岡野隆さんの詩誌時評 『No.007 月刊俳句界 2012年07月号』 をアップしましたぁ。もう昨日になってしまいましたが、3 月 11 日は東日本大震災から丸 2 年でした。あの日の、何か時が止まってしまったかのような衝撃は今も生々しいです。何かしなければならない、何かしたいのに、自分がまったく無力に感じられる空白に陥ったような感じでした。あの時の感覚はちょっと言葉では表現しずらいです。
大震災 2 年に合わせたわけではないですが、岡野さんが 『月刊俳句界』 の特集『〝震災〟想望俳句の是非』 を論じておられたので、アップしました。『月刊俳句界』 編集部の定義ですが、『震災想望俳句』 は 『震災未体験者が、テレビやインターネットの映像、新聞や雑誌の写真などを見て、震災を詠んだ句のこと』 です。
『震災想望俳句』 に対しては賛否両論があります。争点は書き手の倫理だと思います。極端なことを言えば、倫理的に信頼できる作家の作品は受け入れやすですが、そうでない作家の場合、作品がどんなに巧みでも異和感が残る。文学作品から決して取り除けない、自己顕示欲を含む作家のエゴが鼻につくわけです。戦争と違って誰も恨むことのできない天災を表現する場合、作家の思想が 〝無私〟 の境地にないと受け入れがたいと思います。
岡野さんは 『震災の悲惨においては仮想敵など存在しないというのが、それを文学で表現するための前提的理解なのではないかと思う。ただ一方で、憎むべき仮想敵が存在しないという事態が、震災文学にはっきりとした倫理的コードを課している』 と書いておられます。良くも悪くも文学者は同時代を表現しなければなりません。震災は作家の全人格を試す出来事であると思います。
■ 岡野隆 詩誌時評 『No.007 月刊俳句界 2012年07月号』 ■