外賀伊織さんの『Ongaku & Bungaku by Kingyo』『No.015 Perfume『ポリリズム』(作詞・作曲・プロデュース中田ヤスタカ)』をアップしましたぁ。外賀さんが大好きなPerfumeさんの『ポリリズム』を取り上げておられます。不肖・石川がこの目で目撃したから確かですが、外賀さんは『ポリリズム』を完璧な振り付けで踊れます。のっぽの痩せた男性が『ポリリズム』を歌いながら踊るのは実に奇妙な光景でありまふ(爆)。ほれに外賀さんは『多摩川左岸』をPerfumeさんの『チョコレート・ディスコ』をループで聞きながら書いたらしひ。ますます奇妙な御仁でござる~。
ほんでまあ、コンテンツの大半は中田ヤスタカさんについてですね。Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅさんへの楽曲提供者でプロデューサーであります。外賀さんは中田さんについて、『彼はある意味で器用過ぎるのかもしれない。自由に音楽を作る時よりも、数々の制約を課された場合の方が、絞り込んだシャープな楽曲を作り出す傾向がある。自分のやり方を変えないまま、しかしポップスやアイドルの要件を満たす楽曲を作り出せる』と書いておられます。そうかもしれませんねぇ。
文学の世界ではあまりコラボレーションが行われないですが、音楽の世界ではもはや一つの市場といっていいほど盛んです。アイドルを一つの器としてそこに楽曲提供者がいわばお料理を盛りつけることもあるし、ソングライターが共作するのも盛んです。文学よりもビッグビジネス業界なので様々な試みが行われやすいといふこともあるでしょうが、その根本には個の能力の限界を打ち破ろうとする意図があるやうにも思います。業界の裏情報も含めて今まで隠れていた情報が簡単に入手できるようになった高度情報化社会では、必然的に個の能力が相対化される傾向があります。
文学業界はいまだに個の能力に頼りきりで、むしろ世界情勢に逆行して個の才能の神話化を死守しやうとする傾向すらちらほら見受けられます。しかしそれは長くは続かないだらうなぁ。もちろん文学業界でコラボレーションが盛んになるとは思いません。しかし作家の質は変わらざるを得なくなるのではないかなぁ。イメージとしては、個の輪郭の中に特権的才能が詰まった文学者から、個の輪郭はあるけど中は驚くほど空虚で、そこに世界の様々な要素が流入する文学者といふ変化。作家は相変わらず一人っきりの表現に留まるかもしれませんが、文学神話の解体はもちろん、ジャンルの相対化が益々進むと思ふのでありますぅ。
■ 外賀伊織 『Ongaku & Bungaku by Kingyo』『No.015 Perfume『ポリリズム』(作詞・作曲・プロデュース中田ヤスタカ)』 ■