No.025 『安井浩司 「俳句と書」 展』 開催記念コンテンツ、田沼泰彦さんの 『 No.008 『声前一句』 の眼』 をアップしましたぁ。前衛俳句の理論・実践面での完成者である高柳重信さんの師・富澤赤黄男さんを取り上げておられます。刊行された赤黄男さんの句集はたった四冊ですが、いまだに多くの読者を捉え、現代俳句文学の重要なインスピレーションの源泉となっている俳人であります。
不肖・石川、『安井浩司 「俳句と書」 展』 を開催するにあたって氏の既刊本を一通り読ませていただきました。作品集以外の評論集は 『もどき招魂』 『声前一句』 『海辺のアポリア』 の三冊です。文学金魚掲載の評論でどなたかが 〝安井さんは遅れて来た前衛俳句作家だ〟 ―― つまりちょっと愚図かなと書いておられましたが、確かにそんなところがなきにしもあらずかも (爆)。安井さんの俳句は初期から一貫して奇妙なのですが、派手さはない。なぜそうなのかという理由を読者に早目に浸透させる効用を持つ評論活動も、決して活発ではなかったと思います。ハッと気がつくと、ああ安井浩司、確かに大物だなといふ形で目の前に立っていたやうな (笑)。
特に 『声前一句』 の文章は曖昧ですね。安井さんが後記で 『要するに公式の体を成さないその折々の独語、独白文という私的様式に終始していた』 と書いた通りです。もちろん重要な評論集なのですが、『声前一句』 は私的なメモといった雰囲気です。最新刊の 『海辺のアポリア』 は論理明晰ですが、その時点ではもう 『声前一句』 で取り上げた多くの作家たちについて、ことさらに論じる気持ちがなくなっていたのかもしれません。
詩の世界では創作者が批評家を兼ねるのが普通ですが (つーか、儲からないので文芸 [小説] 批評家のような職業が成り立ちにくい)、創作に専念するか批評も書くかは作家の自由です。ただ安井さんのように、最小限度であろうと自己の考えを評論にまとめるのは一定の効果があると思います。作家は自分の作品を一歩でも前に進めたい。そのために同時代や過去作品を自分なりに総括するのも有効な方法です。
〝なんか腑に落ちないよね〟 という批判意識は創作を始める際の大事なきっかけです。しかし評論を書くならそれだけでは不十分です。自分なりの 〝こうだ!〟 という肯定に達するまで思考を推し進めなければならない。文学金魚はそういった真摯な作家を応援しますですぅ。
■ No.025 『安井浩司 「俳句と書」 展』 開催記念コンテンツ 田沼泰彦 『 No.008 『声前一句』 の眼』 ■