以下に、パスティーシュの手法による美しい再話をいくつか挙げる。まず『東京大学で世界文学を学ぶ』第十講義においても、まだ書かれぬ自作のアイディアとして語られた『抱擁』。ヘンリー・ジェームスの『ねじの回転』を下敷きにする。イギリスの屋敷で、子供らの魂が前任者の家庭教師の亡霊に奪われようとするのを目の当たりにした、女家庭教師の有名な物語だ。それを2・26事件が暗い影を落としている日本に、またその時代には存在した侯爵家での出来事に、無理なく移している。きれいな挿絵とゴシックロマンの絵本ふうの装丁で、いっそう魅力を増している。
短編集『夢からの手紙』所収の「川に沈む夕日」は、井原西鶴遺稿集『織留』から採られている。大阪の染料問屋の治兵衛は店を傾かせ、さらに仕入れの金で女郎の小春を身請けしようとしている。女房や親類をねじ伏せ、心中覚悟で惚れぬいた小春のもとで過ごす。と、隣りの部屋から、江戸が大火事だ、という話が聞こえてきた。治兵衛は店に戻り、大急ぎで米を買い占める。米を江戸に流して大儲けした治兵衛は、大金を積んだ舟で小春を迎えに行く。が、そのとき自分の心がすでに小春から離れ、冷めていることに気づき、舟を下りて金だけを小春のもとに送る。
『百合の心・黒髪/その他の短編』所収の「野の寂しさ」は、映画『狩人の夜』を題材とする。この映画は、マルグリット・デュラスが『愛人』で言及したことで知られるようになった。ロバート・ミッチャムが宗教的なカリスマ性を持つ殺人鬼を演じる。両の手の甲に「LOVE」と「HATE」と書いてそれを戦わせる、その狂気じみた様子が印象的だ。母親を殺された子供たちが悪夢のような、それでいて奇妙に楽しげな画面の中を逃げ惑うというカルト映画である。その圧巻は、子供たちをかくまう老婦人と、扉の外にいる殺人鬼がなぜか声を揃えて黒人霊歌「モーゼス」を歌うところだ。夢と悪夢とが、善と悪とが、かくまわれる者と襲う者とが、この歌によって隔てられ、紙一重となり、融合してゆく。辻原登の「野の寂しさ」では、この歌は「かごめかごめ」に置き換わる。
辻原登の手になる、特に印象的なこれら三つの〈再話〉作品には、共通するテーマがある。それはくるっと、何の予告もなく訪れる「反転」、「心変わり」である。ヘンリー・ジェームスの「ねじの回転」というタイトルは、その反転そのものを表している。子供たちは(辻原の作品では少女は)、自分たちと近しい幽霊を、女主人公の前では見えないふりをする。子供らしい無邪気さとずる賢さ。そしてどちらの作品でも幽霊そのものが、女主人公の錯覚、あるいは女主人公への取り憑き、彼女の病である可能性もある。いるのか、いないのか。疑いによって現存し、また一瞬にして霧散するもの。辻原作ではその点を強調し、「ねじの回転」の決定的結末(子供の死)を避けている。
「川に沈む夕日」の治兵衛の小春への惚れ込みもまた、鬱屈する自己からの逃避に他ならなかった、と突然明らかになる。仕事がうまくいってしまえば、女に入れあげる理由などない。自分はただ、うだつの上がらぬ我が身を滅ぼしたかっただけだ、と気づいた瞬間の、胸のすくような見事な心変わり。
【辻原登氏についての証言。この「川に沈む夕日」がとても好きで、大学の図書館で西鶴の短編を確認しました。オリジナルはちょっとした書き物に過ぎず、たいへん見事な再話でした。「あの男の酷薄なところが素晴らしい」と申し上げましたら、辻原さんは「酷薄か」と苦笑されていました。ご自身が酷薄だ、と言われた気がされたのかもしれませんが、いずれにせよ、酷薄という言葉は正確ではありませんでした。心変わりしたにもかかわらず、女に大金をくれてやる男は酷薄ではありません。いい人です。仕事に夢中になると女のことなんか眼中になくなるというのは、確かにちょっと辻原さんに重なるのかもしれません。もちろん、そんなことはよく存じ上げませんが。】
