小原眞紀子さんの辻原登論『辻原登-現代小説の特異点(中)』をアップしましたぁ。文学金魚新人賞の選考委員をお願いしている辻原登さんについての本格的評論中篇です。今回は辻原さんのパスティーシュ作品について論じておられます。短編集『夢からの手紙』所収の『川に沈む夕日』は不肖・石川も大好きな作品です。井原西鶴のほんの短い短篇から発想された作品です。
歴史小説では、作家がどんな史実や記録を選択するかで、勝負が半分決まってしまふところがあります。手当たり次第に史実・記録を作品化できるわけではないのです。作家が自分の資質に合った史実・記録を見つけられなければ、たいていの場合、優れた作品にはなりません。森鷗外は『歴史其儘と歴史離れ』といふエセーを書きましたが、歴史小説では歴史そのままを書くことはできないし、かといって史実・記録から大きく離れてしまふと歴史小説を書く意味が薄れてしまふ。史実・記録の外枠はそのままで、その内側で作家の資質を表現できるやうな題材を見つける必要があるわけです。
ただ辻原さんのパスティーシュの手法はけっこう複雑です。歴史小説を書いても単純なエンターテイメント小説にはなりません。その理由を小原さんは『あらゆる陥穽、カタルシスという名の悪魔の契約、〈本質論〉とも呼ばれる教条主義から鋭敏に身をかわし、だからこそ辻原登は衰えることなく書き続けてゆくことができる。・・・ブッキッシュで知的な、テキスト的作家と呼ばれる「辻原登」の像に、私は長い間、ある異和感を覚えている。・・・テキスト・クリティック的な批評が辻原登を射程に入れにくいのは、そのためではないのか。しかし、それは現代の文学者としては特異なことに思える』と論じておられます。
驚くべきことですが、どうやら辻原さんには、わたしたちが作家に一般的に想定する、表現の核となるような本質的思想といったものがないやうです。多くのポスト・モダニズム系の作家よりも、辻原文学の方が遙かにポスト・モダニズム小説の要素を有しているやうです。
■ 小原眞紀子 辻原登論『辻原登-現代小説の特異点(中)』 ■