アンドレイ・タルコフスキー監督作品
1975年公開
第1回で取り上げた冒頭のシーン、タルコフスキー監督自らが父(アルセニー・タルコフスキー)の詩を朗読する場面には、『鏡』という映画へ観客を導入するに当たって、その理解を助けようとするかのような映像が登場する。
たとえば、このシーンの始まりと終わりに登場する、何気なく後ろを振り返る母のショットは、浮世絵の見返り美人よろしく、母のエロチックな美しさを印象付ける意図ももちろんあろうが、その振り返るという動作によって、父との愛に満ちていた過去への執着が象徴されている。
また、幼年時代のタルコフスキーとして登場する幼子が、猫の頭に砂糖を振り掛けるショットでは、母へのフラストレーションが、愛情に対する飢餓感ゆえの悪戯として象徴されている。その他にも雨に濡れた庭先のベンチであるとか、窓辺に置かれた詩の書かれている(であろう)紙片とかが、長回しの撮影がもたらす不断の日常とあいまって、永遠の父の不在としてほのめかされる。このような映像が喚起する象徴性を我々が理解するには、乗り越えなければならない壁が立ちふさがる。字幕という壁である。
当たり前のことだが、ロシア語を理解できない日本人の多くは、『鏡』のせりふを字幕によって理解しなければならない。このシーンのタルコフスキー自身による詩の朗読も、音声情報として聴覚だけで理解し得ない以上、それは字幕を読むことで、つまり視覚で捉えた文字情報として詩を読むことで理解する必要があるわけだ。
この行為によって視覚は、タルコフスキーがこの映像を作るにあたって想定していたよりも、多くの仕事を強いられるわけである。作家と観客との間のこの知覚上の誤差が、『鏡』という映像詩の理解を少なからず困難にしている一因である。この外国語映画には、こうした詩の朗読がこの先2箇所で登場する。さらに長い独白も1箇所で登場する。タルコフスキーは映像派の作家といわれるとおり、カメラを縦横に動かしながら撮影し続ける長回しを得意とし、さらに画面の隅々にわたって被写体への細かい作為を施す。つまり観客は十分過ぎるくらい視覚を研ぎ澄ませたうえで、この映像に対峙せねばならないわけだ。そこに字幕という更なる刺激が加わるとしたら、視覚はそれらの情報をすべてにわたって取り込むことが難しくなってしまうだろう。『鏡』が難解な理由は他ならぬこの字幕にあるといっても過言ではない。
しかし、本稿の目的は『鏡』がなぜ難解であるのかを解き明かすことではない。『鏡』を見終わった後で、意味の分からない難解な映画というイメージが残るのは確かだ。が、だからといって観客が、不快感や当惑だけを抱いて映画館を後にするということではない。それどころか『鏡』には、観客一人一人にある種の解放感をもたらすものがある。
ここでいったんそれを、世界という物語から個を取り戻すことである、と仮定しよう。
そもそも『鏡』に一貫した物語というものは存在しない。あるのは回想という記憶の断片の集積だけである。記憶は個人にのみ在るのではない。家族にも、共同体にも、国家にもそれぞれ固有の記憶が存在する。母の記憶という極私的な映像で幕を開けた映画は、母が回想する母自身の記憶を辿り、やがてかつて母の親族が暮らしていたスペインという家族の記憶を経巡り、戦争という国家の記憶へと拡大する。
母という個から国家という全体へと記憶の変遷を辿るように、監督によって朗読される父アルセニー・タルコフスキーの詩も、その様相を一変することになる。まずは母が若い頃勤めていた印刷所での回想シーンで朗読される詩。
昨日 朝から君を待った
君はやはり来なかった
空は祝祭のごとく晴れ渡り
外套いらずだった
今日 君は来てくれたが
何やらどんよりした日となり
しかも夜更けには雨
しずくが冷たい枝を伝わり
言葉でもハンカチでもぬぐえない
次に戦争の回想シーンで、泥濘地帯を行く軍隊の映像(記録映像か)にかぶせて朗読される詩。
予感を信じない
前兆を恐れない
中傷も悪意も避けはしない
この世に死は なし
すべて不死不滅なのだから
17歳も70歳も死を恐れる必要はない
現実と光あるのみ
闇も死もないこの世で
人々は海辺にたたずみ
不死の群れを待つ
