後藤弘毅さんの連載映画批評 『No.036 『ゼロ・ダーク・サーティ』 ― 内的葛藤の果てに…ビグロー作品の美学』 をアップしましたぁ。2001 年 9 月 11 日のアメリカ同時多発テロから、2011 年 5 月のオサマ・ビンラディン殺害作戦までを描いた映画です。作品名の 『ゼロ・ダーク・サーティ』 は、ビンラディンの殺害作戦のコードネームです。
監督は、女性作家のキャスリン・ビグローさんです。実在の人物ですが、主人公も女性で、同時多発テロから 10 年間ビンラディンを追い続け、ついにその居場所を特定した CIA 諜報員です。ジェシカ・チャスティンさんが演じておられます。
映画の詳細は後藤さんのコンテンツをお読みいただければと思いますが、ビンラディンの殺害はアメリカの悲願であり軍事的にも華々しい成功ですが、ビグロー監督はそれを抑えたタッチで描いておられるようです。第二次世界大戦、ベトナム戦争とアメリカは大きな戦争を経験してきました。正義の戦いだった第二次世界大戦はもちろん、ベトナム戦争を描くときでも 〝部分的には勝利していた、だけど全体的には負けたかも〟 という形で戦果を称揚することが多かったと思います。
しかしそういった感覚はじょじょに薄れていっているようです。戦争が悲惨と疲弊しかもたらさず、たとえある作戦で成功しても、先が見通せないことには変わりがないという雰囲気が漂っています。それをビグロー監督は独特の映画文法で描いておられるようです。ストーリーを読むとアメリカの国威高揚映画のようですが、まったくそうではなく、アメリカの現在を独自の映像表現で描写している秀作のようです。
■ 後藤弘毅 連載映画批評 『No.036 『ゼロ・ダーク・サーティ』 ― 内的葛藤の果てに…ビグロー作品の美学』 ■