No.037 『安井浩司 「俳句と書」 展』 開催記念コンテンツ、山本俊則さんの 『安井浩司墨書句漫読』 『 No.020 『花野わが棒ひと振りの鬼割らる』 』 をアップしましたぁ。今回で山本さんの安井浩司論は最終回です。不肖・石川も、山本さんの能力の限界まで書いていただいたと思います。ある主題や問題を巡る思考をぐずぐずと先延ばしせずに可能な限り書き切っていただく。それが金魚屋スタイルであります (爆)。山本さん、お疲れ様でした。
不肖・石川、詩誌の編集者ではないせひか、ど~しても詩誌の掲載原稿に批判的になってしまひます。端的に言えばレベルが低い。詩誌はせいぜい 1、2 ヶ月前に原稿依頼して、ほぼノーチェックで原稿を掲載しているんぢゃないかと思います。掲載されている原稿は 90 パーセント以上が状況論ですね。「○○だと思われる」、「○○かもしれない」 といふその場限りの印象論で満ちあふれています。要は腰を据えてじっくり考えることを放棄しているわけです。またそれがジャーナリズムだと勘違いしている詩人が恐ろしく多い。しかし枯れ木も山の賑わいにしかなりませんよ。
言い添えておけば山に枯れ木は必要です。業界全体が活性化して見えるからです。しかしよーく考えてみてください。詩の業界に状況論的ジャーナリズムが必要ですか?。俳壇では常に芭蕉、蕪村、子規らの仕事が思考のベースになり、これからも確実に読まれるだろう詩人は朔太郎、西脇、中也、賢治くらいです。歴史を遡れば本当に優れた詩人など百年に数人しか出ていない。枯れ木だと承知で業界を活性化させる努力も詩人には必要ですが、もっと腰を据えた仕事をしなければ、死屍累々と言っていい詩の世界で真に優れた仕事は残せません。現世で詩人と呼ばれて楽しく暮らしたいだけならそれでかまいませんが。
メディアにはそれぞれに特徴や役割分担があります。文学金魚が果たしたい役割は、先が見通しにくい時代だからこそ、文学を原理的に考える思考者と創作者を世に輩出することです。それによって 21 世紀文学の基礎を確立したいと思います。で、文学金魚掲載の安井浩司論は次の岡野隆さんの 5 回分コンテンツでひとまず終了です。時間と労力がかかったコンテンツですのでご期待ください。
■ No.037 『安井浩司 「俳句と書」 展』 開催記念コンテンツ 山本俊則 『安井浩司墨書句漫読』 『 No.020 『花野わが棒ひと振りの鬼割らる』 』 ■