池田浩さんの文芸誌時評『No.006 yom yom vol.31 2014年 冬号』をアップしましたぁ。生者と死者を繋ぐ使者を主人公にした辻村深月さんの「ツナグ」を元に、文学における生と死について考察しておられます。
池田さんは、『吉本隆明の言葉に、「生死の境を見ない文学は、おそらくは無駄だ」というのがある。・・・「生死の境を見る」とは、死を不可知なものとして、生の側からぎりぎりまで迫り、その境を見つめる、というものだろう。・・・だから死者と邂逅する物語とは、「生死の境を見る」ことなく、そこを飛び越えている、と言うのが正しいのだ』と書いておられます。
人間にとって死は重大なテーマです。しかし健康な間はそれをあまり意識することはない。親や恋人の死に直面すれば強く死を意識することになりますが、現実にはなんらかの形でそれを乗り越えていく。しかしだからこそ小説のようなフィクションでは、生ぬるい死を描いてはいけないと思ひます。「生死の境を見る」「そこを飛び越えている」作品であるなら、死を全否定しても、生者が死を選ぶことになっても良い。文学ならではの極端(エクストリーム)な作品が読みたいわけです。
なんやかんや言って、そういった極端な試み、極端な作品が生まれなければ、文学の世界は勢いを取り戻せないだらうなぁ。中途半端なハートウオーミングな作品なら、文学以外のジャンルで十分に楽しめるわけですから。
■ 池田浩 文芸誌時評『No.006 yom yom vol.31 2014年 冬号』 ■