ラモーナ・ツァラヌさんの新コンテンツ『日本伝統芸能論』『No.001 観客論としての世阿弥能楽論』をアップしましたぁ。ラモーナさんは演劇批評『青い目で観る日本伝統芸能』を連載中ですが、新たに『日本伝統芸能論』を書いていただくことになりました。不定期連載ですが、ラモーナさんの本業であるお能を中心とした本格的評論です。一昨日ブログに書いたように、ラモーナさんには観世銕之丞さんへのインタビューも行っていただきましたが、今回はそれに関連したコンテンツです。世阿弥の観客論について論じておられます。
不肖・石川、演劇学問の中に〝観客論〟があることはなんとなく知っていましたが、それがどういふものかは把握しておりませんでした。ラモーナさんのコンテンツを読んで、ようやくどういったものであるのかがわかりました。ラモーナさんは『観客の存在を意識して芸能について論じたのは、世阿弥が世界最古ではないかと思われる』、『ヨーロッパで最初の演技論が書かれたのはルネサンス以降のことである。その内容は、舞台上の役者が観客の存在を意識しないためには、どのようにすればいいのかというものだった』と書いておられます。こういった視点からの比較が可能なのですねぇ。
世阿弥は室町初期の絶対権力者・足利義満の庇護を受けましたが、その夢幻能は義満ら貴顕の好みに合わせたところが多分にあるといふことでしょうね。当時、庶民はお神楽や申楽を楽しんでいました。しかし世阿弥の能はそれとは異質です。観世銕之丞さんはインタビューで『足利義満を始めとする方たちは、いろんなことを経験してきた末に、生臭さのない抽象的な虚構にリアルを見る目を持つようになったんだと思います』と語っておられますが、それほど当時の貴顕の日常は〝生臭かった〟のかもしれません。ラモーナさんの『日本伝統芸能論』は、銕之丞さんのインタビュー後編に合わせてもう一本アップしますですぅ。
■ ラモーナ・ツァラヌ 新コンテンツ『日本伝統芸能論』『No.001 観客論としての世阿弥能楽論』 ■