騙し舟が反転するように、すべての前提がひっくり返る。その瞬間は、疑いもなく思い込んでいればいるほど、ぞくっとする目眩の感覚にとらわれる。思い込んでいた「本質」が本質などではないと、明らかになる瞬間だ。高価な美術品が贋作なのだとはっきり、しかし理由もなく、突然気づいてしまうのとも似ている。
もしその瞬間をコマ送りにしたとしたら、いったい何が起きているのか。騙し舟の帆と舳先が入れ替わるのを、じっくり見せつけているかのような映像が『狩人の夜』の殺人者との合唱だ。音楽は打ち寄せる波のように境界を浸食し、白を黒にしてしまう可能性がある。昔の大衆に向けられた映画では、それは〈可能性〉として示唆されるのみだ。が、すべての結末、据わりのいい落としどころは形式の一種に過ぎないとするなら、辻原登の作品は常にそれに抗う。
再話ではないオリジナルの短編「谷間」(『家族写真』所収)では、虚実が入り交じる。「辻原登」と呼ばれる作家の取材活動を題材とした入り組んだメタフィクションは、中編の『黒髪』、『夫婦幽霊』など数々ある。そのように言うと、あたかも辻原登がポストモダンの作家であるように見えるだろう。が、それは微妙に違う。
ポストモダンとは無時間的なるものであり、肉体と時間の有限性をメタ化して無視することによって、無限の増殖を可能とするものだ。この有限性の破棄は、基本的にはキリスト教における神との契約の破棄からもたらされていると考える。
辻原登のテキストは、ポストモダン的なテキストと非常な近似を示す。結果として、ほとんど重なり合う、と言ってもよい。しかし近似は近似であり、それそのものではない。辻原登は、ポストモダンの概念からも「ずれ」ている。そのずれの発生する場所は、〈時間〉だ。辻原登は無時間的なテキストを目指すほど、青臭くもなく未成熟でもない。戦後作家とは言えないが、一世代下の作家たちとも違い、徹底して〈時間〉とともにあろうとする。ポストモダン的な手法であるミメーシス(真似)も、オリジナルからのずれを最初から意識するなら、ずれてゆくために必要な〈時間〉が発生する。すべては現実の時間の中で起きるのだ。それはつまり〈小説そのもの〉であろうとしている、ということだ。「小説らしい結末」にも、ポストモダンという概念にも、最後のところでは折り合わないという戦略、それが「辻原登」ということだ。
「谷間」では、昔起こった男同士の理解しがたい心中(?)事件を取材しながら、辻原と呼ばれる作家の「私」が回していた録音テープに、女の呟き声が入っている。誰の声であるとも覚えがない。ただ中国語で「不見得(プ・チエン・ドゥ)」と言っているように聞こえる。「・・・とはかぎらない」という意味である。いわばこれは、事件へのあらゆる解釈、つまりはあらゆる物語に、「ずれ」を発生させる装置だ。「私」は(現実の辻原登と同じく)かつて中国で仕事をしていたが、そのときの口癖がそれであったとされる。「私」の過去が現在にずれ込んできたとも、妻に疑念をもたらす見知らぬ女の声が、夫婦間にずれ込んできたともとれる。短い作品の「谷間」だが、前後半に分かれているように見え、後半では「私」は妻とともに近所の川の源流に遡る。それはまさに前後のテキストが作る「谷間」を流れる川だ。そしてベリー辻原ライクであることに、その源は曖昧である。ただ、分かれて歩いていた妻が、別の「事件の始まり」らしきものをたまたま目撃してしまう。それは物語の起源ではなく、起源からの「ずれ」の源を見出そうとする道行きである。最後には「私」と妻の二人は、暑い真夏に「刈っても刈ってもはえてくる」夏草を燃やす焚火にあたるはめになる。その夏草が、いくらでも発生する「物語の特性」の謂いだ、とする湯川豊氏の指摘はおそらく正しい。
