池田浩さんの文芸誌時評 『 No.010 小説 野性時代 第 117 号 ( 2013 年 08 月号) 』 をアップしましたぁ。海堂尊さんの 『全自動診断装置・トロイカ君』 を取り上げて、医療小説について論じておられます。短いですが的確な医療小説論だと思います。『文学と響き合う医療の側面とは、やはり生死であり、死をもたらす行為と医療行為が紙一重であるところから、サスペンスやミステリーに繋がってゆく。・・・一方で、快復を前提に、生へと向かう方向を考えると、生物としての人間の有り様と、社会化された人の有り様とのずれが多くドラマを生む。一般によく言う医療小説とは、この後者を指す場合が多い』 わけです。
しかし医療小説は必ずしもヒューマニズムにはつながらない。それを池田さんは 『患者に対して傲慢な医師は存在するが、本来的に善なる意志を持っていることに変わりはない。その傲慢さは・・・単なる 「欠落」 なのだ。本来的に善なる意志を持つものでしかない医師が態度をあらためる瞬間とは、・・・医科学と経営の対象である患者が離れてゆくと感じたときなのだ』 と論じておられます。医療小説で主人公の医師が動揺し激しい自己嫌悪に陥るのは、患者との心温まる交流によってでも、傲慢さを指摘された時でもなく、医療に失敗したときでしょうね。
医療小説に限らず業界小説には、その業界特有の掟があります。もちろん業界独自のシステムを描くことが前提になりますが、最も重要なのは、池田さんが指摘されているようなシステムに縛られた人間の心性を描き出すことです。この心性には必ずそれを生じさせる裏付けがある。逆に言えば、そのようながんじがらめの心性が描写されていない業界小説は魅力がないといふことです。人間は無限の自由を持って生まれてきますが、この自由は自由を狭め、ある事柄を選択することに使われます。だから自らの意志である職業を選んだ人間は、精神と生命の危機にさらされようとそこから逃げなくなるわけです。
■ 池田浩 文芸誌時評 『 No.006 小説現代 2013 年 10 月号 』 ■