ごめんね青春!
TBS
日曜21:00~
クドカンの新作。そう思うと、このタイトルがいきなり腑に落ちる。かつてのベタ青春ドラマのパロディだ、というふうに。ただ、パロディというだけでは視聴者の心はつかめない。パロディとは批評であって、視聴者が観たいのは作品だからだ。そこのところは外さない。
あの名作「木更津キャッツアイ」と同様、ご当地ものではある。今回は静岡県三島市。男女共学のエリート校である駿豆西高校(通称 にしこー)厳粛なカトリック系の女子校である聖三島女学院、(通称 さんじょ)、仏教系の男子校である駒形大学付属三島高校(通称 とんこー)があり、偏差値もはるかに劣る東高(とんこー)は、三女から心底バカにされ、避けられているが、この二校の合併話が持ち上がる。
ご当地ものとは言っても、学園ものであるために「木更津キャッツアイ」ほどの地域密着性は見られない。土地の雰囲気と合致した抒情性の代わりに、かつてののんびりした学園ノスタルジーが漂う。現代ものらしくなく極端な生徒はいないが、かえってその方にリアリティがあるのでは、と思う。
とんこー出身で母校に教師として勤める主人公に、錦戸亮。ふにゃふにゃした雰囲気がマッチしている。錦戸亮と言えば、かつて長澤まさみをストーカーとして追い詰めた役がはまっていて、個人的にはそのコワかったイメージがなかなか抜けない(いい意味で)。芝居が上手いんだか何なんだか、よくわからないが、わりといい役を付けやすい俳優さんだと思う。二枚目だからっていうより、ふにゃふにゃしてるから。
同じジャニーズでもかつての「池袋ウエストゲートパーク」、「タイガー&ドラゴン」、「木更津キャッツアイ」の長瀬智也や岡田准一、あるいは「あまちゃん」の能年玲奈や福士蒼汰と違い、主人公に突出したスター性や演技力は感じない。地元の三つの学校、という設定がそもそもそうなのであって、これといった存在もなく、相互の関わり合いの中で盛り上がってゆく。AKBを持ち出すまでもなく、そういう時代なのだ、と言える。
注目すべきどの脚本家にも言えるけれど、クドカンにはすでにクドカンのスタイルが確立していて、今回の作品もまた、そのバリエーションの一つではある。「あまちゃん」のように、新たな視聴者層をターゲットに組み入れたチャレンジングなものというわけでもなく、しかしどんな場合でも、ターゲットによってスタイルは変えない。
「あまちゃん」で明白になったことだが、クドカン作品では時折、山田太一ばりのものすごい正論が吐かれる。で、それはキョンキョンとか、ここでは「さんじょ」の女子高生とか女教師とか、女性の口を借りる。つまりそれは何を示しているかと言うと、「反論の余地なし」ということだ。
「女の子だからモノ投げちゃいけねーのか、女だから鐘も鳴ってねーのに教室に乗り込まれて、ヌルい説教聞かされて、色目使われても我慢しろってのか、そんでこのバカどもの中から配偶者選んで子供産めってのかよ」。「私は処女です。この子たちも全員処女です。法を犯し、暴力でこの処女性を踏み躙る覚悟のある者だけが、Dカップだの、Eカップだのと侮辱的なことを口にするがよい」。いずれも大意である。反論の余地はない。ごめんね。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■