鶴山裕司さんの新連載文芸批評『アトモスフィア文学論』『No.001 二十一世紀文学の基層-辻原登論(上)』をアップしましたぁ。文学金魚新人賞の選考委員をお願いしている辻原登さんについての本格的評論です。ネットでは400字詰め原稿用紙15枚程度が読みやすいようなので、今日から3日連続でアップします。なお鶴山さんの『アトモスフィア文学論』は、一九八〇年代から現在までを代表する純文学系小説作家を対象にした作家論です。合計6、7人ほどの作家論を不定期で連載します。
ところで今日(もう昨日ですか)は東日本大震災から3年目でした。被災したわけではないですが、不肖・石川もあの日のことはよく覚えています。皆さんと同じくもの凄いショックを受けました。石川は編集者などといふ浮世離れした仕事をしていますが、ほとんど自己嫌悪に近い無力さを痛感しました。サルトルの古典的テーゼに〝飢えた子の前で文学は可能か?〟というのがありますが、不可能に決まってると心から思いました。しかし自分にできることは限られている。無駄かもしれないけど、自分にやれることを一生懸命思いきってやってみようと思いました。ちょうど文学金魚の編集管理人を依頼されていた頃のことです。
生死の境にいる人間の前では文学やスポーツ、芸能などは無力です。民族や国によって人間の優秀さが大きく変わることはないと思いますが、独裁国家では優れた芸術家が現れないこともそれを証明していると思います。芸術は自由で豊かで安定した世界の上澄みのようなものです。しかしそれこそが人間が人間である証明だとも思います。震災は天災ですが、それがわたしたちにもたらした本質的影響と変化は、文学でしか表現できないと石川は信じています。逆接的ですが、無駄かもしれない文学の力を信じるきっかけになったのが震災でした。
鶴山さんには辻原さんの全著作を読んでもらい、その上で評論を書いていただきました。約一ヶ月近くかかってしまったようです。石川は全部読みましたが、現在文芸誌に掲載されている文芸批評とは質の違う優れた評論に仕上がったと思います。この評論がどれだけ読まれるのかはわかりません。しかし石川は、このような真摯な批評を積み上げることで文学の世界を変えていけると信じているのでありますぅ。
■ 鶴山裕司 新連載文芸批評 『アトモスフィア文学論』『No.001 二十一世紀文学の基層-辻原登論(上)』 ■