能楽という芸能は公演を観て、もし何かを感じたとしたら、それを頼りにして好きになるのが一番いい。しかし特定の事情があって実際の舞台が観られない場合、能楽の存在を知るのは世界演劇史、または日本文学史の科目に参考文献として必ず記載されている世阿弥の能楽論がきっかけとなることが多い。能楽の大成者である世阿弥元清(1363年‐1443年)が残した能芸論は現在数ヶ国語に翻訳されており、能についての基礎知識を得るための便利な入り口になっている。この芸論を通してはじめて能のことを知った者の能論は、まずは世阿弥論にならざるを得ない。
しかし能について何かを論じる時、世阿弥から話をはじめることにはいくつかの無理がある。まず能は現代舞台芸術である。650年間以上にわたって発展し続けてきたのだが、私たちと「現在」という時間を共有している。能の各公演には今生きている人の思いが込められているのである。従って現在行われている能の公演を取り上げる時は、どんな理論よりもその舞台を作った者の意図を重視しなければならない。二つ目の理由は私たちが今観ている能楽は、世阿弥時代よりもずっと洗練された芸だということである。世阿弥が生きた時代以降も新しい能の形式や表現が現れ、彼が理想としていた芸とは全く違う趣を見せる舞台が生み出されてきた。ただ世阿弥が語る能のあり様が今も能楽の基本になっているのは確かである。それを念頭に置きながら現代の能楽を紹介すると、この舞台芸術が内在している表現の豊かさがより明らかに見えてくる。
世阿弥は「花」や「鏡」などという言葉を使って、能役者の芸はどのようなものであるべきかを説明している。その論は実践的でありながら非常に比喩的でもある。そのため我々は世阿弥の言葉にとどまらず、言葉の隙間から垣間見える世界観や人生観を視野に入れないと、彼が伝えようとしていることの全体像が見えない。とは言っても世阿弥の芸論を読めば、誰もが一つの特徴に必ず気付くはずである。それは世阿弥の芸論が優れた観客論であるということだ。世阿弥は常に舞台を観る側を意識しながら、「花」という概念を通して能の理想的な形について論じている。
世阿弥の「花」はほとんどの場合、役者の魅力や舞台の成功を意味している。役者の演技が観客に面白く見える瞬間を「花」と呼び、面白さと珍しさが花と同じ心だと解く。「花」は舞台上の役者と観客の間に生じるもので、一方的なものではないのである。そのため世阿弥は能楽論で、見る側の期待を予測し、それに答えようとすべきだと繰り返し語っている。
このように観客の存在を意識して芸能について論じたのは、世阿弥が世界最古ではないかと思われる。確かにヨーロッパには古代ギリシャ悲劇のあり様を伝えるアリストテレスの『詩学』がある。しかし著者は哲学者であり、役者ではなかった。また2000年前のギリシャ演劇は存在が絶えてしまい、どのような演劇だったかは今も検討の余地が残っている。それに『詩学』はあくまで戯曲論で演技論ではない。
ヨーロッパで最初の演技論が書かれたのはルネサンス以降のことである。その内容は、舞台上の役者が観客の存在を意識しないためには、どのようにすればいいのかというものだった。十九世紀には舞台照明が発明され、光に包まれた役者と暗闇の中にいる観客との分断がさらに進んだ。役者は観客の視線を気にせず、より自由に演じることができるようになったのである。このような、いわば観客の存在を無視した演技論が生まれた背景には、”l’art pour l’art” -芸術のための芸術という概念がある。
”L’art pour l’art”という概念は、芸術の創造者の独立性を保証し、安易に観客に妥協することを禁じた。しかしそれは、芸術家が世間からの批判に耳を閉ざす口実にもなった。またそれにより、芸術家と観客は大きく切り離されてしまったのである。その不自然に気づいたのは二十世紀の演劇を代表する芸術家たちだった。ヨーロッパでは彼らによって、二十世紀に入ってからようやく観客論が書かれ始めたのである。
ヨーロッパとは対照的に、歌道、茶道、華道をはじめ日本文化独特のあらゆる芸術は、全て「今ここに」いる人々が共有するものとして成立したのではないかと思われる。それを象徴するのが、世阿弥が『風姿花伝』で使った「花」という言葉だろう。
自然の花は咲いて、成長し、散る。咲いた瞬間から散華の影が花の周りに漂っているので、花には「今」しかない。つまり役者は各作品に心をこめて、舞台に立っている間に全てを出さなければならい。四季折々の花が変わるように、役者は一つの表現にとどまらず、常に新しい要素を受け入れて芸術を進化させなければならない。花の種類が複数あるように、役者は演技の幅広さを目指さなければならないのである。常に成長し、変わること―それこそが世阿弥が能に最も必要だと主張している事柄である。
