句を帰納的に解析して句の選択基準にするということになる。ただ帰納法によって句の選択基準を得るためにはその範囲が問題になる。佐藤文子氏は「超結社の俳句大会では、不思議にも我が結社仲間の俳句を選ぶ場合がある」と書いておられるが、正直な感想だろう。帰納法による選択基準は、現実には結社ごとのセクショナリズムにつながりやすい。また五七五に季語の有季定型派(伝統派)の俳人たちが、なんらかの形で俳句定型を破る前衛派の作品を選択基準に取り入れることはあり得ないと言って良い。
短歌界は口語短歌の隆盛によって、自由詩の世界は恐ろしいほどの創作者=読者人口の減少によって現代社会の激しい変化に直面している。しかし俳句界は天下太平に見える。今日もまた昨日と同じ事を繰り返している。帰納法による俳句選択基準はそれを理論と捉えるなら、不断に増殖・改訂されなければ有効に機能しない。しかし現実には細分化された経験則が結社ごとの絶対基準になっている。この俳風と呼ばれる絶対基準が俳壇を非常に排他的で息苦しいものにしている。本当は経験則による俳風などあてにならないからこそ、それが絶対化されるのだと言って良い。俳壇には帰納法を理論として突き詰める試みは現れない。また演繹法によって共通認識を明らかにしようとする試みも為されたことがない。
「主観」が選句眼を曇らせると言うのなら、それを解消する手がかりは対局の「客観」だろう。〝私の執着〟、〝私の美意識〟、あるいは〝私が絶対だと思い込んでいる主観的選句基準〟が作品評価を危うくするのである。これを突き詰めてゆけば〝私〟という自我意識の問題に帰着するはずである。正岡子規が創出し、高濱虚子に継承された写生俳句は、厳密に言えば有季・定型・客観・写生俳句であり、それは現在もなお俳句文学の基層である。俳句文学においては自我意識を肥大化させるよりも希薄化させること、縮退化させることの方が重要なのだ。この意味で俳句文学における作家の自我意識の有り様は、明治維新以降のヨーロッパ的自我意識=近代的自我意識文学と明らかに対立する。
俳句文学における客観、つまり自我意識の希薄=縮退化の重要性は、俳句が〝座〟の文学であることの理論的裏付けにもなるだろう。俳句から主観表現を可能な限り排除してゆけば、それによって生み出される作品群は著しい類似を示すことになるはずである。それらは作家個人の作家性を示していない。無人称の俳句文学総体の意識が表現されている。高柳重信は「俳句は俳句形式が書かせる」と言ったが、五七五の文字を並べ季語を入れれば俳句になってしまう(見えてしまう)という現象はそのような摂理を体現している。
では俳句文学で作家個人の作家性が表現できないのかといえば、そうは言えないだろう。ここでも明治維新以降の近代文学とは異なる摂理が働いている。芭蕉は「古池や」の句で大悟したと言われるが、それには二つの意味がある。芭蕉個人が俳句文学の本質を掴んだという意味と、「古池」の句によって俳句文学の基層が露わになったという意味である。そしてあらゆる神話的、つまり過剰に主観的な読解を可能な限り排除すれば、「古池」の句は純客観描写である。そこに芭蕉の個性は表現されていない。この句が俳句文学の本質でありその表現基層であるならば、作家の個性はこのゼロ地点を通過して始めて獲得することができるだろう。
多くの優れた俳人が口にするように、俳句はイローニッシュな形式である。あるレベルまで俳句と戦わなければその本質が見えてこない。しかし俳句との戦いは結局は必敗に終わる。どこかの時点で戦いの質を変えなければこの芸術の本質には届かない。俳人ほど自己の表現ジャンルに一生懸命に打ち込んでいる人たちはいないが、その反面、俳人ほど俳句絶対主義とでも言うべき傲慢で滑稽で狭隘な陥穽に陥っている人たちもいない。中小企業の社長のように結社員の頂点に絶対不可侵の宗匠として君臨している俳人の姿は、俳句のイロニーの中で最も皮肉である。
岡野隆
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