問題のあるレストラン
フジテレビ
木曜22:00~(放送終了)
数字が振るわなかったという。さもありなん。真木よう子が主演なので第一回から観ようとしたが、その回の最後まで保たなかった。テレビドラマは始めに視聴者をツカみ、そこからどれだけ離さないでいるか、である。初回の最後まで観られなければ、そこから盛り返すことは、まずない。しかし、である。続く回を観た。初回を最後まで観なかったのに、週をあらためて観ようと思った。何故に、か。
出来が悪いわけではないのである。むしろ非常に丁寧に作られている。セリフもいい。ありきたりでなく、才気に溢れ、だが奇をてらうというほどでもない。役者も皆、すごく上手い。演出にも工夫、気持ちがこもっている。なのに初回、観ていられなかった。テレビドラマとは因果なものだ。作り手の熱意がそのまま、いいかげんな視聴者にとって負担になってしまう。
初回、主演の真木よう子が逮捕されるところから始まる。重苦しい画面ではないが、まあ、しょっぱなから「問題のある」ことがわかる。しかしその「問題」が何なのか、なかなか見えないのだ。関係者らしき女たちが集まって、長々と話し合っている場面が続くばかりで。
ゆったりと観客を巻き込んでいこうという意気込みは、映画や演劇ならば期待感となり、緊張感のある空気を生む。しかしテレビドラマの視聴者には、その覚悟がない。一癖ありそうな女たちの奇妙な台詞に興味は惹かれても、筋の運びそのものも謎だというのは面倒すぎた。
もちろん、セクハラやパワハラに傷めつけられた女たちの抵抗のドラマらしい、ということはわかる。ただ、そのテーマに対する、ここでも思い入れの強さが観るものの共感を排除しかねない。映画や演劇ならば許される誇張が、テレビドラマではリアリティのなさに映る。
どんなに横暴な男たちの会社であれ、女の子一人に責任を被せた挙句、20人の取締役の前で素っ裸で謝罪させる、などということがあるか。女の子たちにとっては立ち上がるための動機になるだろうが、会社にとってそれが何のメリットになるのか。仮にあっても、そこまで特殊な会社のあり方についてはそれ自体がテーマになってしまう。一般にはそのような支配の快楽は同性に対して感じるもので、異性へのセクハラはもっと密やかに、パワハラは自分が執着した異性への復讐として為されるものだ。
映画ならば裸体が映像として示されることで、その映像が目的だった、という説得力が増す。説得力がないのはまた、ひどい仕打ちを受けた女子社員が窓際でしょんぼりと仕事を続けていたり、主役の真木よう子が「いい仕事をしたいだけだ」と繰り返したりすることだ。権利意識の高まった女たちはハラスメントの代償として、女の無責任さを振りかざすというのが現実だと思うのだが。
それでも回を追って観るにつれて彼女たちのあり様、どうして「いい仕事」にこだわるのか、少しずつ納得がゆく。そこまでたどり着くのに、時間のかかるドラマだ。放送終了後にファンが増え、DVDなどでヒットするものもあるが、これもまた後に頭から観たくなる作品かもしれない。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■