草野心平の特集号である。といっても、3篇しか掲載されていない。ほかには、関係するエッセイが数本。
このところは東北関連の詩人を取り上げるなど、やはり震災関連の特集を組んでいる。けれども投稿作品を主体とする文芸誌で、特集記事は他の号との区別をつけるためという意味しかないのかもしれない。
詩の世界は、書き手と読者の層が一致している、と言われるそうだ。書いている人しか読まない。ひどい場合、書いていても読まない。自分にしか関心がないんだから、自分の作品のレベルを相対的に上げたいとも思わない。
かく言うわたしも、イラストと文字 (詩とは言わない) を描いている縁でこの雑誌を時評している次第ですが。それでも草野心平の特集は、やっぱり食い足りない。3篇では小特集としても少ない。
「詩とファンタジー」誌は判型が大きく、薄い雑誌だ。ページ数が足りないなら、特集エッセイを削ってはどうだったか。誰のものであっても、その作品を最大限に大切にするという編集方針なら、まず草野心平の詩作品の魅力をできるかぎり伝えてほしかった。
どんな詩人でも、他人のエッセイで褒められるより、それが一番嬉しいだろう。もっとも読者の詩人たちも自身の作品を発表することしか興味がなく、自分のものがどう読まれるかにすら、あまり関心がないのかもしれないが。
そういった投稿子にとって、詩は一篇ずつ存在するものだろうが、詩集のように何篇か集まって創り出される世界を楽しむ、という詩の読み方もある。普通はそういったことを教えるのが先達というもので、雑誌の特集というものじゃないのかしらん。
詩集は、たまたま書き溜められた作品をいっぺんに読むのに便利なように束ねただけのものじゃないと思う。特集が、その人に関する情報をランダムに集めただけのものでないのと同じで、伝えたい中心的な何かがあるはずだ。
必ず見開き一段組、カラーイラストと併せるという見せ方には、独自のポリシーがあるのだと思う。だとすればイラストにも、その描き方にはある種のメッセージが含まれているはずだ。それは各々の詩のメッセージと、本来なら深いところで響き合い、それが深ければ深いほど、読者を別の世界へと力強く誘ってくれる。
詩とイラストとの出会いは、実際には相当に幸運に恵まれなくてはならない。それがもし狙い通りに成功するなら、確かに3篇でも十分かもしれない。残念ながら今回の特集では、同じ画家が描いたにもかかわらず、3枚のイラストはただ詩の情景を説明しているだけで、そのタッチや画風に一貫性もない。草野心平の詩作品は、絵による説明を必要とするほど未完成ではないと思う。それをさらに豊かに見せようとするなら、絵の方にもそれなりのものが要求されるのではないか。
りょん
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■