なにしろ、りょんさんの現代詩手帖レビューは好評だって、石川わゆうけど、なんか信じがたいって。励ましのお便りもツケ届けもないし、ベツに、って感じ。ほんだけど、ネットちうのは、そーゆーもんだって。文学金魚のサイト見る人は、たいてい黙ってっから、アクセス解析しないと動向とかわからんそうな。
だから書け書け言われんだけど、ほんで現代詩手帖はここんとこ隔月で、りょんさん好みつうか、文学金魚っぽい特集になってるから、書きやすいんでねえか、とか勝手に決められてんだけど。
ほんじゃ、まあ見てみっか、ってのはいいんだけど、さっぱしわかんなかった。「谷川俊太郎の〈こころ〉を解く」って特集。谷川俊太郎さんの書いたもんが、どーやったらこんなにわかりにくいことになるのか。「解く」ってゆうか、現代詩手帖カルチャーの中に「溶け」て、輪郭がなくなっちゃったってゆうか。ま、悪いこと言わないから、モトの本に直接あたってみた方がいいよって。あたいたちの知らない、別の言語に翻訳されたもん、読めるわきゃねーし。
つか、これはその谷川俊太郎さんの〈こころ〉を解釈したみたいな解説本が思潮社から出た、その特集ということらしい。谷川俊太郎の本の特集ぢゃなくて、その解説本の特集。で、その解説本は、本体よりよっぽど難解で読みにくいから、特集号もほとんどイミわからんと、それって何の冗談、マイケル・ジョーダン。
てゆうか、石川わ、そもそも今回の現代詩手帖みたわけ? 読んだかとは聞かないよ、あえて。読めたらすごいって代物だからさ。それをこの、りょんさんに読ませようっての、フテえやつじゃ。じょーとーじゃねーか。うん、読んでくれとは言わないわな、確かに、いつも。みてくれ、言いよんねん。あるいは、みてみて。もしくは、みてみてみて。
まあ、この特集自体が、〈谷川俊太郎しりとり〉とか、〈逆引き(孫引き?)谷川俊太郎〉みたくなってんだから、「みてみてみて」=「見るという行為を試しにやってみて」ぐらいでもいいんだけど。それにしてもさ、詩の世界ってのは、他にコマはないわけ?こんなに何度もしりとりしなくてもさ。
ついでに文句言うと、石川わ現代詩手帖の編集部に、ケッコー親身にアドバイスしてっけど、それってどうよ?もちろん利敵行為とかクサいことぢゃなくて、文学金魚にとって現代詩手帖は敵とかなわけないし、だから手帖も、もしかしてそのアドバイスに素直に従っちゃってんのかもしれなくて、ほんだから一見りょんさん好みの特集とかになってるとしたら、かえってよくなくね?
親切が人を追いつめるってことだって、ある。現代詩手帖の編集部みたいなとこ、特殊すぎてキャリアは積めないし、だから辞めても辞めなくても生活の保障がなくて不安だと思う。現代詩手帖なんて誌名で企画練るのはさぞかし大変だけど、そもそも日常的にちゃんと物を考えられる状態なのかってことまで、この特集見たら心配になんないか。どうせの親切なら、さ。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■