そして綱を引くのだ
(中略)
僧侶のごとき死の脅し(ここから場面は父アルセニーの少年時代に変る)
私は運命を鞍に結び
少年のように腰を浮かせ
未来と駆ける
幾世紀も我が血を流す
不死とはそのためか
常に暖かく確かな一隅
命に代えても守りたい
飛んでくる矢が
糸となり光に導かぬのなら(少年アルセニーのクローズアップ)
戦争が始まった頃、父は既に妻を捨て家族を捨てて家を出て行ってしまっていた。家を出た頃の父は、表面的には恐れるもののない身勝手さに満ちていた。死をも恐れぬ傲慢な父の様子が、行軍シーンにかぶせられた詩から読み取ることができる。そして戦争という国家の記憶に寄り添うがごとく、父はまさに国家を象徴する存在として描かれている。
しかしこの象徴作用は単純ではない。この前にも登場する父の少年時代の回想では、軍事教練の教官が、アルセニー少年のひそかな憧れであった赤毛の少女に色目を使ったことで、アルセニー少年は教官に対し精一杯の反抗を試みる。教官への反抗は国家への反抗を意味している。つまり父アルセニーにとって反抗の対象だった国家は、戦争という時代がもたらした関係性の変容によって、父アルセニーと見事に同化していったのだ。そしてこの父と国家との同化によって破壊されたのは、ほかでもない母であり家庭であったというわけである。
『鏡』という映画が秀逸なのは、反抗であれ変容であれ破壊であれ、また父であれ国家であれ家族であれ、そうした映画特有の欲望が生み出そうとする物語の生成を、記憶という極私的な欲望がことあるごとに押しとどめようとするところにある。その記憶の欲望は、さまざまな主体の欲望となって『鏡』の中に映し出されるのであるが、鏡像であるからといって当たり前に映画の外部に存在するだけにはとどまらない。それは映画を制作する監督自身を主体とすることで、映画そのものの記憶となって映画の内部へと入り込む。それは一人称カメラによる人気のない部屋の描写という設定の中で、電話で実母と会話するタルコフスキー(役ではアレクセイ)の声によって表現されている。
母「アレクセイ?・・・声が変ね。病気でも?」
「大したことない・・・扁桃腺でね。ここ三日誰とも話してない。話さないのもいいものでね。言葉じゃ表せない事が多いし・・・言葉って半端だから。そういえばさっき母さんが夢に・・・僕はまだ子供だった。父さんが消えたのは36年?37年?」
母「35年の初めよ・・・なぜそんなことを・・・」
「火事は?納屋が焼けただろう?」
母「あれも35年のこと・・・もういいでしょ・・・」
(中略)
「今は何時かな?」
母「6時ごろよ」
「朝の?」
母「何を寝ぼけて・・・夕方よ」
「母さんと僕・・・いつも喧嘩だね。僕が悪いのなら謝るよ」(電話の切れる音)
『鏡』が自伝的と評されるのは、戦争や国家といった時代のうねりによって変容を強いられる個人の弱さ、といった月並みな物語の枠組みに陥ることなく、ふと我に返るかのように「私」に立ち戻ることで、映画を物語の呪縛から解き放ち、より極私的な記憶にカメラを向け続けたことによると思われる。
家の中をなめるように映し出す長回しのカメラワークは、電話で吐き出されたアレクセイ(監督本人)の一方的な言葉をより浮き立たせるのに一役買っている。この言葉からも分かるように、タルコフスキーと父とのエディプス的関係が、終始言葉による対立として描かれていることを忘れてはならない。それはとりもなおさず詩人として言葉を操ったばかりか、その身勝手な振る舞いによって母や家族をも操っていた父に対する、タルコフスキーの極私的な復讐として『鏡』があることの証左である。さらに、扁桃腺を患って声が出ないことも、まさしくそうした言葉に対するコンプレックス、つまり父へのコンプレックスと考えれば、『鏡』が誰でもない監督本人に向けてのメッセージだということが明らかだ。
次回は、私的メッセージである『鏡』が、なぜ不特定多数の観客を映画という呪縛から解放するのか。その象徴的なラストシーンまで辿ります。コンテンツアップは5月中旬の予定です。
緑川信夫
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