星隆弘さんの演劇批評 『 No.006 フェスティバル/トーキョー 12 を批評するうえで(その1)』 をアップしましたぁ。『フェスティバル/トーキョー 12』 は現在池袋を拠点に開催されている、日本最大の舞台芸術フェスティバルです。20本以上の舞台作品が一挙上演されるようです。全作品とはいきませんが、星さんにはその中の何本かを批評していただく予定です。
文学金魚は演劇に強い関心を持っています。テレビ・映画・小説を含め、またエンターテイメントかシリアスモノかを問わず、人間にとっての一番の楽しみは『物語』です。そして物語の源泉は舞台芸術にあります。舞台芸術が物語の『母』なのであります。しかし舞台芸術は捉えにくい。大衆演劇寄りの舞台もありますが、多くの心ある演劇人はとても複雑な舞台を上演するようになっています。台本を読んで舞台を想像できる時代など、とっくの昔に終わってしまっているのです。
星さんは今回の批評を 『我々の「現在」として(創作者の手で)検証されたとおぼしきものが、F / Tプログラム上演を経てどのように<他者化>されているかという観点を重視しようと考える』 と書いておられます。演劇は脚本家や演出家が中心になって作り上げられますが、役者や観客という他者によって誰のものでもない一種の共同創作物に変貌します。だからこそ演劇はその場にいて観劇しなければならないわけです。また古典的作品の再演が意味を持つのは、特定の時代の作家たちによって作られた戯曲が、現代の作家たちによって他者化され、普遍的かつ現代的な意味を帯びるからではないでしょうか。
今回の『フェスティバル/トーキョー 12』 には、東日本大震災・フクシマ以降の 1 年をどう捉えるのかというテーマも付与されているようです。ただ星さんの演劇批評のスタンスは、発信者のメッセージを読み解くのではなく、それがどう舞台で『他者化』されているのかを読み解こうというものです。星さんの連続批評に期待大ですぅ。
■星隆弘 演劇批評 『 No.006 フェスティバル/トーキョー 12 を批評するうえで(その1)』 ■