このような「ずれ」へのこだわりの源は、では何なのだろう。気合いを入れて辻原登の長編作品を次々に読んでも、その答えは見えにくい。それは通常なら考えられないことではないか。数百枚もの長編小説は、普通は「渾身の」、あるいは「畢生の」と形容される。もし「源」があるのなら、それがそこで示されないことは有り得ない。だが辻原登の長編小説では、登場人物の口を借りて、あるいは主人公の運命の帰結として、著者の思想、その拠って来たる源が「告白」されることはない。そこでの意味内容は「本質を見極めようとするなど、あさましい」といった言葉も含め、通り過ぎるだけのものである。「そんなこと、書いたっけ」ということだ。しかし、もし伝えるべきものがないのなら、なぜこんなにも真摯に書かれ得るのか。
その理由があからさまに「告白」されていなくても、構造的に読み取ることはできる。あるいは、あまりにも自明に、あらゆる瞬間にそれが示されているならば、言語的な意味内容で「告白」する必要はもとよりない。「渾身の」、「畢生の」といった言葉は、社会的コードとして働く。それはその作品を突出させ、社会的な意味をまとわりつかせようという意図がある。もちろんマーケティング的には、各出版社によって、各々の作品の全部が「渾身の」であり「畢生の」である、とされ得る。そしてそれは原理としては、その通りであるべきである。だからこそ辻原登の長編作品は「渾身の」、「畢生の」という決まり文句が象徴するカタルシスを、とりわけその結末において回避する、もしくは「ずれ」てゆく。それは最初から最後まで、短い作品と少しも変わらず、どの瞬間においても真摯に書き続けられることと矛盾しない。ならば読み取るべきは、そのように書かれて到達した結末でも、その思想でもなく、〈真摯に書き続けられる〉ということそのものであろう。それを可能にする〈装置と構造〉を、私たちは「辻原登」と呼ぶ。
【辻原登氏についての証言。辻原さんは、詩人の吉岡実と似ている、とときどき思います。吉岡実、と呼びつけにしてしまうのは、亡くなってすでに文学史上の人物になってしまったからですが。辻原さんが「自分は吉岡実の読者だ」と、最初にお会いしたときにおっしゃったせいもあるかもしれません。もちろんお二人は正反対でもあって、辻原さんは聴覚の人ですが、吉岡実は視覚の人でした。ともに大学を出ておられませんが、吉岡さんは行きたくとも行けなかった。辻原さんはこう言ってはなんですが、放蕩息子でいらっしゃいました。吉岡さんは学歴コンプレックスがあるようなそぶりをされましたが、私たちにはちょっと眉唾というか、上の学校に行かれてもあまり変わらなかったろう、と思っています。コンプレックスをねつ造し、それをバネにして若々しい好奇心を保っておられた。それは吉岡実の〈書き続ける〉ための戦略の一つだった。吉岡さんもいつも快活で、作品を書くことしか考えておられなかった。そうじゃなくとも学歴なんて結局、人の生まれながらのあり様に影響を与えるものじゃないですね。大学を出ないで大学教授になられてみたり、東大や立教の大学院でも教鞭をとられてみたりする辻原さんを見ても、そう思います。辻原さんはもしかすると、教育者で名士であられたお父様の跡取りとして、学歴という物語のありきたりの結末から〈ずれ〉られたのかもしれません。そこからすると、たとえ道をはずれたところで結局のところは大差ない、ということです。ずれずにいたって大差ないのですが、若いうちは、ずれないことで大差をつけることができた、と勘違いすることもありますし、大学四年間もわかりきったことをすることはない、というのもわかります。とにかく吉岡さんとよく似ておられるのは、権威的なふるまいを嫌う、というところで、それは倫理的なものであると同時に、本能的な危機感がおありなのだと思います。肩書きでもって「あがり」とか、「大往生した」とかいう感じになることに敏感でいらっしゃいます。まあ、吉岡さんは辻原さんと違って、ナーバスにならなくてはならないほどは俗世の名誉に恵まれなかったですけど。私たち若い者とも対等のおつもりで、とても親切でありつつ、ずっとプレッシャーをかけ続けておられました。】
