長岡しおりさんの文芸誌時評『No.002 Mei vol.03』をアップしましたぁ。長岡さんがおさらいされていますが、『Mei』は『冥』であり、Ghostly Magazine for girlsといふサブタイトルが付いた雑誌です。今号の特集は『こわ~い京都をぶら~り散歩』で、霊っぽいものが視える人と視えない人が京都を旅し、それにまつわる記事やエッセイ、小説が掲載されています。不肖・石川はそうとうに霊感が強い方なのですが、石川が見る霊について人に話すとみんな爆笑してしまふので、こりについては割愛しませう(爆)。
長岡さんは『エッセイというのは軽い読み物という理解のされ方だと思うけれど、本来は「論」ということで、an・an でも Mei でも、そこにあるエッセイとは当時の東京、そして何かが「視える」かもしれない京都についての小論であり、特集の狙い、スタンスを端的に示していると思う』と書いておられます。
確かにそうです。エッセイを書くのは意外に難しい。書き手の〝人〟が見えてくるか、街や物などの本質が伝わらなければエッセイは面白くありません。エッセイを〝随想〟といふ茫漠とした書きものとして捉えるのは少し危険かもしれません。エッセイはだいたい3枚から7枚程度ですが、10本書いて2、3本はちょっと記憶に残るような文章を書けなければ、エッセイ書きとしては失格でしょうね。打率2割は超えて欲しひわけです(爆)。
まあ読者はエッセイにあまり期待していない。小難しいものを読みたくない時にエッセイを読むわけです。そういふ状態の時に擦り込まれた印象は、意外と鮮烈で永続きするものです。でも小説家でも詩人でも、作品や評論はそれなりに書けるのに、エッセイは苦手といふ方が大勢いらっしゃいます。多分、エッセイとはどんな質の書きものなのか、一度も真剣に考えたことがないからでしょうね。ただま、エッセイのような軽い書きものばかり引き受けていると、作品が荒れるやうになる傾向があるのも確かでありますぅ。
■ 長岡しおり 文芸誌時評『No.002 Mei vol.03』 ■