谷輪洋一さんの文芸誌時評 『No.015 すばる 2013年12月号』をアップしましたぁ。劇団五反田団主宰で劇作家、演出家、俳優、小説家として活躍する前田司郎さんと、映画監督で脚本家の沖田修一さんの対談を取り上げておられます。お二人は同級生だそうです。マルチジャンルで活躍されるお二人の対談ということで、面白い内容になっているようです。演劇や映画というマスメディアに近いジャンルに携わっておられるせいか、お二人のジャンルに対する考え方は文学者よりもラディカルなようです。
それを谷輪さんは『ある道に邁進していた青年がふと我に返るか、あるいはある覚醒を経験して、ジャンルの「越境」を試みる、といった光景ではもはやないのだ。最初に表現を志した瞬間に、多ジャンルは予定されている。ジャンルそのものが「言葉」であり、どのカテゴリの集合を選び取るかが、最初の自己規定となる』と要約されています。まあそうなるでしょうね。自由詩や俳句・短歌は論外として(ただし俳句や短歌の大結社主宰者は除く)、小説界でも大衆作家を目指さない限りご飯は食べていけません。純文学誌の新人賞で食べられるはずもなく、芥川賞を受賞しても作家を仕事にするのは難しいわけですから。
文学を仕事にしたいと考える作家は多いでしょうが、そう簡単ではありません。本が絶対的に売れない現在では、ますますそれは厳しくなっています。その打開方法は二つくらいしかないだろうなぁ。一つはあるジャンルを究めること。どのジャンルでもそれを代表するだけの力と実績があれば、数人くらいは食べていけるものです。もう一つは多ジャンルで仕事をすることでしょうね。純文学しか書かない、書けないというのではなく、大衆小説的な作品も書けるような力を蓄えることです。
どちらの道も頭で考えるほど簡単ではないですが、個人の力ではいかんともしがたい状況の厳しさを正視すれば、多ジャンル指向の作家が今後ますます増えていくのではないかと思います。ま、難しいことを考えず、一度素直に自分は純文学作家なんだ、現代詩、現代俳句・短歌作家なんだという精神的バリアを取り払ってみるのも有効だと思います。資質が純文学系にあるのなら必ずそこに戻ってきますが、バリアを壊せばいろいろなことが見えてくるのも確かだと思いますですぅ。
■ 谷輪洋一 文芸誌時評 『No.015 すばる 2013年12月号』 ■