『遊動亭円木』は、盲目の噺家が主人公である。落語とは伝統的な記憶の総体であり、それを暗記し、再話するものだ。なおかつ盲目であることで、近代的な自我の視点を積極的に失おうとする円木とは、古代の語り部に接近し、「落語そのものになろうとする」存在である。それはそのまま、記憶のアーカイブの総体である〈文学〉に没入し、再話する装置とも化して「〈文学〉そのものになろうとする」辻原登の執筆の姿と重なる。
【辻原登氏についての証言。ちなみに『遊動亭円木』に出てくる中村羊羹の眞紀子は、私の名から採られました。かつて少年が恋文を書いた、いい女という設定です。うれしいです。】
そして円木は盲人である。この盲の感覚の描写は特に優れ、もしかして取材のために盲として数日を過ごしたのだろうか、と思われるほどである。「辻原登」という名の小説の主人公より、むしろこの円木が作家そのものと重なるのは、辻原登がある意味で盲である、それも積極的に盲であろうとしているからでもある。
すべてを見通す視点を得よう、などと考えないことだ。辻原の言う「本質を見極めようとするなど、あさましい」というのは、そういうことだろう。辻原は本質がないと考えているのではない。ただ、辻原の考える本質は、一個人がつかめるようなものではないのである。しかしその考えは、本質をつかむこと=神の視点を設定して、それを中心に構造化するという日本近代文学の方法論からの逆行でもある。現象的にはポストモダンに酷似していても、辻原登がプレモダンの作家だというのは、その〈盲〉としての振る舞いに示されている。
円木の噺は、聴いてるみたいで、ふしぎだ、と久しぶりにたずねてきた明楽のだんなは、ボタンコートの一室で、ぼちぼち練習のつもりではじめた落語の、ひとつふたつをさしむかいで聞いてそう思った。この場合、噺を演じているのが円木なのに、語っている当人がまず耳を傾けている、傾けながら演っているという意味だが、
(以下略。『遊動亭円木』)
通常、噺家は自分の声を聴くととちる、だから聴いてはいけないと言われるが、盲の円木は自分の声に耳を傾けているようだ。円木が聴いているのは、自身の声を超えた、あるいはその中にひそむ〈落語〉の共同体としての総体、過去のすべての噺と声のアーカイブであろう。目明きの噺家は、高座で目を見開きながら、〈世間〉を見ている。〈世間〉を見るのはいいが、そこには噺家の個としての視点が生まれる。その状態で、自身の声、自我を意識すればとちる、ということだろう。盲の円木には視点がなく、自我に囚われる怖れが薄い。だから円木が耳を傾けるのは、自身の声であっても、すでに自身の声でない。そうやって〈落語〉の共同体を、噺の古層をなぞりながら、しゃべることができる。
文学の古層をなぞりながら〈声〉として物語ってゆくこと。辻原登が自ら個としての視点を失おうとするのは、このような行為をこそ自身の〈文学〉とするからだ。「目なんか、いらねえや」と言う円木は、辻原そのものである。目によって得たつもりになってしまうものよりも、地形を、女を、物語を、言葉をどこまでも触ってゆく快楽と確実性。それらはもちろんワープロでなく、手で書かれるのだ。なぞり、真似るという職人的な、前近代的な技術は、現代のオリジナリティの神話や本質論が席巻する前には疑いなく芸術と文学、それそのものだった。なぞること、真似ることによってすべてが、現代の前衛文学も、また現代思想のポストモダンも学習可能だ。辻原登の前衛性、ポストモダン性とは、プレモダン的な手法で「学習」され、なぞられたものだ。だからそれは前近代性とポストモダン性の両方を示す。同時になぞることによってきっちりと〈時〉の流れを手で計ることになる以上、それこそが〈作品〉だ、という認識になる。ポストモダンの無時間性は手で触れられない以上、〈作品〉を生まない。