世阿弥にはまた「秘すれば花」というよく知られた表現がある。色々な風に解釈されてきたのだが、最もわかりやすい解釈は、俳優が役に入る、つまり仮面(また化粧)をつけて物語の登場人物になりきる瞬間は、観客には見えない方がいいという意味だろう。あやつり人形の芝居では、黒子の人形遣いや人形を操る糸が見えてはいけないということと同じである。舞台芸能が一瞬の夢なら、与えられた時間はその夢を守るのが約束だ。世阿弥はどこまでも観客のことを考え、観客が喜ぶような作品を作ろうしている。
力なく、この道は見所を本にする態なれば、当世当世の風儀にて、幽玄をもてあそぶ見物衆の前にては、強き方をば、少し物まねにはづるゝとも、幽玄の方へは遣らせ給べし。
(「風姿花伝」、花伝第六花修云)
世阿弥は物まねの芸を得意とする座であっても、観客の好みに合わせて演じるべきだと言っている。貴族や武士は、寺社の祭日に、当時まだ申楽と呼ばれていた能を見ていた一般庶民と違って、幽玄の風情を好んでいた。彼らが観客なら、演目の詞章から役者の演技まで全てをその風情に同調すべきだというのが世阿弥の考え方である。この考えが詞章の題、登場人物や言葉選びにまで影響を及ぼし、徐々に能楽作品の様式を形作ることになった。
『風姿花伝』とは異なる芸論『花鏡』で、観客という存在の観察方法、また観客の心を掴む方法についての世阿弥の論はより深く発展していく。例えば公演が始まる直前に、演者は楽屋から客席の様子を見て、それによって舞台に出るための一番相応しい瞬間を狙うべきだと論じている。効果的な登場さえできれば、その日の成功が決まると世阿弥は言う。
是、諸人の心を受けて声を出だす、時節感当也。この時節少しも過ぐれば、又諸人之心ゆるくなりて、後に物を云出せば、万人の感に当らず。此時節は、たゞ見物の人の機にあり。人の機にある時節と者、為手(して)の感より見する際なり。
(『花鏡』、第七条)
主演の役者が登場し、歌い出すのは、能の上演を待つ観客の期待感が最も高まった瞬間であるべきだということである。そのためには観客の「心を受ける」、つまり見る側の心の中に高まる期待を見抜くのがコツである。役者には抜群の演技力だけではなく、相手の気持ちを察する力も必要なのだ。それが演者と観客が共有する感動の原点となる。
また『花鏡』で、世阿弥は見た目で成功する能、謡の面白さで成功する能、そして見た目や言葉を超越し、深い感動を与える能を区別している。見た目で成功する能の場合、観客は演者の姿に完全に心を奪われてしまうと、その舞台の善し悪しを判断できなくなるので、役者が自分が発揮する魅力をある程度抑える必要があるという。
あまり能出できて、なにとするも面白きほどに、見手の心浮き立つ所にて、諸人の目・心、隙(ひま)なくなりて、能少し紛るゝ相あり。為手(して)も心はやりして、風情を尽くす所にて、見手の心、為手の心、隙なく成て、よき所の堺紛れて、能の向き、けてうになる方へ行きて、悪くなる相あり。是を、能の出来過ぐる病とす。
(「花鏡」、第十六条)
つまり役者は自分の演技が観客にどのような効果を及ぼすのかを意識しなければならない。その上、自分が人気者になることよりも、公演の成功を優先しなければならない。能が必要以上に派手にならないように、役者は舞台上で自分の存在感を抑えたほうがいいとここでは説かれている。自分の演技のことも、それを見ている人間の心理もよく理解した上で、観客の気持ちを配慮しながら演じるべきだということを論じるこの箇所は、演劇論の枠を超えた人間論としても捉えられる。
勿論、『花鏡』などの伝書が伝えるのは世阿弥という人物が理想としていた能の形である。実際にこの理想が実践できるかどうかはまた別の問題である。しかし世阿弥が追求していた能が手の届かない理想だとしても、役者が真摯に世阿弥の言葉に耳を傾ければ、一生かかっても演者としての課題は終わらないだろう。俳優が常に自分の芸を磨き続けなければならないと強く主張する世阿弥の芸論は、どんな演劇ジャンルにおいても大きな意味を持っている。
また簡単な言葉を使いながら能について述べる世阿弥の思想は日常から離れることはあまりない。世阿弥は能役者であり、基本的に自らの座の存続と芸の継続にしか興味を持っていなかった。彼が残した能楽論は能を演じる上で大事なことを後継者に伝えるためのもので、抽象的なところのない非常に現実的かつ実践的なものである。「花」や「幽玄」といった概念に日常から離れた哲学があると思い込んでいる人は、自分がそこに見たいものしか見ないのである。世阿弥の能楽論の思想は実は単純である。それを受け入れる覚悟があるかないかによって、世阿弥の理解者、能の理解者は選抜されるだろう。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■