大篠夏彦さんの文芸誌時評 『No.009 文學界 2012年09月号号』 をアップしましたぁ。不肖・石川、毎号 『文学界』 をちゃんと読んでいるわけではないですが、すんごい作品が掲載されてるんですねぇ。中原昌也さんの、『大概の文芸誌はどうだろうか? 目次に名を連ねるさえない面々を一瞬見ただけで、誰もが怒り心頭。即刻窓の外へ投げ捨ててしまいたくなるというのが多くの読者たちの本音ではないか』 といふ文章にはでんぐり返りしそうになるくらいびっくらしました。
でも勇気百倍にもなったわけです。権威ある 『文学界』 さんがこういった作品を掲載しているのですから、芥川賞も直木賞も持ってないメディアは、もっと思い切った作品を掲載してもいいですよねぇ。金魚屋でも、こりはだいじょうぶかなぁといふ作品を掲載したりしていますが、『絶対イケるっ!』 といふ確信を持てました。三浦俊彦さん、あなたのことですよっ! (爆)。
そんで純文学って不思議なジャンルですよねぇ。食べ物の好き嫌いがあるように、文学でも好き嫌いがある。でも好きなものだけ食べてちゃ健康に悪いので、嫌いなものでも食べてみたりするわけです。それがまあ純文学 (笑)。面白くなくても、苦痛でも、とにかく読んでみようと思う。でもホントに身にならないと、読者は離れていく。我慢して読んでもらえるのは、多くて4、5 作までかな。
純文学作家は不易流行で、作品の売れ行きには関係ないと思われがちですが、そんなことはありません。芥川賞受賞前後を頂点として、びっくりするくらい本を量産するのが最近の傾向です。で、ブームが過ぎると文壇からフェイドアウトしていきます。十年後に一般読書界を含む第一線で活躍しているのは2、3人かな。嘘だと思うなら追跡調査してごらんなさいませ。
確かに芥川賞作家の生き残り率はだいぶ前から低いです。でも最近は特にメディアで話題作りして、売れる時に売っておこうという姿勢が目立ちます。一時期であれ売れないよりは売れた方がいいですが、作家ならそれよりも、ずっと書き続けられて本が出続ける方が幸せのはず。現代は純文学作家でも消費されないよう自分で考え、自分で行動しなければならない時代のようです。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評 『No.009 文學界 2012年09月号号』 をアップしました■