絵本について、谷川俊太郎さんにインタビュー。『かないくん』という谷川さんの新刊絵本が、思潮社から出たのかと思ってしまった。自社の本以外、取り上げないってことはないのか。。。インタビューの中で谷川さんも「思潮社が絵本シリーズを出したらいい」と言っていて、りょんもそう思ったんだお。すんごーいグッドアイディアじゃん、そーだよ、その路線だよとかって。思潮社がいかにあれだって、既成の絵本出版よりは面白いものができるんでね? …思い違いだったが。
うーん、やっぱ戦後詩とかってものと切れるのは自己否定になるか。DQNな誌面だろうと固定読者が付いてるなら、オシャレな新規開拓の犠牲にすることはできないもんね。
その『かないくん』は、「死」についての絵本なのだという。あまり親しくなかった同級生の「かないくん」が亡くなった、そのかつての衝撃の鮮明な記憶の再現。なんか、わっかる。現代詩手帖めくって、ほとんど初めてなくらい、わっかる。子供と大人では、死の意味って違う。大人にとっては、死はそれまでのことの喪失。だけど子供にとっては、死はそれそのもの。新しいものの出現でもある。だから死者が親しい人であってもなくても、それに差異はない。
死がなにものであるか、あんまり救いのない感じで、まんま示唆する絵本は、だから子供の記憶に鮮明に残ると思う。『スガンさんのヤギ』とか、『100万回生きたねこ』とか。そもそも子供って、死に近い存在だ。生き始めてから間がなくて、それまでいわば死んでいて、今死んでも失われるものも少ない。子供を失うのは親であって、当の子供じゃないから。
で、今月号では詩人さんたちが「童話」を書いて載せている。それがちょっと、りょんさんにはぴんときません。「絵本」と「童話」って、似たようなもんなんだろうか。って言うか、同じ範疇に入れられるのか、やっぱ。それってフツーの出版社。フツーの書店、フツーのお母さんとかの発想じゃなくね?
現代詩手帖の特集は、「子供」をマーケットに取り込もうということらしい。それは悪いことじゃない。って言うか、そうするべき。だけど、「未来の詩人」としてそうするそうな。それは未来の現代詩手帖の購買層ということになるが、未来の戦後詩ってのは語義矛盾なので、未来の普遍的な意味での詩人、ということになりますわね。そんなら未来まで待たなくたって、子供は子供のまんまでよくねか? 詩人の方が、いい意味でも悪い意味でも、いつまでも子供なんだし。え、子供は手帖買わないって? だったら、現代詩手帖の方が変われよ。成長すんだよ。
谷川俊太郎さんの絵本出版に合わせたインタビューを巻頭に持ってきて、それを「子供向けじゃない」とまで結論づけていて、つまり「絵本ってのは、詩人が詩と同じに本気で取り組むもの」と理解したかと思いきや、「子供」のマーケットへ中途半端に接近するのは、よくわかんない。接近するのがよくないんじゃなくて、スタンスがはっきりしないのが、もやもやする。
ま、童話を書け、と言われて、さーすが詩人、と言われるようなものが書けるのは、詩人としても相当の自信がないと無理なんだろうな。少なくとも絵と言葉のコラボである「絵本」という一大テーマと並べて、なるほどと思わせる「童話」は、「童」という存在に対する新しい、かつ超思い切った認識、ふかーい確信でも持ってない限りは難しい、と思う。
りょん
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■