大篠夏彦さんの文芸誌時評 『No.008 文學界 2012年08月号』 をアップしましたぁ。ぬ~、大篠さん、あいかわらず不肖・石川がちょ~編集後記を書きにくいコンテンツをお書きになりますねぇ。評論としてスジが通っていると思いますが、問題は 〝『文學界』 さんや芥川賞選考委員の先生方に逆らっちゃダメよぉ〟 ってことであります (笑)。
でも大篠さんが指摘されているように、奥泉さんの 『物語というのは小説ではないわけで、物語を軸にしながら、それを巡ってコンセプチュアルな企みやアイディアでもって言葉の構築物をつくっていくのが、要するに小説なわけです』 という考え方が、現在の純文学の基層的な考え方になっているといふのはちょっと首をひねりますね。そんぢゃ小説のアイデンティティってなによ?という問題が起こってしまいます。奥泉理論は、これも大篠さんが指摘されていますが、昔の現代詩のそれとほぼ同じです。
現在、前衛系の純文学小説の創作はもちろん、批評も奥泉さんの考え方を全面的に肯定して動いているわけです。小説の現代的な 〝新しさ〟 が奥泉さん的な思考方法にしか見当たらないのが現状なわけです。それが正しいのかどうかは時間が経たないとわかりません。でも石川は、恐らく小説は 〝物語〟 の方に揺り戻っていくだろうという大篠さんの考えに一票であります。岡目八目的な予想に過ぎませんが、多分、そうなりますよ。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評 『No.008 文學界 2012年08月号』 ■