盲であろうとすることは、声に重きを置くことにほかならない。辻原登にとって小説、物語とは書物概念によって規定される以前に、まず声である、ということになる。それはどこから生まれたものなのか。
まず考えられるのは、出身地である和歌山県、紀州熊野の文化風土ということになるだろう。紀州は中上健次という音楽的な文体を持つ作家を生み、また有吉佐和子という戦後日本を代表する女流(あえて女流、と呼ぶ)作家をも生んだ。有吉佐和子は構築的な物語性を持ち、特に文体などに音楽的な面は見られないが、その創作の背景となる思想を岡本かの子に負っている。詳述はしないが、歌人である岡本かの子は、源氏物語と同様に大乗仏教をバックグラウンドとする。今で言うエクリチュール・フェミニン的な〈川の流れ〉を象徴とするその〈生命感〉のテーマは、マルグリット・デュラスの〈愛〉にも通じる。辻原登がデビューにおいてデュラスを、そして最新作『冬の旅』で中上健次を思わせながら、アーカイブとしての過去の全テキストをなぞるように〈演奏〉するという音楽的光景は、都市生活での読書という視覚を使った知的訓練からのみ生じたようには思えない。
また辻原登は文学金魚のインタビューなどでも、自分の小説は父の演説のようなものかもしれない、と述べている。本質を見極めることを否定し、すべてを均し並みに触り、なぞろうとする辻原文学だが、父-子関係はきわめて重要なテーマである。テーマというのは、この場合正しくなくて、地形の陥没点であるために、触っているとしょっちゅうそこへ落ち込んでゆく、とでも言った方が正しい。
【辻原登氏についての証言。辻原研究室には鍵がかかっていません。盗難が憂慮されるので、普通は誰もいない研究室はしっかり閉ざされているのですが、辻原さんが帰宅されるまで、辻原研は開けっ放しです。いろいろな人たちが出入りします。生協に入っている紀伊国屋書店の人、大学職員、イベント責任者、学生が本を借りに来たり、卒業生が訪ねて来たり、ただなんとなく来たり。そうなると、かえって盗難の心配はないかもしれない。江戸時代の長屋みたいに。それに辻原研には、すごーく上等の、美味しいコーヒーがあります。そのコーヒーと紙コップやなんかがおいてあるコーナーの棚の側面に、読売新聞の記事をコピーしたものが貼ってあります。「ユダはイエスを裏切っていなかった」ことを示す証拠が見つかった、といった内容だったように思います。春休みなので、ちゃんと確認できませんが。同じコピーがテーブルにもたくさん置いてあって、授業でも使ったのでしょうか。】
辻原登の多様な作品、テーマの変転を見ていれば、ポストモダニストであって何も信じていないようである、というのは、純正なテキスト・クリティック的には間違ってはいない。しかし繰り返すが、肉体感覚的にも、またテキスト的な(それこそ)手触りからも、辻原登にはポストモダニスト特有の時間軸の無視からくる異様な若さはない。老成は拒否しても、過剰に若くはない。破綻のない掟破りすら可能な、常識を備えた円熟した社会性は、いつまでも青二才のポストモダンの前衛作家や学者とは異なる。
辻原登が信じていないのは、信じるに足るだけの根拠がない、ということに尽きると思う。それらは多くモダン=近代社会に措定された価値であり、それに疑義を唱えたのがポストモダニストではあるが、そういった価値をそもそも「理解しない」という立場もあり得る。より正確に言えば、もちろん知的な常識人であれば、それによって社会が動き、人が動くことを理解はする。が、自身がそれに価値を「実感」するかどうかは、また別である。自ら進んで盲となろうとすることは、近代以前に留まろうとすることだ。辻原登がその知性や常識に隠れた深層、古層部分として前近代的であるとすれば、近代人である我々が日常的に価値を置くようなものには心を動かされないとしても、何も畏れていないはずがない。前近代人の辻原登には確かに「神」がいる。盲である辻原登にとってはしかし、触れるもの、なぞれるもの以外は存在しない。辻原登の触れる神とは、神でありながらこの世の、卑俗なものでなくてはならない。
