長岡しおりさんの文芸誌時評 『No.008 小説 野性時代 第 115 号 (2013年06月号) 』 をアップしましたぁ。『40 歳からの背徳の官能小説』 といふ特集を取り上げておられます。俳句・短歌の世界にはご高齢になってから創作を始められる方が多いですが、小説界でも高齢化の波が押し寄せて来てるのかなぁ。文芸誌が読者を意識した特集を組むときは、若い世代向けには 『小説家になろう』 的特集、比較的高齢者ターゲット向けには 『大人の小説を読もう』 的な特集になるやうですね (笑)。
長岡さんは 『結局は 「背徳の官能」 とは性的な 「徳」 を期待し、される存在にしか、およそ不可能なのである』 と実も蓋もないことを書いておられますが、まあその通りでございますよ。社会的にであれ個人的にであれ、禁忌として存在する 『徳』 が大前提として存在しなければ、『背徳』 は起こり得ない。つまり背徳は本質的には年齢の問題ぢゃない。『40歳からの背徳の官能小説』 といふことになれば、そこに家庭とか子供とか会社とかの徳=倫理を強要する要素が加わるといふことですね。
小説って、こういうところが実に安易な芸術だと思うんだなぁ。不肖・石川も文学金魚の姿勢としても、純文学と大衆文学に区別は設けない主義なのですが、プロの小説家であることが、通り一遍のテーマに沿って数十枚の小説を書く力があると考えている作家が多いように思います。ちょい立ち止まって少し考えれば、紋切り型の切り口を変えられると思うんですけどね。
まあ書き始める前はいくらでも書けると考えていて、いざ書くと量を書けない作家がほとんどなので、締め切り通りに書いてくれる作家さんはプロなんでしょうが、紋切り型の官能小説は物語だからなんとなく最後まで読めるのであって、作家の実力はたいして問われないと思いますですぅ。
■ 長岡しおり 文芸誌時評 『No.008 小説 野性時代 第115号(2013年06月号)』 ■