金井純さんのBOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.016 雛の庄内二都物語』をアップしましたぁ。日本および西洋の髪型と風俗の研究家・藤田順子さんの『雛の庄内二都物語』を取り上げておられます。山形県の酒田と鶴岡市に伝わるお雛様を紹介した本です。お雛様の起源ははっきりしないようですが、江戸時代から現在のような雛人形があったことが知られています。ただ雛祭りに近いお祭りは、江戸以前から存在していたやうです。
金井さんは雛祭りは、『学問とは違う、何らかの美意識がはたらき、別の世界がもたらされるもの』だろうと考察しておられます。またお雛様たちの『好み、望みを慮ることは、私たちをも生活から離れた世界に誘う。それは一瞬で、儚いものかもしれないが、あるとないとではまったく違う。もしかすると、「節句を過ぎて雛壇を出したままにしてはならない」と諫められるのは、その世界を儚い夢と思い切らなくてはならない、ということなのかもしれない。女の子がお嫁に行くということは、現実的な苦労をしにゆくということだ。美しいお雛さまたちといつまでも一緒にいたがるようでは、縁遠くなる、と』書いておられます。
そうかもしれませんねぇ。小説などの物語でもドラマや映画などの映像作品でも、人間とお雛様の交流が描かれることがあります。ホラーの場合もありますが、むしろお雛様が属する異界と期せずして人間が交流を持ってしまふといふ設定の方が説得力があります。じゃあそこで表現される幻視(ファンタジー)はなにかといふと、金井さんが書いておられるやうな儚い夢、現実の苦労とは無縁の美しく楽しい世界への希求ではないかと思ふわけです。またそこには人間が持っている本源的な美意識があるやうに思ひます。
金井さんは『小さいということは、遠くにあるということだ。お内裏さまとお雛さまなら平安の昔にあり、日本文化成立のときの文字通りの雛型である。ひな祭りの発生は江戸期で、つまり当初から遠い過去への距離感を有していた。・・・それは私たちの過去から私たち自身と生活を捨象し、私たちの過去を美しいものとする。あるいは様々なお道具の可愛らしさから、小さくするということそのものがすべてを美しくするのだと気づく』と書いておられます。鋭い考察ですね。清少納言は『なにもなにも ちひさきものはみなうつくし』と書いておりますですぅ。
■ 金井純 BOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.016 雛の庄内二都物語』 ■