小原眞紀子さんの『Ongaku & Bungaku by Kingyo』『No.020 『鉄腕アトム』 谷川俊太郎』をアップしましたぁ。けっこう溜まっていたOBKのコンテンツも今回で一区切りです。小原眞紀子さんに頑張って書いていただいていましたが、掲載まで時間がかかってしまひました。今回は谷川俊太郎さん作詞、高井達雄さん作曲の『鉄腕アトム』を取り上げておられます。なお作曲家の高井さんの遠祖は藤原冬嗣らしひです。政治家として高名ですが、奈良から平安初期にかけての大漢詩人でもあります。『鉄腕アトム』って、詩人つながりの名曲だったんですねぇ。
小原さんは、『子供たちは戦後社会の中で成長し、大人になった。・・・アトムは取り残され、・・・単純な「正義の味方」が生息していた時代のレトロな記憶に過ぎなくなった。私たちはそう、最近まで、彼を思い出す必要も感じていなかった。「鉄腕アトム」とそのテーマソングは、タイムカプセルだと思う。今、アトムは目を閉じて、実験台に横たわっている。小さな硬い胸を開けると、歯車やら何やらが詰まっている。ロボットだったからこそ腐ることもなく保ち続けてこられた理念、理想だ。しかし私たちもまた、自分の胸を開ければ、子供の頃に仕込んだ歯車の一つや二つは見つけられるはずだ』と書いておられます。
確かにそうですね。アトムは原子力で動くので、東日本大震災以降、その設定が批判されたりもしています。しかしアトムが登場した1960年代、人々は原子力を含む新たなテクノロジーに夢を託していた。アトムの胸を開けてわたしたちが確認するのはこの夢でしょうね。より良い社会、より良い人間性を求める人類の向日的な意思です。実も蓋もない言い方をすると、テクノロジーは災禍をもたらすことがありますが、それを超克できるのもテクノロジーだけです。ただそこで試されているのは人類の良き意思としての叡智です。これは原発賛成、反対といった意見とはまた別の話です。アトムというキャラクター・物語は、とても現代的な意味をまとっているやうに思ひます。
いつだったかピーターパンに会ったとき言われた
きみおちんちんないんだって?
それって魂みたいなもの?
と問い返したらピーターは大笑いしたっけ
谷川俊太郎さんの『百三歳になったアトム』(詩集『夜のミッキー・マウス』二〇〇三年)の一節です。この詩篇でアトムは僕には知性も力もあるけど、魂はあるのかなって悩んでいるのです。詩篇の言葉は無機と有機、天上と下界を往還します。うまいもんでごぢゃる(爆)。
抒情詩を僕や私の心理を描写する文学だと考えている作家は多いです。しかし一人の人間の心理など、詩集一冊分くらいの作品を書けば出尽くしてしまふ。だからたいていの抒情詩人の寿命は現代詩人より短い。現代詩は個性ではなく言語実験を重視しますが、抒情詩では作家の個性がモロに出てしまふ。一冊目の詩集で作家の個性の型が示されますが、その後は時間と場所を変えた同系統の作品が続いてゆきます。作家の実人生で大事件が起こって、それによりたまさかの秀作が生まれることを期待するほかなくなるわけです。
谷川さんはデビュー当初から、自己の個性・抒情を相対化できる能力をお持ちでした。『二十億年の孤独』とはそういうことです。アトムの孤独は確かに谷川俊太郎という詩人の孤独につながっていると思います。
■ 小原眞紀子 『Ongaku & Bungaku by Kingyo』『No.020 『鉄腕アトム』 谷川俊太郎』 ■