「こわ~い京都をぶら~り散歩」特集である。ちなみにおさらいすると、「Mei」とは「冥」であり、「Ghostly Magazine for girls」である。(霊っぽいものが)「視える人」と「視えない人」として、編集者や作家などが旅をする。京都の町の地図は注目すべきスポットのガイド付きで、それにまつわる記事、エッセイ、そして小説に至る。
なかなか楽しい特集で、ちょっとバブルの頃の「an・an」を思い出した。夏休み直前に、東京のガイドを特集していたのが、これとよく似た造りだった気がする。東京の、お洒落なんだけど「an・an」カルチャーにとっての、という独自路線の最先端スポットは、決して万人に開かれている感じではなかった。かと言って排他的なわけでもなくて、入り込んでいけば結構フレンドリー、ただしそのカルチャーを理解しているという雰囲気を纏っていることが必須だったと思う。それは別に、無茶苦茶にお金のかかることでは必ずしもなかった。バブル真っ盛りだったにもかかわらず。
霊っぽいものが「視える人」をガイドに「視えない人」が町を歩くのは、夏休みに地方から出てきた「an・an」の読者にとって、最先端とは一種、幽霊のようなものであったかもしれない、とも考えさせる。やたらと黒い服、ペイズリー柄というのも依ってきたるところとか、捉えどころとかがないっちゃない。時代の雰囲気を求めて彷徨っていたのは、東京っ子も同じではあったが。
エッセイというのは軽い読み物という理解のされ方だと思うけれど、本来は「論」ということで、an・an でも Mei でも、そこにあるエッセイとは当時の東京、そして何かが「視える」かもしれない京都についての小論であり、特集の狙い、スタンスを端的に示していると思う。雑誌の読者が、その雑誌カルチャーに染まるというのも要するに、そこに連載などされているエッセイに教育の使命がかかっている。しかし一見、エッセイの書き手は編集部の「手の者」には見えない。そこがむしろ重要だ。林真理子も霊感の強い作家やライター、イラストレーターと同じなので、東京や京都にあるカルチャーが厳然として存在し、編集部でなくそのカルチャーのインサイダーである、という位置付けでなくてはならない。
そういうかつての東京バブルカルチャー、京都幽玄カルチャーというのが単にメディアの創作物であった、とは思わない。それは確かにあるかもしれないが、しかしメディアがそれを文字通り仲介し、紹介していただけとも思えない。
先の、夏休みの東京ガイドはバブル期の an・an の「最高傑作」の一つだが、同じく当時の an・an で、今だに忘れられない記事がある。モデルの甲田益也子がフツーの女子大生として小さなスナップ写真に登場し、次のページではヘアサロンで髪をカットされ、きれいに垢抜けて、その次のページは、バスルームでのアップ。ワンレングスにカットされた洗い髪が美しく輝き、ロシア人じみた色白の、少し痩けた頬が浴槽の縁で息をついている。あの濡れたような大きな瞳がこちらをじっと見つめていて、なぜか鳥肌が立った。それは超人気モデル、甲田益也子の誕生という「小説」でもあった。幽霊が出てくる小説を集めた文芸誌程度には、ファッション誌も文学的になり得るのである。
長岡しおり
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■