小原眞紀子さんの辻原登論『辻原登-現代小説の特異点(下)』をアップしましたぁ。文学金魚新人賞の選考委員をお願いしている辻原登さんについての本格的評論完結篇です。辻原さんのパスティーシュの手法は極めてポスト・モダン的なのですが、それが作家固有の手法になった理由を探究しておられます。と言いましても思想・観念のお話ではなく、それはもっと肉体的な手触りに近い文学思想と言うべきものです。
小原さんは、『作家である「息子」は、そのように「父」の足跡をなぞりながら、それを裏切ることを決して止めようとはしない。裏切りとは「書くこと」そのものである。それだけは父が為さなかったこと、息子が父を相対化し、矮小化し、超えてゆく手段である。息子は倦むことなく夢中で、ひたすら勤勉に書き続ける。勤勉であった父をなぞりながら、隙あらば裏切り、いつも別のところへ抜けようとする。・・・この「父」は、そしてもちろん「物語」という制度でもある』と書いておられます。
あ~なるほど、と不肖・石川は思いました。また小原さんが、厳密にテキストのみを読解するいつものテクストクリティックの方法を採用されなかった理由がよくわかりました。テクストクリティックだけでは、このような辻原文学の特徴は読み解けないでしょうねぇ。たた〝父を裏切る〟といふ事が、私小説的なテーマにならないところが辻原さんの最も大きな特徴であります。見事な読解だと思います。
■ 小原眞紀子 辻原登論『辻原登-現代小説の特異点(下)』 ■