ラモーナ・ツァラヌさんの『日本伝統芸能論』『No.002 能面の小宇宙』をアップしましたぁ。昨日はラモーナさんにインタビュアーとして参加していただいた観世銕之丞さんのインタビュー『伝統と現代(後編)』をアップしましたが、引き続きラモーナさんによるお能論を掲載します。今回は能面について論じておられます。銕之丞さんも能面を〝仮面論・個性論〟としてお考えになっていますので、併せてお読みいただければと思います。
ラモーナさんはヨーロッパの仮面舞踏会やカーニバルで使われる面は身分や性別を隠すための道具であるのに対し、日本の能面は『人に「顔を与える」役割を果す』と論じておられます。『仮面は自分の力で動けないので、役者の体を借りて、役者に付けられてからはじめて「主体」となって、生きる』わけです。また『能面が観客の記憶にある物語と異なる設定に出現したら、・・・違和感が生じ、別の意味で面白い効果が得られる』例として、錬肉工房の『ハムレットマシーン』(ハイナー・ミュラー作、1998年上演)をあげておられます。
『ハムレットマシーン』ではオフィーリアが能面をつけた花嫁姿で登場しますが、2人の男がヴェールをはぎとり能面を割ってしまう。その瞬間の衝撃をラモーナさんは、『初老の男性能役者の顔が、まるで生まれたてのような喜びを覚えながら、微笑んで見えた』、『このような取り扱いこそは、能を愛する人がどれだけ能面のそのイメージに執着しているか、・・・どれほど観客の理想や思い込みが込められているかを示し、能の伝統に象徴される文化を見つめなおす機会となった』と書いておられます。
日本人はなんやかんやいって墨書や水墨画、浮世絵、歌舞伎、お能などを見慣れています。欧米の前衛アートにはえらい勢いで興奮しますが、日本の芸術に対しては、『うん、わかってるよ』といふ感じになってしまふ(爆)。ですから大人になってそれらを出現させた文化的ストラクチャーを壊そうとしても、どこかで既存のストラクチャーにとらわれてしまうことが多い。ラモーナさんの視線と読解は新鮮です。『日本伝統芸能論』は不定期連載ですが、引き続き文学金魚に掲載される予定です。
■ ラモーナ・ツァラヌ 『日本伝統芸能論』『No.002 能面の小宇宙』 ■