りょんさんの詩誌時評 『 No.008 現代詩手帖 2013 年 09 月号』 をアップしましたぁ。そんで不肖・石川は、先日う~と呻きながら、りょんさんの仕事場を訪問したのでした。
り 『石川、久しぶりぢゃん。あ、原稿のことなら聴く耳持たないかんね』
石 『げっ、いきなりそんな高飛車なことほ』
り 『お前様が、好きに書いいいって言ったんだよ』
石 『そりゃそふですけど、詩の世界って、俳壇歌壇にくらべてもうんと狭いから、そこはかとない大人の事情がありましてぇ』
り 『そこんところはお前様がなんとかしておくれ』
石 『そのお前様ってのは、なんっすか?』
り 『今、昔話のイラスト描いてて、マイブームなんだよ』
石 『ほんぢゃ、原稿の方も、昔話的な癒し系でひとつ』
り 『そんなの関係ねぇ』
石 『それもマイブームなんっすか?』
り 『いや、ブームは去った。お前様、そんなこと、日本中の人が知っておるぞよ』
む~相変わらずりょんさんは恐ひ。それにどーも石川は女性にいぢめられる体質のやうです。りょんさんに押し切られて、そのままコンテンツをアップすることに相成りました。
でもりょんさんの原稿を読んで石川は、はひはひ図書館に走っていって、現代詩手帖の当該号を熟読したのです。特集は 『詩型の越境-新しい時代の詩のために』 ですが、隅々まで現代詩手帖さんオリジナルの特集ですっ!。文学金魚は総合文学パラダイムの構築を目指すメディアですが、文学ジャンルの捉え方は現代詩手帖さんと異なります。
金魚屋首脳陣やアドバイザーは、総合文学的視点はグローバル世界で日本文学の特性を認識把握するために必須だという共通認識を持っています。その認識に沿って文学金魚を運営しています。しかし総合文学志向と文学ジャンル越境は問題の質が違います。総合文学的視点は日本文学の原理認識のために必要ですが、日本文学の原理を認識すればするほど、各文学ジャンルが生じた理由が明らかになるはずです。それを把握すれば確かに越境は容易になるかもしれません。ただその実践の可否は今も昔も文学者個々の能力次第です。
各ジャンルのプロに文学ジャンルは越境できるかと聞いても、なかなか難しいだろうねという答えしか戻ってこないのはわかりきっています。ただなぜそうなのかを突き詰めて考えた文学者はいません。ほとんどの文学者が自分が携わる文学をアプリオリな形式として捉え、それを使いこなすので手一杯だからです。
文学金魚の総合文学志向はまず理論的課題としてあります。またもし理論基盤を持つ総合文学作家が生まれても、作品は詩のような小説や、短歌のような俳句にはならないと考えます。その逆に、理論的成果は各ジャンルの掟を踏まえた原理的変化として表現されるでしょうね。つまりジャンルは消滅しない。新たな文学のヴィジョンは、各ジャンルの作品成果が統合される形で明らかになるはずです。文学者なら誰でもできる仕事ではありませんが、金魚屋はそれを実現可能な著者たちを確保しつつあると感じています。
ですから短歌、俳句、自由詩の詩型を融合させ、それらジャンルの垣根を越境させようという試みは現代詩手帖さん独自の特集企画です。りょんさん、石川に余計な釈明をさせなひようにっ。手帖さんが提唱されるようなジャンル融合・越境タイプの作家の出現、とても楽しみです。仲良くしましょうねっ!。
■ りょん 詩誌時評 『 No.008 現代詩手帖 2013 年 09 月号』 ■