池田浩さんの文芸誌時評 『No.009 S-Fマガジン 2013年06月号』 をアップしましたぁ。マンガ家・イラストレーターの寺田克也さんの特集を取り上げておられます。考えてみれば当たり前のように本に絵が入っていて、作品とは別に絵の人気も出てしまう文学ジャンルは SF と童話だけですね。純文学も大衆文学も、どちらかというと文字によって喚起される読者それぞれのイメージを、絵で規定されるのを嫌う傾向があるかもしれません。あ、新聞連載小説は別かな。でも新聞連載の挿絵がそのまま本に掲載されることは少ないですね。
池田さんは『SF とは、もっとラディカルで、もっと絶望すべきジャンルだ。明治から大正期、日本画がモダンにさらされたときの息吹を、もしイラストが SF に添えようとしているのなら、それは日本における SF というものの定義にとっても本質的なことだと思う』と書いておられます。確かにそうかもしれませんねぇ。もちろん SF の基本は未来小説だと思いますが、各国独自の SF の定義があっていいと思います。日本の SF 小説がいまひとつお尻が定まらない印象があるのは、日本文学における SF の定義が不十分だからかもしれません。
欧米のように、肯定でも否定形でも神を中心にすると世界構造は比較的簡単になるわけです。絶対不可知だけど全能の神は、とても SF 的物語要素と相性がいい。悪にでもヒーローにでも、謎解きの中心にもなり得るわけです。でも東アジアはグズグズですね。でろ~んとした曖昧な思想空間が拡がっている(笑)。それを逆手に取れば面白い作品ができるんぢゃないかなぁ。ジャパニーズホラーがハリウッドで受けたのは、欧米人には理由がわからない至るところから、ゴーストが現れるからぢゃないかしらん (笑)。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.009 S-Fマガジン 2013年06月号』 ■