知能が高く、読書好きで進学校に進んだはずの「息子」は、映画監督や作家をめざし、大学に進学せずに家でゴロゴロしている。あの三島由紀夫が自決したときの模様をテレビで見て、(たぶん、それに感応して)家中の鍵を下ろして閉じこもってしまった。客人を連れて戻ってきた父親が閉め出されて激怒し、包丁を持って踏み込み、「殺いたる!」と言った。
突然、ある考えがわきおこった。
父親には息子を殺す権利がある。
(「父、断章」)
単行本『父、断章』の帯にも書かれている二行である。本文では、「私はこれを、いい文章だ、とうっとりとなった。」と続く。ベリー辻原的なアンチクライマックスだが、しかし「それは、いま思い返せば、私がはじめて本気で物を考えた瞬間だった」。
昔の有名なSF映画に、猿が何かに触って、「知恵」を得て人間に進化する、というのがあった。その何かとは、宇宙から飛来した「神的なもの」である。「父、断章」を読んで、そのシーンを思い出した。
「自分を殺す権利があるもの」とは、言うまでもなく「神」である。「息子」は、自身を(おそらくそのときは本気で)殺そうとした父に、「神」を見た。知能が高くとも、読み書きの能力が突出していても、本来的に形而上学的な何ものをも措定できなければ、「物を考える」ことはできない。父はその瞬間、「神」に少なくとも近い者として、息子にそれを与えた。未開人が「畏れ」を感じるように、息子はそれを実感したのだ。それが以降の息子にとって知恵の源泉、すべての根拠となったはずだ。
辻原登の特異性とは、つまるところ彼の神の特異性でもある。その神がどのように特異かというと、神のくせにちっとも特異でない、というところだ。つまりそれは卑俗な触れる存在、息子がなぞれる、また背くこともできる「父」である。
そもそも息子は父親を矮小化するために、あるいは矮小化しつつ小説を書きはじめる。小説の衝動にはそんなふうなものがある。
父の矮小化の裏側で、じつは小説家みずからの矮小化が進行していたのだが、そのことに彼は思い到らなかった。父の年齢をこえて、ようやくそのことに気づく。
(「父、断章」)
「父」は和歌山師範を出て上海で教職につき、帰国して県内で一番若い校長となる。県会議員選挙に社会党から出て当選、四期目半ばに官僚出身の自民党議員に敗れる。辻原登の「辻原」は、この頃の父の最大のライバル、同じ県教職員組合出身の衆議院議員、辻原弘市氏の名から採られた。家出を繰り返す息子はあるとき、こともあろうに東京の辻原弘市氏宅に転がり込み、父の面目をつぶした。
「息子」は、「父」が54歳の若さで亡くなってから今日に至るまで、一種の罪悪感を負っている。とはいえ息子はもちろん、不肖の放蕩息子であったばかりではない。「人間の最大の事業とは、病気の父を看ること」というガンディーの言葉にそのまま従い、病に倒れた父の看護のために郷里に戻り、亡くなるまでの一年を過ごす。しかし「息子」の罪悪感はそれによって拭えるものではない。それは原罪である。すべての「息子」は「父」を裏切る。
「息子」は「父」=神を矮小化するため、矮小化しつつ小説を書きはじめ、ペンネームにおいてまで再び「父」を裏切る。そのことはしかし、「父」をなぞる行為にほかならない。ユダがイエスを「裏切った」後、すぐに後を追って縊れたように。(他の弟子たちも多かれ少なかれイエスを裏切ったが、誰も死にはせず、聖人として教えを広めた。)息子とは宿命的に父のユダである。
殺し、殺される「父」と「息子」とはたやすく入れ替わる。
「どうやって、おれがあんたの父になるんだ?」