辻原登の長篇小説は、いわゆるエンタテイメント作品と似た構造を持っているが、読み進むにつれて何かが〈ずれ〉てくる。その何かとはカタルシスのあり方であり、平たく言えば読者サービスのあり様だ。辻原登は自身が規定するように、どんなかたちを取ろうとも純文学作家だ。そのことは純文学とは何か、という定義もしくは教義から導かれるのではなく、定型的なエンタテイメント的なるものからの〈ずれ〉によって示される。
〈ずれ〉るだけで、ただその運動だけで何ごとか、別の地平がもし見えてくるのならば、それをし続ければいいのである。それが定型化したら、ときどきは意図的に〈ずれ〉ないで、表層的に型にはめてやるのも、またよい。たいていの通俗なものは通俗でないふりをするため、通り一遍の定型化した内面性を有している。それへの妥協をよしとしないことは、アマノジャクにも見える展開、決定的な結末への肩すかし、ときとして呆れるほどの〈期待される内面性の排除〉としてはたらく。それはささやかな、目につかないほどの教条主義を篩にかける役割を果たす。
あらゆる陥穽、カタルシスという名の悪魔の契約、〈本質論〉とも呼ばれる教条主義から鋭敏に身をかわし、だからこそ辻原登は衰えることなく書き続けてゆくことができる。書き続けていることが、まさしく健全であることを示す。書き続けているという紛うことなき事実、その行為以外の思想的言説、宣言、決意、それらはすべて教条主義と紙一重ではないか、と言っているようだ。ブッキッシュで知的な、テキスト的作家と呼ばれる「辻原登」の像に、私は長い間、ある異和感を覚えている。今、書き続けていること。その〈行為〉によってしか証明できないものがある。テキスト・クリティック的な批評が辻原登を射程に入れにくいのは、そのためではないのか。しかし、それは現代の文学者としては特異なことに思える。
テキスト・クリティックは潔く、不透明な要素が入る余地の少ない、批評の基本的態度であると思う。しかし、それによって切り捨てられる部分があることも確かだ。それはちょうど、活版印刷によるテキストをもって「文学」が成り立っているという大前提が、実際には近代以降の新しい風潮に過ぎない、ということに似ている。それによって切り捨てられたものを、今はただ忘れてしまっているだけなのだ。平安期の文学は、その書き文字の上手い下手も含めてテキストだったのであり、たとえば「源氏物語絵巻」で紫上が亡くなる場面では、その筆が震えている、といったことも含めて表現であった。
辻原文学に、もし現代の作品至上主義、夾雑物を廃したテキスト・クリティックでは掬い取れない何かがあるとすれば、そしてそれが現代の思想や文学にとっての中心的〈本質〉であるという捉え方にそぐわず、しかし何らかのエッセンスではあるとしたら、それは現代的ではない〈古層〉に属するものだろう。現前するテキスト以外のもの、「声」であり、共同体としての文学的記憶の総体的なアーカイブである。そういったものを正確に掬い取れない、射程に入れられない手法をもって〈現代批評〉の戦略としたのは、辻原登ではなく、現代文学の方だ。活版テキストの出現の際に、筆の「手」を過去のものとしてしまったのと同様に。
私たちの目に、辻原登が何も信じていないように見えるというのは、私たちが便とする現代的言説のコードを信じていない、ということに過ぎない。それらによって言語化されない、網の目からこぼれ落ちるような文学の〈古層〉を辻原は実感し、古代の人々のごとく畏れ、それをこそ表現しようとするのではないか。突出し、成功したいくつかの「傑作」でそれを完全に実現しようとすることは語義矛盾そのものだ。ならばそれへと接近し、それになろうとする〈行為〉そのものをもって試みるしかない。
そのあり様が一つの作品に集約されることはないにせよ、言葉が意味を孕むかぎり、象徴的な作品は存在し得る。私たち現代の批評子もまた辻原同様に倦むことなく、そういった作品を探り当てては、ここでは必ずしも十全に機能しないテキスト・クリティックを援用しつつ、読み解く行為を続ける。(続く)
小原眞紀子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■