「私は、おまえの看護のもとに死ぬんだよ」
「おれの看護?」
そうだ、看護なのだ。私はこれまでずっと人々の看護人だった。せめて死ぬときぐらい、看護してもらいたい。その看護人に、私は、血を分けた息子、私の最も罪深い行いの産物、呪われたハリラールを選んだのだ。神よ、お許しあれ。彼こそ適任者だと私は確信する。
「おれは看病なんてしたことないぜ」
「いいんだ。とにかく、おまえは私を殺せ!」
ガンディーはほとんど絶叫した。ハリラールはぽかんとして突っ立っていた。
(「わが胸のマハトマ」/『家族写真』所収)
看護と父殺しとはここでは同一であり、父殺しによってのみ、「息子」は「父」となる。愛と憎しみ、あの『狩人の夜』の合唱のごとく、あるいは騙し舟のごとく、それは瞬時に入れ替わる。入れ替わることこそが唯一の、執着の証なのだ。
「父-息子」という原初的な、太古の神話を抱える作家である辻原登が、ポストモダニストであるはずがない。作家・辻原登は誰もが知るように中国通であり、意外に、だがごく自然に生まれながらの教育者であり、「自分の小説は父の演説のようなものだ」とも言う。
作家である「息子」は、そのように「父」の足跡をなぞりながら、それを裏切ることを決して止めようとはしない。裏切りとは「書くこと」そのものである。それだけは父が為さなかったこと、息子が父を相対化し、矮小化し、超えてゆく手段である。息子は倦むことなく夢中で、ひたすら勤勉に書き続ける。勤勉であった父をなぞりながら、隙あらば裏切り、いつも別のところへ抜けようとする。家出を繰り返していた少年の頃と、少しも変わりはしない。
この「父」は、そしてもちろん「物語」という制度でもある。すべての語られた物語の総体、アーカイブをなぞりながら、そこをわずかでも超越しようとする物語概念を、最後のところでいつも裏切ろうとする。「父」に対する「息子」、キリストに対するユダと同様に、それは逆説的な物語への畏れと愛の証しでもある。そうしなければ別の声が聞こえてこない、別の物語もまた生まれない。「父」をなぞり、裏切り、殺すことによって「父」になること。それは「物語」をなぞり、裏切ることによって別の「物語」へとずれ、それら「物語」の共同体の一部と化し、すなわち「物語」そのものとなることと同値である。「父」のように自身を殺す権利すらあった「物語」という神は、そのときアーカイブの総体として、母のように自身を包み込むだろう。
【辻原登氏についての証言。辻原さんのところには、よく卒業生が訪ねて来ます。あの子は高校まで手に負えない不良だったのが、文芸創作学科で更正したのだ、といった話はとても嬉しそうになさいます。入学当初は授業を聴かなくて、辻原先生にものすごく怒られて、夏休みを過ぎたら見違えるようになったという卒業生が来ました。ちゃんとした金融機関に勤めています。辻原研名物のコーヒーとサンドイッチをご馳走しました。辻原さんが買ってきてくださるのだ、と説明します。「毎週ですか」と訊くので、そう、と答えます。彼は私に、心底哀れんだような目を向けて「そういうことはね、なかなかできることじゃありませんよ」と言いました。】
「父」を、「物語」の制度を抜ければ、辻原登が「浄土」と呼ぶ地平に辿り着く。そこもまたしかし超越的な場ではなく、母、あるいは女の体のようなこの大地から飛躍することはない。「夢中になること」それそのものによって、視界にひろがる世界が「浄土と化する」。「浄土」とは場ではなく、とりわけ超越的な場などではなく、この俗世で夢中で書き続けること、大地を夢中になってなぞってゆくこと、それそのものなのである。そこで作家・辻原登は「物語」を鎮め、「父」を慰めるのだろう、と思う。(了)
小原眞紀子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■